プロローグ
二日に一回ぐらいのペースで夢を見る。全く同じ夢じゃない、でも大体一緒なんだ。女の子が僕と一緒に蝶を追って走る。最後は追い付いて終わるんだけど、蝶を掌の中に捕まえて女の子に声をかけようとすると既にその子はいない。掌の中の蝶もモゾモゾ動いていたのをやめる。両手を開くと蝶は既に死んでいて終わる。後味が悪いし、気味が悪い。夢に出てくる女の子には実在するモデルがいるのか、でもその子の顔は夢から覚めると頭の中からすっぽりとぬけおちてしまう。だからモデルだとかそんな小難しいことは判りようがないっていうのはずっと昔から知っている。
「なぁ、授業中に寝ておいてその不服そうな顔は一体なんなんだ?まさかこんな態度で十二分に単位が取れるとでも思っているのか?未草君よ」
教室の机の列をぐるっと回ってきた世界史の教師は当て付けのように乱暴な口調で牽制してくる。年度始め、初回からしっかり睡眠学習を決め込んでいたことは一学期の終わりが近づいてきた六月現在でもしっかり遺恨を残しているようだ。人に覚えてもらえることが少ないほど個性が薄いというのは自負しているから、こうして覚えてもらえているのは嬉しいのだが、それが好印象ではないことは火を見るよりも明らかだ。
「2026年に一本の論文が発表された。日本語で訳すと題名は?」
「『現代における人類の存在意義はどこにあるか?』でしたっけ」
「馬鹿者、それは内容を解説した別の書物だ。ここテストに出るぞ、いいか?正式には『現代における一個人のアイデンティティの重要性、およびその所在、その社会的意義』が正しいタイトルだ。ここまでは先週の授業内容だったな。このタイトルはとても長くて覚えにくいと思うがこの一本の論文が世界に及ぼした影響は計り知れない。今日はこの話をしていくぞ」
先生が言った通り、その一本の論文によって世界情勢は大きく動いた。発表したのはノルウェーの学者だということだが、本名は公表されていない。 2026年当時ノルウェーは世界で一番社会福祉が整っていてベーシックインカムも導入され、不労所得で生活している国民も相当数いたとのことだが、次第に個人よりも国全体の動きの方が重視されていき、それに対して国内外から疑問の声が上がる事態になった。そんな中で発表されたこの論文は専門紙に寄稿された物でありながら北欧を中心として世界中でセンセーションを巻き起こした。論文の中で提唱された「新人間主義」を掲げた政党も世界中で立ち上げられた。日本では2028年から二年間の間、第一党となった。
2030年、日本から新人間主義党の姿は無かった。世界中でも同じように新人間主義を掲げる政党は姿を消した。そして2030年2月2日、グリニッジ標準時に新人間主義団体が会見を開いた。
「我々は原初の人間の姿を取り戻す為なら全世界のあらゆる団体、国と対立しても構わない。我々はここに新人間主義連合を設立する」
会見は世界中で中継が行われた。2050年になった今でも新人間主義連合は存在する。人智の及ばぬ極地、南極大陸に。