071 将軍逝く
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071 将軍逝く
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大永五年九月一五日。(一五二一年)
今年は東北をほぼ手中にした。多少の抵抗勢力は残っているが、そんなものはカスでしかない。
「武田縄信」
「はっ」
叔父の武田縄信が慇懃に頭を下げる。
「岩代に移封する」
「はっ、ありがたき幸せにございまする」
今回の東北統一の論功行賞で、叔父縄信を下総から岩代に移封する。下総は開拓が進んで、石高は五〇万石ほどあった。叔父縄信がしっかりと治めてくれたおかげだ。
移封先の岩代も石高は五〇万石ほどだが、開発すれば一〇〇万石ほどにはなるだろう。再び苦労をかけるが、越中武田と共に武田の家を盛り立てて欲しい。
「武田信友」
「はっ」
弟の次郎は相変わらず体が細く頼りなく見える。だが、次郎は頭がいい。
最上を押さえろと命じたら、しっかりと最上を手に入れた。しかも、ほとんど抵抗されることがなかった。次郎の補佐につけておいた西村正利の働きもあったのだろう。だが、満足できる結果を出した。
「次郎には羽州の田川郡と村山郡を与える。しっかり治めるように」
「はい!」
ちょっと前までは、叔父縄信が今まで治めていた下総か甲斐を次郎には与えようと思っていた。だが、伊達や最上といった主要な大名や国人が反旗を翻してくれたおかげで、東北地方に空き地ができてしまった、否、できてくれたのだ。
次郎に与えたのは、羽前の半分以上になる。石高は五〇万石程度か。もっと活躍すれば、置賜郡も与えてもいいだろう。置賜郡は三〇万石くらいあるはずで、合わせればそれだけで八〇万石だ。
他に最上郡もあるが、そこは大した石高ではない。それでも、羽前全体なら九〇万石にくらいにはなる石高だ。
置賜郡はしばらく宗家の直轄地にする。最上郡はこまごました者を入れてあるが、そういった者たちを監視するのが次郎の仕事でもある。
俺に近い一門衆には、重い責任を担ってもらう代わりに石高は多くなる傾向にある。もちろん、譜代家臣や最近家臣になった者も能力に応じて加増する。
ただ、あまり家臣の領地は増やしたくない。ケチっているわけではない。家臣の領地が多くなると武田の天下が揺らぐ可能性があるからだ。俺が生きている間に、ある程度の地盤は作っておいてやる。それでも武田が滅ぶこともあるだろうが、それについては俺の子供や子孫が考えるべきことだ。
だから、要所に一門衆や譜代の家臣、そして信用できる家臣を入れてやるつもりだ。
さて、譜代家臣であり、第三軍団長である甘利宗信には、羽後を与えることにした。
どこが良いかと聞いたら、旧安東領が良いと言うのだ。そんな遠くていいのかと聞いたのだが、本人がそれで良いと言うのだから、俺はそれを了承した。
だが、宗信が羽後に入ったことで、南部に睨みを利かせることができる。おそらく、宗信はそれを考えて旧安東領を希望したのだ。苦労人の宗信らしいと思う。
たしか、鹿角あたりに銅の鉱山があったはずだ。それに羽後にも金山があったはず。細かい場所は分からないが、調べれば見つかるはずだ。宗信には苦労をかけているから、銅山や金山を見つけてやってその一部を与えてやろう。
「甘利宗信には羽後に加え鹿角を与える」
奥州を陸奥、陸中、陸前、磐城、岩代。羽州を羽前、羽後。本来であれば明治以降の旧国の呼び方を、武田家内では周知させている。
「はっ、ありがたき幸せにございまする」
他にも多くの者を東北に移封した。これは奥州と羽州に武田の支配を浸透させるため。先祖代々の土地を出ることを嫌がる奴は居た。だが、嫌だと言う奴には、無理にとは言ってない。ただし、移封先の領地は元の領地よりも石高が多い。嫌なら褒美はなしになるだけだ。
国人の多くを移封したことで、空いた関東の土地の多くは武田宗家の直轄地にした。これによって、関東平野の米生産を爆上げさせるつもりだ。その米が戦のなくなった世の人口増加を支えるのだ。
そのため、俺は本拠地をいずれ移すつもりでいる。京の都から遠くなく、それでいて近くない場所がいい。その候補地は尾張。関東からそこまで遠くなく、武田が根差した甲斐からもそれほど遠くない。それでいて京の都からも遠くない。
おっといけない。まだ天下を盗ったわけでもないのに、こんな話をするとフラグが立ってしまうな。
主だった論功行賞が終わったので、今度は賞罰の罰のほうだ。と言っても、これはもう決まっている。
最上家当主の義定は去る七月に他界した。足利の支流の支流だったが、足利に連なる名門最上家は事実上滅んだ。
俺が殺したのではない。元々病気だったところに中野義清が俺に反旗を翻したことで、次郎が米沢城に乗り込んだ時には虫の息だった。色々手を尽くしたが、回復することなく逝った。
最上義定には息子がなく、これで最上は途絶えることになる。もちろん、中野義清のような最上一門は居るが、中野義清は斬首にした。
本来であればこの中野義清の息子が最上を継ぎ、最上義守になる。だが、この世界で中野義清の子が最上を継ぐことはない。最上家は断絶したのだ。
最上の家臣は次郎の下につける者、他の土地に移封する者、俺の直臣にする者などに分けた。もちろん、主家に殉じた者もいるが、それは極わずかだ。
最上の次は伊達だ。胤宗と主だった重臣は戦死した。天文の乱を起こした胤宗の息子の晴宗はまだ幼子だが生まれている。
晴宗が生きているということは伊達の血脈は途絶えない。つまり、晴宗の孫にあたる独眼竜政宗は生まれる可能性がある。ただし、政宗の母親は最上義光の妹なので、こちらは生まれないと思う。だから、将来伊達政宗が生まれたとしても、それは俺が知る独眼竜政宗ではないはずだ。
伊達は幼子の晴宗に玄米一〇〇〇石を与え、家を存続させた。領地はない。留守は潰したが、葛西と相馬にも領地なしの玄米一〇〇〇石を与えることで家を保つことを許した。
伊達家のような大名が玄米一〇〇〇石の弱小国人並みの石高になったのだ、その家臣たちは大変だろう。ほとんどの家臣は放逐されることになる。その伊達の家臣を引き受けるのは、加増された俺の家臣たちになる。浪人になって放浪する者もいると思うが、そこまで多くないと思う。
斯波と小野寺は領地なしの玄米一〇〇〇石、和賀と稗貫と安東には領地なしの玄米五〇〇石を与える。
また、内応していた由利十二頭の六家には、領地を安堵。ただし、それ以外の由利十二頭は改易した。
最上だけ家を潰して、他の反乱勢力は家を保っている。これは不公平だと言う奴もいるが、そもそも最上は勝手に血が絶えたのだから俺のせいではない。
さて、俺に味方した南部、大崎、戸沢、蠣崎だが、南部には津軽を含めた陸奥(青森県)と陸中(岩手県)の北部の領有を約束通り許した。
津軽平野を開発すれば、一〇〇万石も夢ではない。ただし、産業を興さないと武士が貧乏になるだけだぞ。
米はこれから武田の領内で生産量をもっと増やしていく。そうなると、米の値段は下がることになる、米を収益の柱にしているとどんどん貧乏になっていく。そうならないためにも、米以外の産業を興さないといけないのだ。
大崎は越後に移封した。大崎は奥州探題の家柄だが、今は武田の家臣だ。奥州には武田の血が多く入ったが、それでも大崎を奥州に置いておくのはよろしくないだろうと思っての移封だ。
戸沢はもっと豊かな土地が欲しいと言うから、信濃に移封した。信濃も冬は雪深いが、石高は上がっているのでいいだろう。
蠣崎には今まで通りの蝦夷の領地を安堵したが、これからはアイヌ民族との融和を指示した。
現代で北海道と言われる蝦夷には、鉱山もあれば昆布や鮭などの産物もある。争っているより、そういった鉱山開発や産物の生産量を上げるほうが有意義だと俺は思うし、そっちのほうが豊かになれると教えておいた。
南部:青森県全域と岩手県の北部。
大崎:越後に移封。
戸沢:信濃に移封。
蠣崎:蝦夷の領地を安堵。
伊達:領地なしの玄米一〇〇〇石。
留守:改易(伊達に吸収)。
葛西:領地なしの玄米一〇〇〇石
相馬:領地なしの玄米一〇〇〇石
最上:改易(血筋が絶えた)。
安東:領地なしの玄米五〇〇石。
斯波:領地なしの玄米一〇〇〇石。
和賀:領地なしの玄米五〇〇石。
稗貫:領地なしの玄米五〇〇石。
小野寺:領地なしの玄米一〇〇〇石。
由利十二頭:内応していた家(六家)は領地安堵。それ以外は改易。
武藤(大宝寺):滅亡。
浅利:滅亡。
北畠:直臣になり領地三〇〇〇石と玄米五〇〇〇石。
九戸:直臣になり領地二〇〇〇石と玄米三〇〇〇石。
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大永五年一二月一〇日。(一五二一年)
年の瀬が迫る小田原城。
急激に領地が広がったので、しっかりと安定させないといけない。
いくら俺でも、武田の領地なら安定するなどという根拠のない自信はない。ちゃんと領主として、多くの国人を率いている者として、やることはやっている。
そんな俺の下に、京の都の情報が入って来た。
「ほう、将軍が死んだか」
去る一一月初旬に足利義稙が逝った。追放されて失意の中で死んだのではなく、いつものように酒宴に耽って寝入ったら、そのまま逝ったらしい。
応仁の乱に始まった近畿の大混乱は、足利に統治能力がなかったために長く続いた。この混乱でどれだけの人が死んで、家族を奪われ、多くの人が不幸になったことか。義稙だけが原因ではないが、俺は奴を悼む気にはなれない。
「はっ、卒中とのことですが……」
「まあ、殺されたんだろうな」
殺した奴の予想は、それほど難しくない。義稙が邪魔であり、新しい将軍に目途がついた奴だ。だが、一二代義晴は誕生させないぞ。それをすれば、俺は朝廷と袂を分かつことになる。
「松尾の叔父上には、一二代目の将軍就任はない。そう伝えてくれ」
「承知しました」
望月虎益が背筋を伸ばした。虎益とも長い付き合いだ。近畿のことが片付いたらしっかりと報いてやろう。
「来年は上洛ですかな」
真田頼昌が顎に手をやりながら発言した。
虎益を始めとし、軍略方の伊勢氏綱、教来石信保、西村正利、相談役の板垣信方、長尾景長、織田信定がその言葉に頷いた。
「いや、上洛は再来年だ」
「一年開けるのですか?」
信方が目を細めて聞いてきた。
「一年開いても将軍が決まらぬのであれば、大名や国人たちも朝廷は足利を見放したと思うだろう」
「なるほど。そこに殿が上洛して、天下に号令するのですな」
「そうなるように、叔父上には気張ってもらわねばな」
皆が頷く。
「管領殿や幕臣たちが関白様に圧力をかけると思われます。保護されたほうがよろしいのでは?」
「そうだな……」
二年後には嫡男五郎と二条様の姫が婚約する予定。つまり、関白二条尹房様は親武田だ。
近衛家と九条家は俺の妻たちの実家だし、俺の妹が鷹司家の御曹司に嫁いでいる。一条様以外の摂関家と武田は姻戚関係にある。
仮に武田が天下を取れなくても、親武田の公家を俺は決して見捨てない。逆に言えば、反武田の公家を保護する気はない。
「今浜城、大垣城、朽木城、清水山城、稲葉山城の戦力を増強しましょう」
伊勢長綱の提案は理解できる。清水山城から朽木城経由で京の都まで進軍できるだけでなく、若狭武田を牽制できる。特に若狭武田を牽制できる絶好の位置に、清水山城はあるのだ。
新築したばかりの今浜城からは、船で清水山城に兵や物資を輸送できる。大垣城と稲葉山城はその後方支援ができる。特に稲葉山城は叔父上のお膝元なので、多くの兵を配備してもいいだろう。
「甲賀にも兵を増強しましょう」
信方が言うように甲賀に兵を詰めておけば、いざと言う時に朽木城方面からの軍と挟み撃ちができる。
それに、甲賀から京の都は目と鼻の先。何かあった時は、朽木城からよりも速く京の都に進軍ができる。
「しかし、甲賀に兵を入れると、六角が黙ってはおりますまい」
「六角だけではございません。管領殿も警戒しましょう」
教来石信保と西村正利が懸念材料を挙げた。
「関白様を害したら、武田が動くという意思表示であります。あからさまのほうがよろしいでしょう」
「頼昌の言う通りだな。甲賀には金丸筑前の第七軍団を入れる。また、諏訪頼満の第六軍団を清水山城に入れ、海野棟綱の第四軍団を稲葉山城へ配備する」
「それがよろしいでしょう」
「本来、軍団は大方針に沿った独自の判断ができるが、今回は関白様と朝廷に関係することゆえ、第四、第六、第七軍団の命令権は叔父上に与える。異論はあるか?」
皆は異論ないと言った。
「虎益は直ちに叔父上と合流し、今回の決定を伝えよ」
「はっ」
「信定は第四、第六、第七軍団への伝令だ」
「承知いたしました」
近畿のことに指示を与え、領内の開発、治安維持に関する政務もこなす。とにかく、俺は忙しい。
武田信虎を読んでくださり、ありがとうございます。
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