008 人材
さて、今回の上洛は八割がた目的を達したと思う。合格点だろう。
マイナス点は細川政元にハメられ幕府のお墨付きをもらうことができなかったことだ。ただし、今回の件で俺が幕府に対して反抗する正当な理由ができた。
「若。甲斐守ご就任、おめでとうございまする」
「「おめでとうございまする」」
信泰の音頭で虎盛、十郎兵衛の二人が復唱した。三人はとても嬉しそうである。
「いやー、まさか子供の若に官位官職が贈られるとは思ってもいませんでしたな。はーっははは」
十郎兵衛が軽やかに笑った。
「十郎兵衛、若に失礼な物言いをするでない!」
「信泰殿は堅い。堅いぞ」
二人はいつもこんな感じだ。武辺者で生真面目な信泰とちょっと傾奇者といった十郎兵衛なので、平行線である。
「しかし、これほど上手くいくとは思いませんでした」
「うむ、ここまでとは思ってもいなかったぞ」
虎盛と信泰がにやにやしながら話す。
三人の表情からは本当に嬉しいのが分かる。
「しかし、将軍家と管領殿にも困ったものだ……」
信泰は腕を組んで呆れた表情をした。
「残念なことにあのお二人は、我らが将軍家や管領家に尽くすのが当たり前だと微塵も疑っていません」
虎盛は心底呆れているようだ。
「あの二人のことはいい。あんな調子ではそう長くないであろう」
俺は吐き捨てるように言った。
「長くない?」
「信泰、足利将軍家と管領の無能さはここ最近顕著になっている」
「若、そのようなことを誰かに聞かれでもしたら」
「聞かれて困ることはない。無能は無能で大人しくしておればいいのだ」
「「「………」」」
「そもそも将軍家は天下を安らかに治めるのが仕事である。だが、昨今の将軍家は天下に乱を起こすことが仕事になっている。そんな将軍家になんの意味があろうか」
俺の言葉に三人は顔を見合わせて困ったような表情だ。
この話は十数年後(数十年後かも?)に、俺が天下を狙うことを家臣たちに表明するための伏線なのだ。
ちょくちょく足利将軍家に不満があるということを話していこうと思う。それによって俺から離反する家臣も現れるかもしれないが、誠意をもって話しても分かってもらえないことは往々にしてあるのだから、それら全てを未然に防ぐことはできないと思う。
だが、誰が俺に不満を持っているのかは、把握しないと足を掬われることになるので、そういったところはしっかりと見極めていかなければならない。
何はともあれ、まずは甲斐統一。そして海を手に入れることだ。
そうやって地力をつけなければ、天下を望むことなどできはしない。
▽▽▽
俺たちは一カ月に及ぶ京の滞在を終えて、甲斐への帰途についた。
上洛する時は駿河から海路で堺へ渡ったが、帰りは陸路だ。まだ二月なので、北陸路は雪深くていけないので近江、美濃、尾張、遠江、駿河を通って甲斐へ帰ろうと思う。
ただ、懸念もある。それは今川家と武衛家が遠江で戦っていることと今川家の領地を通るということだ。
武田家と今川家は決して良好な関係ではないのに、なぜ危ない道を通るのかというと、どの道を通っても危ないからだ。
仮に美濃から信濃に入って甲斐を目指したとしても、信濃の諏訪家、そして甲斐国巨摩郡に勢力を誇る今井信是が武田の敵だからだ。
この二つの勢力は今川と違って完全な敵対者である。諏訪家はしばしば巨摩郡に乱入してくるし、今井信是は武田の甲斐支配に反抗している。
また海路をいけばいいじゃないかと思うだろうが、甲斐を統一した後は、駿河をまっさきに狙うことになる。だから、少しでも駿河の土地を見ておきたいのだ。
まず近江に入るが、近江は京に近いこともあって六角家の本拠地である観音寺城は大きく、そして城下町も賑わっている。
「ここは某の庭でござれば、案内はお任せくだされ」
そういえば、十郎兵衛は六角家に仕えていたんだったな。そんな奴が六角家のお膝元を大きな顔をして歩いていていいのだろうか?
十郎兵衛は鼻歌を奏でながら、観音寺城の城下町を歩いていく。
「若、ここで宿をとりましょう」
そう言って十郎兵衛が入っていった宿は、趣のある建物である。
「おう、じゃまするでー」
「いらっしゃいませー。あら、十さんじゃないですか!」
どうやら十郎兵衛の既知の宿のようで、下女が十郎兵衛にすり寄っていく。
胸とお尻が大きくてなかなか美人の下女だ。
「お花、久しぶりだな」
「十さんが、京へいってから三カ月くらいね。どうせ浮気してたんでしょ」
お花という下女が十郎兵衛にしなだれて色目を使っている。鳩胸で俺好みなんだが、さすがに八歳では立つものも立たない。
「今日は俺が仕えるお方を案内した。失礼がないように頼むぜ」
お花のお尻を撫でながら言うことか?
「あら、こちらの逞しいお侍様のこと?」
お花は信泰を十郎兵衛の主だと勘違いしたようだ。
「違う。そこのちっこいのだ」
「こら十郎兵衛! 若をちっこいと言うな! 失礼であろう!」
俺をちっこいと言うと、信泰がいつものように十郎兵衛を窘めた。
「へいへい」
「まったくお前は言葉が悪すぎる!」
この二人のコントはいつも通りだ。
「お花とやら、世話になるぞ」
虎盛は足軽たちに色々指示をしているので、俺は信泰と十郎兵衛のコントを無視してお花に話しかけた。
「はい。よろしくお願いします。今、水を持ってきますのでお待ちくださいね」
六角の城下町について情報を得るつもりだったが、十郎兵衛がいるのでそれなりに教えてくれた。
「ところで、この近江は甲賀があり、隣には伊賀がある。十郎兵衛は乱波の知り合いはおらんのか」
信縄おやじ殿はあまり忍者の類は使っていない。だから、俺は自力で忍者を探す必要があるのだ。
「乱波ですか……ん、たしかあいつは甲賀五十三家だったよな?」
「当てがあるのか」
甲賀五十三家というのは甲賀忍者の前身となった家々のことだ。
筆頭格はたしか望月家で、甲賀の望月家の出自は信濃である。信濃には望月、海野、根津の滋野三家と言われる家がある。
その信濃の望月が甲賀に入って甲賀五十三家の筆頭になっているのだ。
ちなみに、滋野家から三家が分派しているが、そのうちの海野家からはあの真田幸村で有名な真田家が分派している。
「当てってほどのことでもないが、既知の奴がいる」
「ほう、その者に会わせてもらえるか」
「まぁ、いいでしょう。繋ぎをとってみましょう」
まさかこんなに簡単に忍者と繋がりが持てるとは思ってもいなかったので、とても嬉しい。
数日宿に泊まって待っていた俺を十郎兵衛が連れ出し、ある屋敷に入って座敷で待っていた青年と会う。
その青年は俺に上座を譲って下座に座った。朝廷から正式に甲斐守に任じられ、さらに目の前の青年を雇う可能性がある俺を立てたのだろう。
「某、望月佐平次と申します」
俺に頭を下げた青年はなんと望月と名乗った。
望月と言えば、甲賀五十三家の筆頭の家である。そんなビッグネームが出てきたのでちょっと焦った。
「武田甲斐守信直にござる」
佐平次は俺をまっすぐに見てくる。俺を主にしていいのか見定めているのだろう。
「望月と言えば、甲賀五十三家の筆頭格であったはず。今回、俺の目的を知って、俺と会ったと思っていいのだな」
「望月と言っても本家ではなく分家でございます。今は伯父上が本家を率いておられます」
「ふむ。そういうことか」
俺は悟った。この望月佐平次という青年は肩身が狭いのだ。
本家の望月家は有名な家だが、そこから分かれた家が必ずしもいい扱いを受けているとは限らない。
「正直に言うが、俺はまだ家督を継いだわけではない。だからそれほど多くを与えられないが、俺に仕えてくれるか」
「雇うのではなく、仕えるのでございますか」
「そうだ、仕えてくれ」
「………」
俺は佐平次の目をまっすぐ見てそう話した。俺にできるだけの禄は与えるが、無い袖は振れない。
数秒の後、佐平次は平伏した。
「望月佐平次、全身全霊をもって武田甲斐守信直様にお仕えいたしまする」
「そうか! うん、めでたい! 十郎兵衛、宴だ!」
「承知!」
こうして俺は望月佐平次を配下に加えることができた。
「若、この佐平次に新たな名をお与えくだされ」
「ふむ……。分かった。これからは虎益と名乗るがよい」
「虎益……。ありがたき幸せ!」
虎盛に虎益か。俺が誰かに名を与える時は虎をつけよう。うん、そうしよう。
その後、俺は不破の関を通って美濃へ入り、土岐家が治めている美濃の中西部を回って尾張に入った。
この頃の尾張はまだ武衛家(斯波家)が守護職で、織田信長どころかその父親の信秀も生まれていない。
甲斐に帰ったらこの武衛家に書状を送って、今川を潰す時の駒にしようと思う。もちろん、俺が駒にされる可能性もあるので、気をつけなければならない。
俺は津島から清洲に入って知多半島方面へ向かい、そこから三河に入った。
今、三河をまとめているのは徳川家康の高祖父である松平長親だ。とは言っても、三河には松平を名乗っている家がいくつもあるし、吉良家や戸田家など群雄割拠状態と言っていい。
それでも伊勢新九郎が率いた今川の大軍を押し返すのだから、松平長親はそれなりに優秀なのかもしれない。
遠江に入った。ここは今川家と武衛家が争っている土地だ。
今の守護職は斯波義達で、斯波義達は尾張と遠江の守護だ。
基本的には斯波義達は尾張にいるので、今川家と戦っているのは国人たちになる。守護代の甲斐家は今川家との闘いで疲弊してかなり弱体しているが、今川の遠江統一までまだ一〇年以上かかる。つまり、あと一〇年は争いが続くので、その間に俺は甲斐を統一して力をつけるとしよう。