第145話 勉強会④
「本来勉強とは複数人で行うと能率が落ちるものです。ですが、なにか感情が動くような出来事があればそれはエピソード記憶となって強く脳に刻み込まれるため意味のあることとなります。わたくしが詞幸くんを辱めたのもそういった意図があってのことなのですよ?」
(それらしいこと言ってるけど絶対嘘だ……)
詞幸秘蔵のコレクションが見つかったため、御言の前口上のあと、ようやっと勉強会が開始された。
まずは詞幸、詩乃、織歌が共通して苦手とする英語から実施することとなった。
御言が用意した問題を詞幸たちが解き、わからないところや疑問に思うことがあれば御言が答えるという方式で、各々の理解度を探るわけだ。
その間、御言は詞幸から献上された漫画を読んでいた。
いま手にしているのは、詩乃が箪笥から見つけた、少年誌に掲載されている漫画である。18禁ではないため局部の描写はない、比較的マイルドなものだ。
それを御言は顔色一つ変えず淡々と読み進めているのだが、持ち主の詞幸からすれば拷問に等しく、とても問題に集中などできる状態ではなかった。
そんな状況で、5分も経たないうちに早速手が上がった。
「すみません。いくら考えてもここがわからないのですが……」
教えを乞うたのは、なんと御言だった。
「なんで上ノ宮さんが手を上げるの!? 漫画読んでるだけだよね!?」
「はい……。ですが、こういったジャンルにはまだ疎く、わたくしには状況が理解できない難問が現れまして……」
(普通のラブコメだし、そんな難しい話はなかったと思うけどな……)
首を捻りながらもテーブルの上に身を乗り出すと、正面の御言は本を開いて差し出した。
集中できないのか、どれどれ、と詩乃と織歌も加わって御言が示したページを覗き込む。
ページをめくりながら御言が状況を説明した。
――主人公の男子高校生がお風呂に入っているところに、わけあって同居しているヒロインがそうとは知らずにやって来てお互いの裸を見てしまう――というシーンのようである。
「――どこが理解できないの? そのまんまのシーンだと思うけど……」
「いえ、このシーンは明らかな矛盾を孕んでいます」
彼女の表情は真剣だ。
「普通お風呂に先客がいれば、浴室の明かりが点いているのですから気づくではないですか。少なからず音もします。仮にこれが昼間のシーンでとても静かに入浴していたのだとしても、その手前には脱衣所があるのですから脱いだ服があってしかるべきですし、着替えも用意されているでしょう。誰かがお風呂に入っているのは明白です。なのにこのヒロインは浴室に入ってきました。そして主人公もその異様さに気づいたそぶりもありません」
「ええと――これはもう、そういう様式美としか……」
「そうだよ、みーさん。あんまり深く考えても仕方ないって」
詩乃も助け舟を出すが、それで御言が納得した様子はなく、脇に置いた別作品の本を手に取った。
「ですが、ここにあるほかの作品でも同様の描写があったのです。作者はこの矛盾に気づかないのでしょうか。読者もこの矛盾を無視して漫画を楽しめるのでしょうか」
「……なんか、すいません」
詞幸は特に悪いことをしたわけではない。しかし、とにかくエロければいい、という短絡的かつ本能的な読書をしていたことを咎められた気になったのだ。
「まぁ確かに、この系統のシーンは多くのラブコメで採用されているがな、作り手側はなにも矛盾を気にしていないわけではないと、わたしは思うぞ?」
織歌が冷ややかな面持ちで切り出した。
「男向けの作品の場合、当然だがなによりも男の願望を満たすことが求められる。結果、ヒロインの裸を出すために色んなシチュエーションが考えられるわけだが、ここで問題なのは、いかに罪悪感をなくすかだ」
「罪悪感、ですか?」
「そうだ。『女の裸は見たい』『だが風呂を覗くのは犯罪だからやりたくない』――その二つを両立させる手段として、『なら女の方から裸でやって来ればいいんだ』という結論が生まれるわけだ。これは俗に言う《ラッキースケベ》の考え方だな。『偶然見ちゃっただけだから俺は悪くない』『たまたま触っちゃっただけだからセーフ』という、不可抗力を言い訳にしてエロを楽しみたがる浅ましさから生まれた文化と言える。こういった手合いはエロに無頓着なふりをしていても実際はその機会を虎視眈々と狙っているものだ」
「なるほどですね」
「あ~、言われてみれば」
「そこで俺を見るのやめてくれる!? でもなんかすいません!」
御言と詩乃の生暖かい目に苛まれ、やはり詞幸は謝るのだった。