06
市街地から歩いて二十分ほどで、植物系の精霊達が暮らす『せせらぎの森』に到着した。少し離れた場所には渓流もあり、人間世界で言うところの別荘地のような景観である。
「わぁ素敵! さっきまでの市街地は賑やかだったけど、木々に囲まれた自然豊かな場所で住み心地が良さそうだわ」
「僕ら植物系の精霊は基本的に、自然に身を置いて暮らす者が多いからね。忙しい市街地で暮らす今時の精霊もいるけど、僕はスローライフ派だから」
拠点となるロッジは、二人暮らしには充分すぎるほどの大きさで広々とした二階建て。温かみのある焦げ茶色の外観と白い窓枠、テラスには屋外でも食事が愉しめるテーブルセット、煙突がついており冬は暖炉が使える仕組み、スローライフにぴったりなデザインと言えよう。
「うふふ。私も今日からスローライフ派よ、ねえ家に上がっても良い? えぇと……お邪魔します……」
「今日からここは、キミの家でもあるんだよ。だからお邪魔しますじゃないだろう? イザベル、お帰りなさい」
ティエールが先にドアの鍵を開けてイザベルに手を差し伸べる。そう……この家を潜るときに必要なセリフは、来客のような『お邪魔します』ではない。家の一員として『お帰りなさい』に対応するセリフはただ一つ。
「……! ただいま、ティエール」
笑顔で大好きな初恋の人の手を取り、新居へと足を踏み入れる。優しい木の香りがイザベルを歓迎しているようだ。
まずは人間界で浴びたであろう穢れを落とすために湯浴みを行い、その後夕飯というスケジュールになった。
* * *
「悪いわね、一番風呂でしょう?」
「せっかく精霊界にやってきたんだ、記念の日は一番風呂に浸かって欲しい。この辺りは温泉が出ていて、ロッジにも引いているからきっと身体の芯まで温まるよ。ごゆっくり……」
イザベルが心も身体も癒されるように、ティエールが気を遣ってお風呂を用意。貴重な一番風呂だが、お言葉に甘えて檜の香りのする温泉風呂を堪能することにした。
脱衣室でバスタオル、下着、石鹸、シャンプー、ヘアオイル、部屋着などを一つずつ確認してふと、気付く。
(そういえば、今日着てきたドレスを脱いでしまえば、もう人間界から持ってきた物を使うこともなくなるのね)
卒業記念パーティーのために誂えてもらった淡い水色のドレスは、イザベルが人間として纏った最後の服となってしまった。母がイザベルの金色の髪に似合う色を選んでくれて、本来ならば大人への第一歩を踏み出すための大切なドレスだ。
結局は聖女ミーアスの計略により投獄されて、精霊界まで逃げ果せることになってしまったが。そうでなければ、初恋の精霊神ティエールと再会すら出来なかったというのも皮肉な話である。
(もう考えるのはやめよう。悩んでいても私の人生は何も変わらない。これからは、精霊として生きていくことを目指さなくてはいけない。私に精霊が務まるかはまだ自信がないけれど、ティエールに相応しい女性になりたい)
もう二度と会うことがないであろう両親を思い、涙がポタポタと溢れてきたが、その哀しみを乗り越えなくてはならない。
湯に浸かるために耳元を飾っていたサファイアのピアスを外し、水色の清楚なドレスを脱ぐ。ドレス用のビスチェを脱ぎ、ガーターベルトやショーツ、ストッキングを外し。髪をほどき……一つずつ人間だった頃の因果を脱ぎ、最後に人間界への未練を脱ぎ捨てた。
(お父さん、お母さん、イザベルは精霊として幸せになります)
浴室の扉を開けると、豊潤な湯の流れとともに天然の檜の香りが漂ってくる。教会信仰者が水の洗礼を受けるように、仏道を目指す修行者が沐浴を行うように。イザベルは精霊界という魂の世界に、身をゆったりと馴染ませてゆくのであった。