第11話 二人きりの教室で
西日の射しこむ放課後の教室には二つの影があった。
一つはまっすぐと伸び、もう一つの影は濃くわだかまっているようだ。
後者の影――詞幸が弱々しく口を開く。
「本当にうまくいくのかなぁ…………」
疲れと諦めの滲む声だった。
彼がそうなるのも無理はない。詞幸は自らのポカが原因で愛音の機嫌をさらに損ね、以降は何をしても完全に無視されるようになってしまったのだから。
彼の心はナイフで切り刻まれたかのように深刻なダメージを受け、もはや風の前の塵に同じ。気力を失った思考停止状態で、半ば言われるがまま、季詠の提案に従って奥の手を使うことにしたというわけだ。
その奥の手を提示した季詠は、クラスメイトを安心させるように笑みを浮かべて言葉を返す。
「大丈夫、心配しないで。愛音とは幼稚園に上がる前からの付き合いだから、あの子がどんな風に考えるかなんて簡単に予想できるもの。それに、もしダメでも何度でも協力するから――あっ、来たよ月見里くん」
教室前側のドアを振り向いた季詠に釣られて目を向ける。姿はまだ見えないが。耳を傾けると近づいてくる足音が聞こえる。作戦通り、なかなか部活に来ない季詠を探しにきたのだ。
季詠はタイミングを計るように、歩調にリズムを合わせて首を動かす。
「じゃあ、いくよ」
口を開いたのは、ちょうど愛音がドアから顔を覗かせたときだった。
「――月見里くん、話ってなあに?」
詞幸は視界の隅にその姿を捉える。
「っ……!」
愛音は驚きに息を飲み、すぐさまドアの陰に首を引っ込めた。
その愛音にも聞こえるよう、季詠に倣って詞幸も腹に力を籠めて発声した。
「実は俺ー、帯刀さんにどうしても伝えたいことがあるんだー」
緊張のせいで、声優に初挑戦する芸能人のような、あからさまな不自然さを伴う棒読みになってしまう。これには思わず季詠も思わず苦笑い。
「お、俺ー、一目見たときからー、君のことが―、」
フリでも、演技でも、その続きを言葉にするのはとても難しい。
心配そうに覗きこむ愛音の顔を見ると、胸を刺されたような痛みが走った。もしこの行動が彼女の勘違いを助長させることになってしまったら――という恐怖を押し殺し、詞幸は口を開く。
大きく息を吸って、吐く勢いに任せて叫んだ。
「君のことが好きなんだ! 付き合ってください!」
腰を折り、バッと右手を差し出す。
耳を赤くして言葉を待つ詞幸の息は荒い。対して季詠は落ち着いた様子で台本どおりに演じる。
「ごめんなさい。気持ちは嬉しいけど。お付き合いすることはできません」
「そ、そんなっ、なんで……? ま、まさか他に好きな人がいるとか?」
黒髪を靡かせてかぶりを振る。
「私、まだ恋をしたことがないの。だから、好きな人はいないんだけど………………大切な人はいる、かな」
ビクッと愛音の肩が跳ねた。
「……それって、誰……?」
季詠は恥ずかしがるように身を捩り、たっぷり間を取ってから答えた。
「――小鳥遊愛音よ。私、あの子と一緒にいる時間を大切にしたいの。だから、いまは男の人に恋する気になれなくて…………ごめんなさい」
季詠が頭を下げると、愛音は静かに小走りで去っていく。
二人はそのままの姿勢でじっとして、愛音の足音が遠ざかるのを待った。
「……これで俺への対応が柔らかくなってくれるといいんだけど……」
「それは大丈夫だと思う。私を信じて。――それより月見里くん」
顔を上げた季詠は呆れ顔で息を吐いた。
「演技であれだけ緊張してるようじゃ、到底本番の告白はできないね」
「…………が、頑張ります」
力なく返すしかない詞幸だった。