06
牢獄には似つかわしく無い上等な若草色の法衣を身に纏った男は、よく見ると食事を運んできた様子。男の正体がイザベルの初恋の人ティエール本人であるか否かを教えて欲しかったが、今は自分の名を名乗れないようだ。
「ごめんね、精霊神様に無理を言ってここに来ているから、僕が何者なのか今は答えることは出来ない。けれど、イザベルの味方だということだけは本当だ」
「……分かったわ、今はそれだけで充分よ」
「さあ、まずは空腹を満たさないとね」
男が持ってきたワゴンの上には、花模様の食器に丁寧に飾られた料理の数々。飲み水はガラスのウォーターポットにたっぷりとあり、乾いた喉を潤すのには充分用意してある。
メニューは小洒落た牛ステーキ、白身魚のムニエル、まろやかなチーズリゾット、クリームたっぷりコーンスープ、野菜のポトフ、シーザーサラダ、数種類の丸パン、そしてデザートのショートケーキと紅茶。
イザベルはもう二度と食べることはないと思い込んでいた料理の数々に、ただひたすら驚いた。本来ならば、スープとすら呼べない苦湯が牢獄の食事なのだから。
「最後の晩餐になるのかしら? けれど、数日後には殺される私やお婆さんにとっては、貴重だわ」
気がつくと先に老婆は食事を貰っていたようで、涙を流しながら『美味しい、美味しい』と食事を平らげていく。料理が床に直置きにならぬように、簡易ではあるが低めの折り畳みテーブルが用意されていた。
口煩い看守はいつの間にか消えていて、その空間には男と老婆、そしてイザベルの三人だけとなっていた。
「僕は看守に代わり食事を持ってきたんだ。ここの粗末なものとは違って、きちんと火の通った美味しい食事だよ」
「精霊神様のご意思は、死にゆく私達に、最後の憐みの祈りを捧げることなのかしら。でも何故」
「多分、安らかに眠りたいという祈りを聞き届けたから。という理由では不満かな。イザベル」
淡い金色の前髪を揺らして柔らかく微笑む男は、人間とは思えないほど清らかで、イザベルは好意に甘えることにした。
「私もその食事、頂いてもいいの?」
「もちろん、そのために運んできた料理なんだから。是非、味わって食べて欲しい」
男爵の娘というポジションのイザベルからすれば、温かなコーンスープも牛ステーキも食べ慣れているはずである。だがもうすぐ殺される身からすれば、普通の食事にありつけただけでも感謝しなくてはならない。
「それにしても美味しいわ、こんなに味わい深いコーンスープは初めて。それとも私がこれまで、食事の有り難みを理解していなかったのかしら?」
イザベルがゆっくりと食事を進めていると、先に老婆が完食していたようで男に礼を何度も告げていた。
「ありがたや、ありがたや。まだ幼かった頃に家族と食べた思い出の食事にそっくりで、冥土の土産になりました」
「懐かしいメニューだったようで、良かった。あなたは死の恐怖を感じることなく、安らかに天へと昇ることが出来るでしょう。さあ、もう休んで……神の守りがあるうちに」
* * *
男が温かな毛布を掛けると、老婆は空腹が満たされたのかそのまま眠りについた。イザベルが食事を終えると、「また明日来るから。牢の脱出はその時に」と告げて立ち去って行った。結局彼が夢に出てきた初恋の彼なのかは、分からずじまい。
次の日の朝、老婆は穏やかな表情で天に召されていた。看守が老婆の遺体を運び出そうとすると、その遺体は光の粒となって消えていった。
「あわわ……老婆の遺体が、光にっ」
「大変だ、上層部に報告しなくては」
向かいの檻に閉じ込められているイザベルには見向きもせず、看守達は大慌てで牢から出て行く。
(これは奇跡としか言いようがないわ、本当に穏やかに天へと召されるなんて。精霊神様の御加護? そして私は本当にここから脱出出来るの?)