第154話 お茶会にて
まるで別世界のようだ。
ここに来ると紗百合はいつもそう思う。
高い天井に煌びやかなシャンデリア、金細工があしらわれたアンティーク家具、壁に飾られた壮麗な油絵――どれもテレビや本の中のお金持ちにはお馴染みの、しかし実際にお目にかかることなどまずない、上流階級の逸品だ。
紗百合は大きな窓から中庭を望むこの部屋で、御言とその母と共にアフタヌーンティーに興じていた。
いや、『興じていた』という表現には語弊がある。
なぜなら彼女は、物理的に肩身を狭くするほどに委縮しているのだから。
(はぁー……いつになっても慣れないなぁー)
それは上ノ宮家と調家の力関係を鑑みれば当然のことであったし、単純に生活水準の違いに圧倒されているというのもあった。
紗百合の家も一般的な水準から見れば十二分に裕福だし、実家も豪邸と呼んで差し支えない規模ではある。
しかし上ノ宮家の場合は破格。比べることすら烏滸がましいと言えるレベルなのである。
「紗百合さん、学校での御言の様子はどうですか? 貴女に迷惑などかけていないでしょうか」
御言の母から問われ、紗百合は慎重に言葉を選ぶ。
「いえいえそんな滅相もございません! むしろ御言さんには、私の至らないところをいつも助けていただくばかりでして」
「うふふっ、なにをおっしゃるのですか紗百合さん。わたくしは貴女が教えてくださったことを実践しているにすぎませんよ」
御言が『ユリちゃん』と呼ぶのは二人きりか話術部にいるときだけ。『紗百合さん』などと呼ばれるのはむず痒くて仕方ない。
「お母様。紗百合さんには勉学だけでなく、ご友人との接し方や女性としての振舞い方など、多くのことをご指導いただいているのです。常日頃から陰になり日向になり支えていただいて、こんなに心強いことはありません」
御言は生徒からも教師からも一目置かれる生粋のお嬢様だが、いまの言葉遣いや所作のお嬢様レベルは学内にいるときと同じ水準だ。つまり家にいながら余所行きの自分を演じている。
話術部では随分とハジケているが、本来の姿であるあちらの方がむしろ珍しいのだ。
御言が並べる紗百合への(実態とかけ離れた)賛辞を頷きながら聞いていた御言の母が問う。
「紗百合さんが顧問を務めるのは、話術部――と言ったかしら。どのような活動をしてらっしゃるの?」
話を振られた紗百合は言葉に詰まってしまう。まともに顧問の責務を果たしていないどころか、そもそもまともな活動すらしていない部活なのだ。しかし、御言はその間が不自然にならないうちに助け舟を出してくれた。
「日頃は言葉遣いや話の展開の仕方などを教導していただいています。ほかには、紗百合さんの得意分野である言葉の成り立ちについての講義などです。1学期の終わりには、アルタイ諸語の派生から日本語の成り立ちを、比較言語学に基づいた見地からご教示くださいました」
よくもこうスラスラと嘘が出てくるものだ。
その弁舌に感心と恐れを抱きながら、紗百合はボロを出さないように相槌に終始した。
「ところで今日の紅茶はいかがですか? 上質なゴールデンチップスという茶葉なのですが」
そう聞いてきた御言に対し、「とても美味しいわ。家でもまた飲みたいくらい」と笑顔で返す。
「うふふっ、そう仰ってくださると思って多めに取り寄せたのです。折角ですからお持ちになってくださいね」
自宅マンションに戻った紗百合は、粗相をせず切り抜けた安堵から長く息を吐いた。
手に持った紙袋に視線を落とす。
そこにはお土産として御言が用意した最高級茶葉の箱が入っている。
彼女は手を洗うのももどかしいとばかりにその箱の包みを解いた。
あの紅茶の味が恋しくてすぐにでもまた飲みたい、などと禁断症状が表れたわけではない。
そもそも、本当は味の違いなど分かっていなかったのだ。
紗百合は豪奢な装丁の茶葉には目もくれず、その上に乗った二つ折りの紙片を手に取った。
これは、昔から御言と紗百合が秘密のやり取りをするときに用いている手法だ。
厳格な父の元で外部とのやり取りを監視されている御言。手紙を渡しているのがバレれば中身を検閲されてしまう。秘密の連絡を取るのであれば、お土産に忍ばせるのが安全だったのだ。
御言が進学してからは学校で直接会う機会を得たためにその必要はなくなったのだが、現在は夏休みであり、会う頻度が激減していた――そんな状況での今回の手紙。
「なにが書いてあるのかしら。嫌な予感がする……」
かつては軟禁生活のような日々への憂いが書き綴られており、やるせなさに心を痛めたものだが、またも彼女を苦しめるような事態になっているのか……。
教え子であり大切な友人でもある少女からの手紙を強張った指で開く。
『そろそろコミケという国内最大規模の性の祭典があるそうですね。自分では行けないのですが、大変興味があるのでお使いを頼まれてくれませんか? 男女のものでも百合でも薔薇でも構いません。とにかくユリちゃんが興奮した、大人しか買えないものを見繕ってください。ユリちゃんの感性で、これは高校生には見せられない、というくらい過激でマニアックなジャンルの本があるとなおよしです。期待していますね』
「………………………………」
紗百合は手紙をそっと閉じ、頭を抱えたのだった。