第116話 水着とプールと① 待ち合わせ
朝の空気はまだ爽やかだったが、雲一つない空から注ぐ光は今日も猛暑日になるという予兆を孕んでいた。
学校があればまだ家で朝食を摂っている時間帯。馴染みのない駅から一歩踏み出した詞幸は、ロータリーに見知った顔を見つけて駆け寄った。
「おはようございます、調先生!」
「おはよう月見里くん。張り切ってるわねぇー」
シルバーに輝くバンの横に立つ女性――調紗百合は大人びた笑みを浮かべた。
その出で立ちは学校にいるときと異なりカジュアルなものだった。髪をエアリーに遊ばせており、当然自身の武器をわかっているからなのだろう、胸元の空いた服からは豊満なバストによって形成された谷間が誇示するかのようにあらわになっていた。
「御言ちゃんもいるわよ。家まで迎えに行って一緒に来たの」
「おはようございます。溢れるリビドーが目に見えそうなほどの張り切り方ですね」
御言が紗百合の横から一歩前に出る。
「その表現は人聞きが悪いよ……」
「まぁっ、人聞きが悪いもなにも詞幸くんが自分で言っていたではありませんか。プールの話が出たとき、『エッチな格好した女子と戯れたい』と――」
「あー! あー! 今日もあっついなあ!」
詞幸は手で顔を扇ぎながらわざとらしく遮る。しかしそれで誤魔化せるはずもなく、紗百合は眉を顰めて渋面を作った。
「なに月見里くん、あなたそんなこと言ってたの?」
「いやあ、それはそのお……」
返事に困って口篭る彼の代わりに御言が答える。
「そうなのです。聞いてくださいユリちゃん。詞幸くんはわたくしたちのいやらしい姿を、あわよくばチラチラ見えたりポロリしたりしないかと舐め回すように観賞して、あまつさえ口に出すのも憚られるようなあんなことやこんなことをしたいと言っていたのですよ」
「やっぱり人聞きが悪いよ! 先生、俺そこまでは言ってないですからね!」
「そこまでじゃなくても『エッチな格好した女子と戯れたい』とは言っていたのね……」
「うぐっ――」
紗百合は額を押さえてやれやれと首を振った。
「そういうことを想像するのが悪いとは言いません。年頃の男子であれば当然です。そういう下心があって今日あなたがやって来たのは薄々気づいていましたし、女子部員の子たちも当然そういう目で見られることは承知の上でしょう。ですが、いくら部活外のプライベートな遊びとはいっても、あたしがいる以上は不埒な行いを許しませんからね」
両手を腰に当てて先生口調でそう言うと、紗百合は満足げに鼻を鳴らした。
「どう、御言ちゃん? いまの先生っぽかったでしょ? あたしだってその気になればしっかり先生できるのよ?」
子供っぽく無邪気に笑う紗百合に、御言が慈愛の目を向ける。
「はい、大変頼もしいです。ユリちゃんがわたくしたちを詞幸くんの毒牙から守ってくれるのですね?」
まるで悪者扱いの酷い言われように「毒牙って……」と小さく抗議したのだが詞幸の声は無視された。
「もちろんよ。今日のあたしは引率者だもの。か弱い乙女を守るのがあたしの役目なんだから」
「でしたら、詞幸くんのいやらしい視線がわたくしたちに向かないように、ユリちゃんが体を張ってくださるのですね?」
「ええ、ええ、いいわよ。たまには大人としてカッコいい所見せないとね。ずっと監視していてあげるわ」
「いえ、監視は必要ないのです」
御言はニコニコしている。
「この水着を身に着けてさえくれれば、詞幸くんの視線はユリちゃんに釘付けですから」
彼女がいつの間にか手にしていたそれは水着と呼ぶにはあまりにも心もとない、単なる黒い《紐》にしかみえない物体だった。
「スリングショットです♪」
「それは無理よ!? なんかもういろいろハミ出しちゃうわッ!!」
「そんな……折角用意したのですが……」
「上ノ宮さん、さすがにそれは恥ずかしいよ……。上半身とかその……たぶん見えちゃうし……」
「あ、ご心配なく。もちろん詞幸くんの分もありますから。男の子なら上半身が隠れなくても大丈夫ですものねっ」
「なにが『もちろん』なのおおおおッ!?」