088 四国攻め
この物語はフィクションです。
登場する人物、団体、名称は架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
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088 四国攻め
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大永八年七月二二日。(一五二四年)
京の都の夏は暑い。
そう言えば、前世の名古屋も暑い都市だったな。つまり尾張も暑いのだろう。今さらだが、本拠地選びを間違えたか? だが、立地はいい。京の都から遠くなく近くない場所だ。朝廷と適度な距離を保つのには最適ではないだろうか。
「播磨の件で報告させていただきます」
軍略方の教来石信保が報告を始めた。
四国征伐を行っている最中だが、それ以外のことをしてないわけではない。
「播磨の国人、小寺政隆が内応に応じましてございます」
「小寺と言えば、赤松の庶流だったか?」
豊臣秀吉の軍師で有名な黒田官兵衛が元々仕えていた家が、小寺だったはずだ。俺の前世の記憶ではそれくらいしか小寺の情報はない。さすがになんでもかんでも覚えるのは無理。
「はっ。赤松は有名無実ゆえ、見限ったようにございます」
簡単に赤松家について話そう。
赤松家は鎌倉幕府の執権北条義時の娘婿になって力をつけた家だ。
執権の北条家が滅ぶと建武の新政において播磨国守護職に補任されたが、すぐに守護職を剥奪されてしまう。その後は足利尊氏について戦い、勝利に貢献している。
一時期、京の都が南朝に占拠された時には、幼い足利義満を保護するなど忠誠をつくした家だったはずだ。そんなわけで足利幕府下では四職として高い家柄を誇っている。
その赤松家だが、ちょっと前までは播磨、備前、美作の守護大名だった。過去形なのは、すでに足利幕府は消滅していることで守護大名はどこにも存在しないからだな。
また、太政府が足利幕府に代わって政を司る現在は、卑賊に指定されている家になる。
さて、赤松は播磨、備前、美作に勢力を持っているが、現在の当主である赤松晴政に実権はない。重臣だった浦上村宗によって、前当主が殺されて実権を握られているのだ。下剋上だな。
「また浦上宗久が相国様に仕えたいと申しております」
この浦上宗久は、浦上村宗の弟だったと記憶している。元々は備前守護代だったが、兄村宗が赤松と戦った時に赤松について兄と戦った。
赤松前当主が殺されてからは目立った動きをとっていない。居城の香登城で半隠棲状態だったらしい。
あまり細かいことは覚えてないが、俺の記憶では浦上村宗の子も兄弟で争っていたはずだ。骨肉相食む家系なのかもしれないな。それを言ったら、史実の武田家も人のことは言えないんだが……。これも戦国の習いなのかもしれぬ。
「香登城は備前の城だな?」
「はっ。左様にございます」
「備前の前に播磨だが、後方から播磨を脅かすのもいいか」
それでも浦上村宗がいるから簡単ではない。浦上村宗を牽制させるだけでも構わないが、もう少し働いてもらおう。
「備前の国人への内応を、浦上宗久に手伝わせろ。元守護代であれば、伝手はいくらでもあろう」
「承知しましてございます」
大永八年八月二六日。(一五二四年)
播磨は小寺が別所を引き入れた。別所就治はまだ二〇そこそこの若者だが、東播三郡を治める有力者でもある。
他にも内応に応じた国人がいて、武田が播磨へ侵攻した時に寝返る手はずになっている。
備前は浦上宗久の他に赤松村秀が内応した。この赤松村秀は前赤松家当主の長子だったが、庶子だったために家を継げずに婿だった赤松義村が赤松家の当主になった。
赤松家を継げなかったから、自分を赤松宗家にしてほしいと言ってきている。その気持ちはわからないではないし、その程度は構わない。そもそも息子が居るのに婿に家を継がせるのはダメだろう。母親の身分がどれほど低くても、他に男子がいないのなら家を継がせるべきだった。
もし婿ではなく娘が家を継いでいたのなら文句は言えないが、この時代は女性を当主にするような武家はない。俺は構わないと思っているんだが、戦場に出るのは大変だからな。
大永八年一〇月八日。(一五二四年)
「相国様。四国の工藤様よりの書状にございます」
政務に勤しんでいると、西岡久秀が書状を持って来た。
筆を置き、その書状を受け取る。
書状には阿波と讃岐の三好が戦いを挑んできたが、これを駆逐したと記されていた。
三好は乾坤一擲の戦いをしかけてきたのだ。このままでは、家中から裏切り者が出ると考えたのだろう。おかげで第八軍団と第一一軍団の被害も多く、しばらくは動けそうにないとある。
残るは伊予の宇都宮と河野、土佐の津野と安芸を降ろすだけだ。
「久秀、軍略方を集めてくれ」
「承知いたしました」
西岡久秀が遠ざかっていくと、その書状を相談役の板垣信方に渡した。
「さすがは三好と言うべきでしょうな。よくここまで持ちこたえましたな」
書状を読み終え、長尾景長に渡した信方は息を吐く。
長尾景長から織田信定に書状が渡る。
「今年中の平定は難しいでしょうかな」
長尾景長が呟くと、織田信定も頷いた。
残る敵勢力はわずかだが、伊予の河野と宇都宮は九州の大友と中国の大内の支援を受けているそうだ。
直接援軍が来ているわけではないが、兵糧や武具の援助を受けている。武田が伊予に攻め込んだら、援軍を出してくるかもしれない。
しばらくすると、軍略方が全員揃った。
「四国征伐も残る敵はわずかだ。しかし三好との激戦により、第八軍団と第一一軍団に少なくない被害が出ている。年越しして兵の補充をしてから攻め込むか、それとも第一〇軍団を投入して敵を攻め立てるか、他に妙案があるか、軍略方にて考えをまとめてくれ」
軍略方の四人がテーブルの上に四国の地図を広げ、それを囲んだ。
その間に俺は俺の仕事をする。決裁しなければいけない書類が次から次にやってくるのだ。これをしないと四国への補給が滞るだけでなく、内裏の修繕工事、尾張の城の築城などが止まってしまう。他にも新兵器開発の予算や、手に入れた畿内の領地の開発もだ。
書類仕事よりも戦場に出るほうが、どれだけ気が楽か。こういう仕事は長尾景長が得意だが、景長は体調に不安を抱えているから無理させられないんだよな。
そう言えば、伊予にはぼっちゃんで有名な道後温泉があったな。温泉に浸かってゆっくりさせてやりたいものだ。いや四国まで行かなくても有馬温泉があるじゃないか。だが播磨をなんとかしないとさすがに行けないな。
今井信元の第一〇軍団は、摂津に駐留している。これを動かせば播磨はすぐに手に入るだろう。温泉のために軍団を動かすのはどうなんだ? 俺だけじゃなく景長のためでもあるのだから構わないか。
「相国様。いかがしましたか?」
長尾景長が俺の顔を覗き込んでいる。どうやら考えに浸って百面相をしていたようだ。
「なんでもない」
書類仕事をさっさと片づけて、西岡久秀に茶を淹れてもらおう。今はそれが憩いの時だ。
大永八年一〇月一九日。(一五二四年)
四国征伐を行っている軍団への補充要員と補給物資を送り、今年は阿波と讃岐の統治を優先させることにした。
第一〇軍団を動かすことも考えたが、それをすると播磨や備前で内応を約束した者たちが浮足立つかもということで動かさないことにした。
山陰の山名に関しては、山名四天王と言われる家臣が実権を握っている。足利時代の名家は、どこもシロアリに屋台骨を食い荒らされているような酷い状態だ。
もっとも足利の屋台骨を食い散らかしたのは、その名家たちだが。
三管領(細川、斯波、畠山)にしても、四職(赤松、一色、京極、山名)にしても腐り果てている。今や管領の家で残っているところはない。四職にしても風前の灯だ。
そう言えば能登の畠山が残っていたか。どうでもいいが、能登の横には加賀の一向宗がまだ残っていた。忘れていたわけではないが、最近大人しいから話題に上らないんだよな。四国征伐が終わったら、能登と加賀を平定しないといけないな。中国とどちらを優先しようかな。
「能登と加賀はどうなっている?」
「加賀の一向衆は大坂御坊が更地になったと聞き、かなり動揺しております。不安を煽るために流言を行っています」
板垣信方の回答に俺は頷く。一向宗の門徒は信仰に揺さぶりをかけるのが一番だ。死んでも天国なんかいけない。念仏を唱えても天国にいけない。武器を持って乱を起こすお前たちは地獄に落ちるのだと、まことしやかに流布する。それがボディブローのように効いてくるはずだ。
「能登の畠山には、離間工作を行っております。現当主畠山義総とその父の慶致による二元政治を行っておりますれば、そこをつっついております。最近は親子喧嘩が絶えないそうにございます。さらに重臣の遊佐総光と温井孝宗は犬猿の仲でしたので、遊佐が義総、温井が慶致について争っております」
四国の平定が終わったら加賀と能登を攻めよう。
越中の武田信守の第五軍団を主とし、あと一軍団、いや二軍団を投入しよう。
「四国が片付いたら第一二軍団と第一三軍団を創設し、武田信友と武田信貞を軍団長に就け北陸平定を行う」
「「「はっ」」」
北陸は武田で攻め滅ぼす。本当は俺も行きたいところだが、俺が出ていくのを止める奴が多いんだよ。だから二人の弟を軍団長に就け、能登と加賀を攻める。
俺は中国と九州征伐に出て行かせてもらおう。それくらいいいだろ?
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