05
懐かしい子守唄に導かれて、イザベルが光の粒となり走りだしてから何年の時が経っただろうか。或いは、何十年の時が経過しているのだろうか?
宇宙空間のような暗闇の中で産まれてくる前の魂達は無数に存在していたが、子守唄に導かれた魂はほんの僅かだった。それもそのはず、ホーネット一族に伝わる子守唄を知る者は、イザベルと同じ血を引く者のみ。
やがて……一本の道が開けた先に、大きな菩提樹の木が見えた。遥か昔から人間を見守るその菩提樹は、人々に御神木と呼ばれており、それこそが精霊様の地上における姿だ。
「あれは、精霊様の御神木だわ……あらっ誰かいるのかしら。私以外にも子守唄に導かれて、ここに辿り着く人がいるなんて」
気がつけばイザベルは光の粒から、少女の姿に変化していた。お気に入りの水色のワンピースをひらひらと揺らして、さらに駆けて行くと少年の姿が見える。
金髪の少年は菩提樹の木にもたれるように座り、どうやら怪我をしているようだった。そしてその光景は、イザベルが少女の頃に体験したものと酷似していた。
(何だろう……この見覚えのある光景は。過去を振り返っている? それとも、過去から元の時代へと戻るのに同じ体験をもう一度しているの。万が一、悪魔の罠という可能性も)
様々な不安が頭を過るが足を怪我して苦しむ少年を見てみぬふりをする訳にはいかず、過去と同じように優しく話しかける。
「まぁ怪我をしているのね、大丈夫なの? 私……ちょっとだけなら回復魔法が使えるわ。痛みが和らぐだけかも知れないけど」
「うぅ……ありがとう。けど、僕の身体の傷は回復魔法では治せないんだ。父様の……いや、あの精霊の木の傷を直さないと」
(やっぱり、この少年は過去のティエール。けど、ティエールが産まれる未来が出来ているということは、あの後無事にレイチェルはオリヴァードさんに嫁いだのね。まずは傷を魔法で……)
「ごめんなさい、ちょっと見せてね。まさか……この傷はっ! そうだったの、この傷こそが悪魔のペンダントから引き継いだ呪いの印」
少年が語るように精霊様のシンボルである菩提樹の根本が、何者かの手によって傷つけられていた。正確には傷ではなく、例の悪魔のペンダントから発せられる呪いの紋様が刻まれているのだった。
過去のイザベルはこの紋様がただの傷だと思い、イチかバチか、精霊様の木に向かって回復魔法をかけたのだ。結果として生命力を吸い取った木の傷口が塞がり同時に、ティエールの足の怪我も同調するように回復したはず。だが、そこに落ち度があったのだろう。
(ティエールの存在が消された理由は、おそらくあの時にこの呪いの傷跡を一時的な回復呪文で治癒したことだわ。レイチェルは無事に嫁げたけど、その魂から呪いは消えなかった。息子である精霊の木に呪いが復活して、最終的に孫のティエールの存在を呪い殺したのね)
「……大丈夫? 治せそうかい」
「えぇ……大丈夫よ。けど私一人じゃこの呪いは解けないわ。あなたにも協力して欲しいの……二人で、菩提樹の祈りの唄を」
苦しむティエールに無理させるのは気が引けたが、ここで頑張らなくては彼の存在そのものが危ういのだ。イザベルはティエールに手を伸ばし、共に祈りを捧げることを勧める。
「菩提樹の祈りか……うん、それくらいならなんとか。僕のお婆様は菩提樹の精霊に仕える巫女さんだったらしいからね。祈りの唄は得意だよ。手を繋げばいいのかい」
「ありがとう……二人で心を一つにして、未来に向けて祈りましょう」
キュッと握られた手は温かく、確かに彼がティエールが生きている証拠でもあった。心を込めた祈りの唄が紡がれていく……精霊の木にかけられた呪いの紋様は徐々に消えていく。改めて、ティエールの足の傷を魔法で治癒すると、今度こそティエール自身が回復した。
「助けてくれてありがとう、何かお礼をしたいけど。今日は、すぐに帰らなくてはいけない。明日、また来るから……会えるかな?」
「えぇ……お祈りの時間には、必ず大抵ここにいるから、待っているわ……私はイザベル、あなたは?」
「……僕の名はティエール。思い出したよ、イザベル。君が僕を助けてくれたんだね。過去も未来も……この恩は必ず。例え、この記憶が時間の狭間に掻き消されたとしても、次は僕が必ず君を……迎えにいくから。例え、どんな所にいたとしても……僕達は同じ生命の樹だ」
少年だったティエールは自分を取り戻し、その姿は一瞬で青年の美しいものに変化していった。そしてその傍らには若い菩提樹の木が……彼の魂はここで息付き、芽吹いているのだ。
イザベルの逆行転生の記憶は一旦そこで途切れ、気が付けば精霊界の修道院に戻っていた。




