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085 畿内平定

 この物語はフィクションです。

 登場する人物、団体、名称は架空のものであり、実在のものとは関係ありません。

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 085 畿内平定

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 大永八年一月一〇日。(一五二四年)


 新年早々昇殿して帝に新年のご挨拶を済ました俺は、五摂家や有力公家への挨拶に数日を要した。京の都にいると、こういうことで新年早々忙しい。


 昨年末には嫡子五郎と二条様の姫との婚約を発表した。

 さらに今年は桜子と一条房通様との婚儀があり、その次が越中武田の小夜と佐竹義篤との婚儀だ。慶事続きで母上や妻たちは忙しくしている。

 小夜と従兄信貞もすでに京の都に入っていて準備をしている。


 さて、京の都に目を向けると、かなり復興してきた。破壊された家屋の建て替えを急がせ、新年を新しい家で迎えた者たちの笑顔が見える。

 かなり銭を使っているから経済活動が急激に上向き、働く場所には困らない。足利の世が続いていたら、見ることのできなかった笑顔だ。


 内裏のほうも仮御所を建ててから、今の御所を建て替えることになっている。さすがに三カ月で仮御所を完成させることはできなかったが、来年は仮御所で新年を迎えることができるだろう。

 新年の挨拶にお伺いした時に、御所の建て替えの話になった。帝が大変感激しておられた。


 軍団の入れ替えもこの正月に行う。板垣信泰はぶつぶつ言っていたが、他の者にも武功を立てさせてやらんと不満が出て来るからな。


 重臣たちの新年の挨拶を受けてから、これまで駐留していた第一軍団、第二軍団、第四軍団、第六軍団、第七軍団は東へ帰っていく。代わりに第三軍団と新設した第八から第一一軍団を投入する。


 第三軍団は甘利宗信が引退して原友胤が軍団長に就任している。副軍団長からの昇進だ。今後は丹波に配置して、丹波から但馬、丹後に睨みをきかせてもらう。


 新設した軍団の軍団長も、主に副軍団長だった者たちを昇進させている。


 第八軍団は元第二軍団副団長の工藤虎豊が軍団長に就任。さらに四国征伐の総大将に任じた。


 第九軍団は元第四軍団副団長の北条高定が軍団長に就任。四国征伐の後詰及び補給担当。


 第一〇軍団は元第五軍団副団長の今井信元が軍団長に就任。摂津に入れて播磨方面に睨みをきかせる。


 第一一軍団は元第六軍団副団長の松平親善が軍団長に就任。四国征伐の副将だ。


 これまでは甲斐と信濃の比較的早期に家臣になった者たちばかりが軍団長になっていたが、今回は違う。

 甲斐からの譜代家臣だけでなく、越後や三河出身の家臣でも軍団長になれる。そう思わせることができる人事だ。

 もっとも軍団長ともなると一万以上の兵を指揮することになるから、それだけの指揮能力が必要になる。それがない者を団長に就任させることはない。


 叔父縄信や甘利宗信が以前言っていたが、一〇〇〇や二〇〇〇ならともかく数千から一万以上の兵を指揮したことなどなかったから、最初の頃はかなり苦労したんだとか。

 甘利は伊勢氏綱の父である伊勢宗瑞(北条早雲)の命がけの策に引っかかり大きな被害を出した。伊勢宗瑞の知略が勝ったのもあるが、大軍を率いるのに慣れてなかったことも影響したのだろう。


 つまりそれだけの指揮能力が要求されるのだ。だから副軍団長を昇進させる人事を行った。

 それぞれ副軍団長として軍団運営の補佐をしてきた者たちだ。必ずや期待に応えてくれると信じている。

 また、第一から第一一軍団の副軍団長はまだ若い者が多いが、経験を積んで将来の団長になってもらいたいものだ。




 大永八年二月一三日。(一五二四年)


 慶事も終わって四国平定の機運が高まっている中、佐竹義篤は小夜を連れて常陸に帰っていった。仲睦まじい夫婦になって、幸せに暮らしてもらいたいものだ。政略結婚を斡旋している俺だが、親類縁者が不幸になるのは見たくない。


 その佐竹だが、紀伊国伊都郡の所領に義篤の弟の義元を入れた。史実では義篤に反旗を翻す義元だが、この世界では反旗を翻していない。

 義元を紀伊国伊都郡に入れたことで、反旗を翻しても三万石ほどを失うだけになった。俺なら謀反する気にならない。義篤もそう考えたのかもしれない。


 さて、懸案だった子供たちの傅役と守役の話だが、伊勢氏綱と小畠虎盛の二人を嫡子五郎の傅役に決めた。この二人は名実共に俺の重臣である。文武に優れた者たちだから、嫡子の傅役としてしっかりと教育してくれるだろう。


 長男一郎の守役は長尾景長と長野憲業だ。この二人も重臣だが、元々上杉家の家臣筋だから丁度いいと思った。


 三男次郎の守役は竹中重氏と九戸連康だ。重臣とまでは言わないが、文武に優れた竹中重氏と騎馬の扱いに長けた九戸連康に任せることにした。


 五郎は将来武田家を継ぐ嫡子。

 一郎は上杉家を継ぐ。上杉憲房との約束を守り、上杉の跡取りとして一国を与える。おそらく上野国になるだろうが、それはその時の状況を勘案して考える。

 次郎も一郎と同じ上杉殿の子だが、上杉を継ぐということはない。将来武田を支える一門になってほしいものだが、一郎次第では……。


 問題は三郎だ。九条殿の子だから、本来なら武田家を継いでもおかしくなかった。近衛殿の子の五郎が先に生まれてしまったため、三郎は武田を継げないのだ。不満に思うかもしれないから、そうならないように子供たちの関係に気を配らないといけない。一国を与えるのは構わないが、それは三郎次第だな。





 大永八年二月一六日。(一五二四年)


 太政府の治世は、法による支配。

 そのためには法を定めなければならない。

 御成敗式目? 建武式目? 今川仮名目録? 甲州法度次第? そんなものは無視だ。

 現代法を元に、この時代に合うように簡素化する。憲法があり法律がある。帝を頂点にした立憲君主制だ。

 絶対君主制でないのは、帝も俺も神ではないからだ。たとえ俺が善政を行っても、いつか死ぬ。一〇年先か、五〇年先かは分からないが、必ず死ぬ。

 俺が死んだ後、五郎や子孫たちが善政を行うか分からない。そういった時に一定の制限をかけるためのものだ。

 もちろん他の実力者たちを縛るためでもある。


 まずはベースとなる憲法を定めないと話にならない。憲法第九条なんてない。自衛さえできない憲法は不要。人権はあっても、過度なものではない。選挙権はさすがに時期尚早だろう。だが民にも優秀な人は多いから、そういった優秀な人材を引き上げられる仕組みにしたい。


 憲法案を箇条書きにし、それを重臣たちに諮る。

 喧喧囂囂と議論されるが、基本的には武士の権利を守ろうとする。

 こうして聞いていると、その人物の思想や考え方というものがよく分かる。こんな奴だったのかと思う者もいる。


「武士の権利は構わないが、武士だからなんでも許されると思うな。俺もそうだが、やっていいことと、やっていけないことはある」


 俺の言葉に、重臣たちがおし黙った。

 考えて議論を尽くせ。それが法による支配を受け入れる第一歩だ。


 法による支配をすぐに導入することはできないだろう。これまでの法とはまったく違うものだから、時間がかかるのは当然だ。

 日ノ本を統一した後に発布できれば早いほうで、俺は一〇年単位で議論されるものだと思っている。


 俺なら強硬に発布できるが、それはしない。俺一人が納得しても、法は守られないからだ。だから納得や妥協できる法を作る。最初はその程度でいい。少しずつ前に進めていくしかないのだから。




 大永八年三月一日。(一五二四年)


 摂津の大輪田泊から船が出港していく。四国征伐の先陣を任せられた第八軍団を乗せた船が海を埋め尽くさんとしているのだ。

 こうして見ると、なかなか壮観な光景だ。


 第八軍団長の工藤虎豊は文武両道で沈着冷静な男だ。淡路を経由して讃岐へ上陸する予定で、問題なく先陣を務めるだろう。

 第二陣は第一一軍団の松平親善だ。こちらは紀伊から阿波へ向かうことになっている。


 波を乗り越えて進む武田海軍の船には、安宅船も混じっているが多くは駕臨(ガリン)船―――ガレオン船のような竜骨を持つ船だ。

 安宅船は帆ではなく漕ぎ手を使って進んでいく。駕臨船は布帆に風を受けて進む。風が適度にあると駕臨船のほうが圧倒的に速いが、安宅船は小回りが利く。武田海軍である太平洋艦隊(元第一海軍)と日本海艦隊(元第二海軍)と志摩水軍はほぼ駕臨船に置き換わっている。大型、小型が入り混じるものだが、小型でも駕臨船の基本設計を踏襲したものだ。

 それに対して紀伊水軍は安宅、関船、小早がメインで、駕臨船はそんなに多くない。村上水軍(仮)に至っては、駕臨船はたった一隻しか配備されていない。さすがに置き換えが間に合っていない。


 戦列艦もある。超大型の駕臨船のことだが、戦列艦には大筒が一〇〇門程度載せてある。長島の一向宗を壊滅に追い込むために造ったものだ。武田海軍全体を見ても三〇隻に届かない数しかない。さすがに大筒を一〇〇門も載せているから交易には向かず、護衛艦として運用している。



 ――― 船の積載量(あくまでも目安または設定です) ―――

 ・小早 : 一〇〇石

 ・関船 : 四〇〇石

 ・安宅 : 八〇〇石

 ・大安宅 : 一二〇〇石

 ・小型駕臨船 : 一〇〇〇石

 ・中型駕臨船 : 二五〇〇石

 ・駕臨船 : 四〇〇〇石

 ・戦列艦(大型駕臨船) : 護衛艦として一〇〇門の大筒を搭載しているため積載量は多くない。


 ――― 米に関連すること ―――

 ・一石の重量は一五〇キロくらい(二俵半)。

 ・一俵は六〇キロ。

 ・二石の換金基準は一貫(一〇〇〇文)だが、相場に左右される。

 ・租税が五公五民の場合、一〇万石の領地から五万石の租税が得られる。

 ・一人が一年間で食べる米の量が一石相当。


 

ご愛読ありがとうございます。

これからも本作品をよろしくお願いします。


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