第115話 季詠の秘密
今日も夏の太陽はその存在を主張するかのようにアスファルトを焦がしている。
「こんにちはー」
身長が低いと道路から立ち上る熱気を近くに受けやすい。
頬を伝う汗を袖で拭い、愛音は洋風の庭がたっぷりと陽光を浴びる白壁の一軒家を訪れた。
「あら、いらっしゃい。愛音ちゃん」
出迎えたのは季詠の母だった。理知的な目元が小さな来客を見て細められる。
「今日キョミと約束してて。約束の時間より30分早いんだけど」
年上に対してぞんざいな喋り方だが、愛音が幼稚園児の頃からの付き合いとして、季詠の母が気に留めることはない。
それどころか愛音のことを愛娘の無二の親友と認識しており、その信頼は厚い。中学で別々の学校に通うことになった季詠と一緒にいるため、猛勉強の末に同じ高校に合格したというエピソードがあるのだ。
季詠母は扉を大きく開けて愛音を招き入れた。
「あの子なら部屋にいるから、上がって上がって? たまには数学の勉強も見てあげてね? あの子理数系は苦手だから」
「はーい。おじゃましまーす」
「あとでお茶とお菓子もっていくからね」
「わーい」
勝手知ったる他人の家。愛音はこの家のしきたりとして洗面所で手を洗ってから2階の季詠の部屋へと向かった。
「~~~♪」
途中、なにやら軽快な音楽が聞こえてきた。耳を凝らすと、歌のようだった。
そしてその音は、階段を昇るごとに――正確には、季詠の部屋に近づくごとに大きくなっていった。
ぞくり、と嫌な予感がした。それは冷気を伴って背筋を撫でる。
愛音は足音を殺して歩を進めた。
と、2階に上がりきったところで音楽が止まった。同時に、ドアの向こうからくぐもった声が聞こえる。
「よし、最初からもう1回」
僅かな音も立てないよう慎重に慎重に近づく。
愛音はピタリと扉に張り付いてそーっとノブを回し、息を詰めて中の様子を窺った。
軽やかなリズムが細い隙間から溢れ、その光景を目の当たりにする。
「キーラーめーく~、ほーしーのー力で~♪ あこがーれの~わーたーしー描くよ~♪」
季詠が歌い踊っていた。
女児向けアニメの変身シーンをテレビで流しながら。
「きっっっつ!」
「きゃっ! な、なに!?」
いきなり聞こえてきた声に困惑と怯懦の色を滲ませた季詠だったが、愛音が姿を現すと一瞬だけ安堵の表情になったあと、再びサッと顔を青ざめさせた。
「あああ愛音!? いつからそこに!?」
「ついさっきからだよ。変身シーンはフルでばっちり見させてもらったがな……」
愛音は理解しがたいとばかりに首を振った。
「アイドルアニメの振り付けならまだしも、いい年した女が汗かきながら女児向けアニメの変身シーンを必死に練習してるとかイタすぎだろ! お前はどこでそれを披露するつもりなんだよ!」
「た、ただの自己満足だから! いいじゃない別に練習してたって!」
今度は顔を真っ赤にして季詠は反論した。
「愛音だって一緒に変身ごっこしてたじゃない!」
「何年前の話だよ! もうそういう年じゃないだろ!」
「それは違うよ! 心に愛と希望を持っていれば年齢なんて関係なく私たちはなりたい自分に変身できるんだから!」
「ぬあーーーー! なんかめんどくさいこと言い始めたー!」
愛音は頭を掻きむしった。
季詠は胸に手を当てて平静さを取り戻した声で言う。
「愛音もきっと忘れてるだけで、あのときのドキドキワクワクする気持ちはなくなってないよ。いま見ても面白いんだよ? ね、録画したのがあるから一緒に見よ?」
「むー。キョミがそこまで言うなら、まー見てやらないこともないけど……」
拗ねたように愛音が言うと、季詠はほっとした表情になった。
「よかった~。秋に映画があるんだけどこれまでは恥ずかしくてレイトショーしか行けなかったの。でも愛音と一緒なら『小学生の妹と一緒に来ました』って感じに見えるもんね。中学生以下じゃないと入場者プレゼントのミラクルライトも貰えないし、一石二鳥ね!」
「アタシをダシに使おうとするなー!」