09
心のこもった手作りの夕食を二人で愉しんだ後は、リビングでゆっくりとお茶とたわいもない会話でリラックスした時間を過ごす。
「そういえば、ティエールの本名って本当に『ティエール』で合っていたのね。なかなか本当の名前を教えてくれないから、一番合いそうな菩提樹の呼び名を仇名にしたのに」
「あはは……子供の頃は人間に自分の名を名乗ってはいけなかったから、まさかイザベルが僕の本名を当ててしまうとは思わなかったよ。子供ながらに驚いたけど、よく考えてみたら僕の名は菩提樹の呼び名から名付けられていたから、予想できる人もいたのかもね」
イザベルを助けに精霊神として再び姿を現したティエールは、最初はいわゆる神としての責務を果たしているようにも感じられたが。ひとたび家に帰り、直接触れ合えばかつての子供時代と変わらず優しかった。
「けど、こんなにリラックスしたのって人間時代も含めて生まれて初めてかも知れないわ。人間の頃に住んでいたお屋敷では、心の奥底からゆったりと過ごす感じはなかったから」
「貴族階級というのは、裕福なようでいて常に使用人に囲まれて、自由な時間が持ちづらいと言われている。もちろん、そのおかげで家事なんかの手間はかからないだろうけど、緊張感から逃れるためにお忍びで旅に出ちゃう貴族がいるのも分かる気がするな。僕も精霊神のお仕事の時は、緊張しっぱなしだからね」
サラサラの前髪を揺らして微笑むティエールは、大人の男というよりまだ少年のような幼さも内包していて、初恋の面影を色濃く残している。まだまだ知らないティエールの素顔をもっと知りたいとイザベルは思う反面、彼とずっと一緒にいるにはきちんと精霊入りを果たさなくてはいけないという現実が見えた。
「精霊候補の期間って、主にどういう適性を見ていくのかしら? まだ正式にお仕事のお手伝いをしているわけじゃないから、明日から本格的に働くのよね」
「今日は精霊候補の初日だから、長老様への挨拶と住民登録の手続きだけでお仕事が終わったけど。明日からは、小妖精をお目付役につけて、イザベルの精霊としての適性を見ていくことになる」
つまり明日には、イザベルの『一挙手一投足』がいちいち小妖精のチェック対象となるのだ。今のところまだ小妖精と会っていないため、羽やサイズが蝶々に似ているという情報以外、イザベルには想像もつかなかった。
「適性を見る期間だし、仕方がないか。ねぇ小妖精って、悪戯好きって言っていたけど。本当に……平気?」
「あはは! サイズが小さいだけで人間と変わらない感じだから、そこまで心配しなくても平気だよ。まぁ案外、もう好奇心旺盛な小妖精が、花瓶の後ろからこっそりとイザベルを見つめているかも知れないけど……ね」
先程まで終始柔らかい微笑みを絶やさずにいたティエールの瞳に、少しだけ鋭い光が発した気がしてイザベルは困惑する。ティエールの目線の先にある花瓶の後ろから、慌てて逃げるようにパタパタと『何か』の影が退却していった。
けれどティエールがちょっぴり精霊神特有の鋭いオーラを使ったのはその時だけで、再び少年のような柔らかい笑顔に戻ってしまった。
実はこっそりと、イザベルを見つめていた小妖精の女の子が退却していったのは、ここだけの話だ。
「あぁっ! びっくりしたぁ……イザベルちゃんにバレちゃったらどうすんのよ。精霊神様ったら、よっぽど二人っきりになりたいのねっ!」