007 人材
「甲斐守護武田信縄が嫡男、武田信直にございまする。父信縄の名代として上様にご挨拶申し上げまする」
上様というのは将軍足利義澄のことで、目の前にはその義澄が座っている。さらに俺の両サイドには幕府のお歴々が座って俺を値踏みしているようだ。
「上洛、大儀である」
義澄はやる気のない声でそれだけ発した。
この義澄と俺には多少なりとも悪縁がある。それは、義澄の兄である足利茶々丸だ。
二人の父親は関東で堀越公方をしていた足利政知で、茶々丸は嫡男、義澄は次男であった。
茶々丸は義母と弟を殺して家督を継いだが、その時に将軍になっていた義澄はその茶々丸の討伐令を今川家に出して、その頃に今川家の食客であった伊勢新九郎(現、伊勢宗瑞)が先陣を切って茶々丸を攻めて追放した。
茶々丸が逃げ回った挙句に甲斐へやってきたが、その甲斐で伊勢宗瑞の手に落ちて殺されたのだ。茶々丸が伊勢宗瑞に殺されたのは問題ない。なんといっても義澄が討伐令を出したのだから。
問題はわずかな期間といえ、甲斐で信縄おやじ殿が茶々丸を匿っていたことだ。義澄にしたら面白いわけがない。
「は、恐悦至極に存じ上げまする」
義澄が将軍になったのは必然かもしれないが、義澄に実権はない。
義澄はあの日野富子や現在の管領である細川家第一二代当主、細川政元に祭り上げられて将軍になった。そして、当然のことだが実権を握っているのが細川政元であることは、誰もが知っていることだ。
義澄に関しては今から三年後の永正五年に、前将軍の足利義材を擁して大内義興が上洛の軍を起こすので、義澄は京を追われて失意のうちに亡くなってしまう。
まぁ、細川政元も二年後には暗殺されるんだけどさ。
「上様。武田の忠義、まことに天晴でございます。武田信縄を相伴衆に取り立ててはいかがでしょうか」
細川政元が突飛もないことを言い出した。
「何を言うか!? 余が元信を相伴衆に引き上げようとした時、政元はそれを頑なに拒んだではないか!」
義澄が前のめりになり、ほとんど叫びともとれる声を出した。
驚いたのは俺だけではなく、この場に居合わせたお歴々もだ。しかし、細川政元はそれほど驚いていないようだった。
「武田元信は武田の支流でございます。幕府の要職である相伴衆に加えるのは今でも反対でござる。されど、甲斐武田は武田の宗家でござれば、相伴衆に引き上げてもなんら不都合はござらん」
相伴衆というのは簡単に言うと将軍と食事を共にできる者のことで、この制度は義澄の祖父である足利義教が作ったとも言われている。
その相伴衆には、山名、一色、細川、京極、大内、赤松、畠山の七家に与えられた、ステータスシンボル的な役職なのだ。
武田元信は足利義材が復権しようと攻め込んできた時に義澄の援軍に駆けつけた。それによって義澄は足利義材を撃退できたのだ。
義澄はこの功績に対して武田元信を相伴衆に取り立てようとして、細川政元に反対されてしまった経緯がある。だから武田元信は相伴衆になれずに官位が贈られたはずだ。
武田元信は若狭武田家の五代目当主だが、先ほど細川政元が言ったように甲斐武田家から分かれた支流である。本家の甲斐武田と分家の若狭武田では、扱いが違って当然と言っているのだ。
この考えはこの時代としては当然のものなので、細川政元の言っていることを他の幕臣も支持している。
「余は決して認めんぞ! 認めんと言ったら認めんのだ!」
子供かよと思うほどの駄々のこねようだ。実権がないことで、相当鬱憤が溜まっているのかもしれないな。
義澄と細川政元の口喧嘩があり、義澄が席を立ったことで謁見は終了した。
こんな茶番を見にきたわけではないのに、無駄な時間を費やしてしまった。
細川政元も義澄ていどを御しえないとは、だらしがない奴だ。俺が次の甲斐守護である証として低い幕府の役職を適当にくれればよかったものを。
……待てよ、俺に役職を与えたくないので、信縄おやじ殿を相伴衆にと義澄に提案したのか? もしそうなら根回しに使った銭や品々を返せと言いたい。
くそ、細川政元にまんまと騙されたわけか。やってくれるぜ。悔しいことに細川政元に仕返しをすることができない。奴は二年後に死ぬんだから、俺が力をつけた時にはこの世にはいない。
まぁいい。今回のことで足利将軍家が甲斐武田家をバカにしたという事実が残った。これで幕府を見限る理由ができたのだから、それはそれでいいかもしれない。気持ちを切り替えてそう考えるようにしよう。
▽▽▽
俺は内裏に上った。本来であれば献上の品々を置いて帰るはずだったが、関白九条尚経様の娘の経子姫を京まで護衛した縁で、内裏でお上(後柏原天皇)のお言葉を特別に賜ることになったのだ。
いやー、縁というのは本当に大事だよね。あのクソ将軍と幕閣どもにコケにされたから今回の上洛はケチがついたかと思ったけど、因果応報とはよく言ったものだ。
「よくきてくれた」
御簾越しのゆっくりとした口調のお上の声はなぜか幻想的だった。まさかここまで感動するものだとは、自分でも不思議でならない。
「父信縄は即位の礼のことを常々嘆いております」
「その心、受け取ったと信縄に伝えてほしい」
「帝のお言葉に父信縄も感涙することでしょう」
俺もなぜか涙が出てきたので、袖でそっと拭う。
「お上より格別のご恩寵を賜った」
九条尚経様がそう言うと、紙を広げた。
「源朝臣武田信縄を従四位上左近衛中将及び武蔵守に任じるものである。また、左京大夫及び陸奥守は留任とする」
信縄おやじ殿は元々従四位下だったので、官位が一つ上がって、左近衛中将をもらったわけだ。
そして、『源朝臣』は簡単に名乗れない特別な名である。だから、これを朝廷が認めたことはとても大きな意味を持つ。
「その子、武田信直を従五位下甲斐守任じるものである」
よし、甲斐守きた! これがほしくて上洛したんだ。これだけでも上洛のための長旅の疲れが吹っ飛ぶってものだ。
これで俺が甲斐を治める理由が立つ! 幕府の守護職は信縄おやじ殿が亡くなってからでいいが、今回の甲斐守は俺が次の甲斐の主だということを朝廷が認めたことを表している。
形骸化している官職だが、甲斐を治める者であることに変わりない。
「父信縄だけでなく、某のような若輩者にも官位官職を賜り、お礼の言葉もございません。こののちもお上の御ため、朝廷のため、誠心誠意尽くす所存でございまする」
「甲斐守に期待しておるぞ」
御簾の奥から再び帝の声が聞こえたので、俺は平伏した。
▽▽▽
「関白殿下、この度の件、誠にありがとう存じます」
ここは九条尚経邸。俺は関白九条尚経様に官位官職のお礼を言いにきている。
この九条尚経様は今でこそ関白だが、公卿としての立場や権威が微妙だ。それは、明応五年に九条政基・尚経父子が家司の唐橋在数を殺害して勅勘に処せられた経緯があるからだ。勅勘とは簡単に言うと謹慎である。
この事件で他の公家からかなりのバッシングを受けたし、九条父子との交際を断ってきた公家もいたので、九条家は他の五摂家に比べて地位を落としている。
人を殺して謹慎で済ませたのには、帝の考えがあってのことだと思う。なんと言っても九条家は五摂家の一つで、九条父子を死罪にするわけにもいかなかったのだ。
「よいよい。それよりも経子のことよく考えてくだされよ」
何を思ったのか、九条尚経様は俺が護衛した経子姫を俺に娶れと申し入れてきた。
経子姫は今年で六歳なので、俺と年齢的にあう。
甲斐の山奥から朝廷に献上するために、銭と高価な品々を運んできた俺を好意的に受け入れたのかもしれない。
「国に帰って父に報告をして、ご返事をさせていただきます」
「うむ、よきように頼みましたぞ」
先ほども少し触れたが、九条家に仕えていた唐橋在数は九条家から荘園の運用を任されていたが、主家から金の無心があって九条家の荘園を抵当に入れて根来寺から借金をしたのだ。しかし、借金を返すことができなかったことから、荘園は根来寺のものになってしまった。
そのことに怒った九条父子は唐橋在数との関係が険悪化して出仕を止めたが、それに抗議した唐橋在数を殺したというわけだ。
結局、九条家がたまたまこうなったが、五摂家ならどの家でも起こりそうな話である。
話を戻すが、今の九条家は困窮している。
だから財力のある家に娘を嫁入りさせたいのだ。それで資金援助が受けられるのだから。そして、俺がネギを背負ってやってきたわけだ。
ちなみに、九条尚経様の兄弟は、管領細川政元の養子になった細川澄之、足利義材の養子になった足利義堯がいる。
将軍だった足利義材を追いだした張本人である細川政元は当然だが、足利義材と敵対している。その二人に養子を出すとはなかなかすごいことをしていると思う。
なお、義堯は将軍にはなれずに他界したが、澄之のほうは暗殺された政元のあとを継いで管領になるはずだ。
俺は計らずも幕府の中枢に近づいてしまったわけだ。