077 天下へ大号令
この物語はフィクションです。
登場する人物、団体、名称は架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
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077 天下へ大号令
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大永七年三月一日。(一五二三年)
「母上。行ってまいります」
「ご武運を祈っております」
上洛する俺を、家族が見送ってくれる。
天下に号令したら簡単には帰ってこられない。畿内を安定させて、皆を呼び寄せるつもりでいる。
本拠地はまだ小田原だが、いずれ尾張に城を築き本拠地にする。それまでは京の都に比較的近い場所に仮の拠点を設けることになるだろう。
妻たち、子供たちに別れを告げて出発だ。天下が俺を待っている。
俺の直営軍二万五〇〇〇と佐竹軍一万が小田原城を出発し、東海道を西へと向かう。
中山道を進むのは、京の都にいる叔父武田縄信に代わって三浦義意が率いている第一軍団二万だ。
相模の小田原を出て駿河に入ると、浅間神社に詣でた。無事に上洛できるようにと祈願したのだ。
駿河と遠江を越えて三河に入ると、板垣信泰の第二軍団二万が合流する。
板垣信泰は相変わらず大きな声だ。年を考えたら落ちついていいのに、まったく衰えというものを感じさせない。
三河から尾張、そして伊勢の桑名に入ったところで雨に降られて五日の足止めがあった。まあ問題ない全体では進んでいる。それに元々ここで少し時間をとるつもりだった。
「で、北畠は来ないか」
「はっ。防備を固め、こちらに合流する気配はありません」
望月虎益の手の者が北畠の動向を探っていたが、敵対するようだ。伊勢国の国司ともあろう者が、帝の勅令で上洛する俺に敵対するとは情けない。
「某が北畠を滅ぼしてやりましょう」
今年一八歳の佐竹義篤が静かに提案してきた。一〇歳の時に家督を相続して八年。以前は下膨れの顔のおっとりとした男だったが、最近はかなり引き締まった表情をするようになった。
「今は上洛を優先させようではないか、義篤殿」
「左大将様がそう仰られるのであれば、某に否やはございません」
越中武田家の小夜が、佐竹義篤に嫁ぐことになっている。上洛後に落ち着いたら小夜が京の都にやってきて祝言だ。良い面構えの男になったから、安心して嫁がせられる。
「信泰。この桑名に兵五〇〇〇を置き、北畠に備えてくれ」
「承知しました」
真っ先に北畠を滅ぼしに行くと言うと思っていた板垣信泰が大人しい。こいつ京の都で暴れようと思っているな。北畠をぶっ飛ばしに行きたいんだが、上洛もしたいといったところだな。顔にすぐ出るから見れば分かる。
軍団長としては頼もしい信泰だが、腹芸は得意ではない。まあ信泰に腹芸を期待してないから構わないが。
大永七年三月一五日。(一五二三年)
いくら東海道を整備したといっても、これだけの規模の行軍は時間がかかる。前も後ろも人が切れずに行列になっている。この行列、何キロあるんだ?
桑名を出立して伊賀、近江と順調に進んだ。近江では六角軍五〇〇〇が合流して、道先案内を買って出た。
六角定頼に道案内してもらわなくても望月虎益は甲賀出身だから間に合っている。とは言わずに素直に道案内を頼んだ。家臣になった六角定頼に花を持たせてやるくらいなんでもない。
中山道を進んでいた第一軍団は美濃の大垣城に入って、予備戦力として待機だ。稲葉山城から今浜城を結ぶ大垣城は、以前から改修に改修を重ねて三重の水堀を備えた大きな城になっている。それに二万の第一軍団が滞在しても問題ない宿泊設備がある。
大永七年三月二二日。(一五二三年)
京の都に入ると、すぐに叔父縄信と合流した。ここまでは順調だ。当然と言えば当然だが、ここまで全て武田の領内だ。六角が裏切ったら話は別だが、望月虎益の手の者が見張っているから少しでもおかしな動きがあったらすぐに分かる。
「叔父上。久しぶりだな。報告は聞いている。京の都をよく守ってくれた」
「元々軍団を配置していたのだから、大したことはしてない」
「謙遜しなくていい。信賢叔父上と二人、よくやってくれた」
叔父縄信は軍団を統率して京の都を守り、叔父信賢は朝廷との折衝によって勅令を出させてくれた。二人の働きに感謝してもしきれない。
京の都に建てられた武田屋敷。叔父縄信が京の都に入ってから建設させた屋敷だ。五〇〇〇の兵士が駐留できるだけの設備を有している。俺直属の精鋭が守る大きな屋敷だ。
他の兵士や佐竹軍、六角軍はそれぞれ京の都で兵士を受け入れられる寺社などに分かれて宿泊している。それでも溢れる者は郊外に野営させるが、そこに長屋を建てさせている。武田の兵士はいつでも工兵になるのだ。
案内された部屋に入ると、叔父信賢の他に関白二条尹房様、近衛稙家様、九条尚経様、鷹司忠冬様がいた。そしてもう一人、初めて見る顔がいる。誰だ? この中に居るということは五摂家に近い方だと思うが……まさかな。
摂関家の方々の下座に座った俺の後ろに二人の叔父も座る。
「左大将殿。久しいの」
俺と一番付き合いが長い九条尚経様が声をかけてくれた。
「はっ。皆さま、お久しぶりにございます。ご健勝のこととお慶び申し上げます」
「堅苦しい挨拶はよいよい。さて、左大将殿。こちらはな、一条殿だ。よしなに頼むぞ」
近衛稙家様が紹介してくれたのは、やっぱり一条様か。年齢から考えたら一条房家様だろう。土佐から帰ってきているとは聞いていたのでもしかしたらと思っていた。
「一条房家だ。なんでも五摂家で左大将殿と縁を結んでいないのは当家のみと聞いた。仲間外れはいかんぞ、左大将殿」
なんて答えればいいのか、反応に困る。にやにやして俺が困っているのを見て楽しんでいるようだ。性格が悪いな。
しかしこれで五摂家がそろい踏みだ。厳密には一条房家様は五摂家の一条家当主ではないから、ちょっと違うか。
「はっ。申しわけなく存じます」
「ははは。よいよい」
手をひらひらさせて気にしてないという態度をするが、気になる表情だ。
「おお、そうだ。今年一四歳になる麿の子がいるのだが、左大将殿の娘にどうであろうか?」
さらっと何を言っているんだ、この人は。
今一四歳ってことは、一条房通様だと思われる。一条房通様は一条房家様の次男で、永正一一年に亡くなった一条冬良様の跡を継いでいる。
ややこしい話だが、目の前にいる一条房家様の父親である一条教房様と一条冬良様が兄弟で、その上に兄が居たんだが、その兄が一条家の当主だった。
一条教房様は土佐に下向して中村に拠点を築いたんだが、一条家当主の兄が他界した時に弟の一条冬良様が一条家の家督を継ぐことになった。その一条冬良様が他界したのが永正一一年で跡継ぎがいなかったことから、土佐一条家の当主である一条房家様の次男である一条房通様が一条家の家督を継いだわけだ。
でもおかしいな……一条冬良様の娘が一条房通様と婚姻しているはずなんだが? 後から叔父信賢に聞いてみるか。
「これこれ、一条殿。左大将殿が困っているではないか。その話はまた日を改めてしたらどうかの。今日はあの件で集まっておるのだ」
関白二条尹房様が一条房家様を窘めてくれた。なんと返事していいか、判断に困っていたから助かった。
「仕方がないのう。左大将殿。日を改めて話をしようではないか」
「承知しましてございます」
後ろに座った叔父たちが声を殺して笑っている。二人はそのことを知っていたな。あとでぶっ飛ばしてやる。
その後、帝に拝謁する日程などを聞き、天下に号令した後の話をする。
「まずは畿内を安定させ、京の都の復興を行います」
「「「「「おおお」」」」」
復興と聞いて皆様が歓喜の声を出した。
力のない足利を切り捨てなかったのが原因だから、朝廷にも責任の一端はある。責任はあるが、一番悪いのは足利とその取り巻きたちだ。
特に足利将軍家と斯波、細川、畠山の管領三家は族滅してもいいくらい罪が重いと俺は考えている。
足利尊氏以降、足利将軍家は戦争の中心に居た。統治者でありながら、統治できない家だったのだ。それなのに朝廷は足利を征夷大将軍にし続けた。京の都を何度焼かれても、足利を将軍のままにした。改革や変化を嫌う体質がそうさせたのだと思う。
「それでは左大将殿を征夷大将軍に任じ、太政大臣にすればよいのだな」
関白二条尹房様が仰るように、征夷大将軍に任じてもらう。これは征夷大将軍職の足利世襲を否定するための処置だ。もう足利の世ではない。そう天下に知らしめるのだ。
征夷大将軍が政を行うのは、源頼朝依頼行われている慣例と思われている。鎌倉幕府、足利(室町)幕府と二つの幕府によって、三〇〇年以上政が行われてきた。俗に言う慣例というやつだ。
だがよく考えてみてくれ。源頼朝が征夷大将軍に就く前はどうだったか。平清盛は征夷大将軍ではなかった。それ以前は公家によって政が行われていた。平清盛や公家の政が良い悪いではなく、征夷大将軍以外の者が政を行っていたのだ。
そう考えた俺は、この国の律令制の最高位である太政大臣に目をつけた。今の太政大臣は名誉職のようなもので、実質的に最高位は左右の大臣だ。それでもその上に太政大臣がある。
どうせ名誉職なんだから活用してやればいい。引退した公家に贈られることもあるから今後はそれができないが、そこは調整すればいい。
「はっ。以後は太政府が政を行います」
「つまり以後は征夷大将軍ではなく、太政大臣が政を行う。これで良いのだな」
「その通りでございます」
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