006 人材
下条春兼と俺は向き合って二、三分になる。
こういう時間は胃がキリキリして好きじゃない。だけど、商売ってのは駆け引きも大事だ。これは、戦でも同じことが言える。
「ふー。信直様、私に売りたいと仰られるものはなんでしょうか」
下条春兼が根負けして話し出した。
息を吐いたところをみると、俺と同じように胃がキリキリしていたんじゃないかな。
「虎盛」
「はっ」
虎盛に持ってきてもらったのは、言うまでもなく陶器だ。
木の箱の蓋を開けると布に包まれたその陶器を出す。大きさは俺が両手で持ち上げるのにちょうどいいくらいだ。
「これは……」
「我が領内で作った茶碗だ。これを買ってもらいたい」
布をとって茶碗を見せると、下条春兼は大きく眉を動かした。
下条春兼は俺に断ってその茶碗を手に取ってまじまじと眺めた。
「これは素晴らしい……。これを甲斐で作られたのですか」
「左様。我が領内の特産にしたく、まずは縁のある下条殿に話を持ってきた」
下条春兼は茶碗を置き、俺を見た。
「明の白磁のように透き通るような白さが非常に美しい茶碗です。よいものを見せていただきました」
俺はニコリと下条春兼に笑顔を向けた。さぁ、ここからが本番だ。
「失礼ながら、信直様にはこの茶碗をいかほどでお売りいただけますかな」
「いくらであったら買うか聞きたいものだ」
初めて持ち込んだ美しい陶器に下条春兼がどれほどの値をつけるか。この値によっては他の商人へ売り込まなければならない。
「確認ですが、どれほどの数をお持ちでしょうか」
「気になるか?」
「もちろんでございます」
「今回は一〇〇点を持ってきた」
「一〇〇点……」
なんだか試験の点数のようだが、茶碗は『個』と言うより『点』と言ったほうがしっくりくるし、そのほうが美術品っぽいじゃないか。
俺と下条春兼はお互いにギリギリの値段交渉をした。
その結果、一〇〇点全てを下条春兼に売るということで、一万石の米を買い入れた。下条春兼は売れるかも分からない茶碗を一万石で買ったわけだが、俺はあの茶碗は売れると思う。だからいい取引だと思う。
それに、下条春兼にはあの茶碗を一〇万石、二〇万石分の銭に替える算段があると俺は見ている。
「それでは、甲斐の我が屋敷へ頼んだぞ」
「承知しました。必ず、信直様のお屋敷へお届けいたします」
運搬は下条春兼に任せている。俺には甲斐まで米を運ぶ手段がないのだ。だから運搬にかかる経費も含めての一万石だ。
この頃の甲斐の石高は二〇万石に満たないと俺は考えている。山や森には四本足の獣がいるのでそれを考えればもう少しあると思うが、この時代の人々は四本足の獣は食わない。
また、海があれば魚を捕って食べられるし、貿易をして銭で米を買うことができる。
だから海がほしい。今川と同盟するよりも今川を追い出して駿河を得る。ちなみに駿河は甲斐よりも石高は下だったはず。遠江もそれほど多くないので、今川は石高ではなく、金山や貿易で潤っていたはずだ。
金山と言えば、伊豆も捨てがたい。将来的には伊勢宗瑞を追い出して伊豆、相模、武蔵を手に入れたい。
俺が家督を継いで甲斐を統一したなら、まずは海を狙いたい。今川を放置したらどうせ福島正成が大軍を率いて乱入してくるんだ。その前に俺が駿河に乱入しても問題ないだろう。やられる前にやるという、なんとも短絡的な考え方だが、これは歴史を知っている俺の強みなんだよね。
さて、これで一つ仕事を済ませたので、ゆっくりと堺見物をしよう。
▽▽▽
京に向かう道中、変な奴に遭った。
京から堺に向かっているところだったらしいが、公家の一行が暴漢(盗賊っぽい奴ら)に襲われていたところにばったり遭遇して、助けたらしい。
それだけであれば、何も変な奴とは思わないのだが、その男は俺の顔を見るなり、その一行を京まで連れていけというのだ。
「助けたのはそなたであろう。見ればどこぞの公家の一行ではないか、上手くいけば仕官もできるのではないか」
その男を見ると着古した着物だったので俺はおそらく浪人だと思った。だから公家の姫を助けたとなれば、公家や公家に縁のある武家に仕官ができるはずだ。
「公家に仕官などする気はない。面白き家なら別だがな」
そう言うのである。
おそらく、どこかの家を出奔し京や堺を見物しようとでも思っているのではないだろうか。
「貴殿、名も名乗らぬ者が頼みごとをしても、誰も取り合わぬぞ」
信泰がいいことを言った。その通りなだけにその男も佇まいを正した。
「これは失礼した。某は横田十郎兵衛と申す者で、しがない浪人でござる」
横田十郎兵衛……? む!? こいつは横田高松か!?
横田高松は武田二十四将の一人で、場合によっては五名臣の一人と言われている人物だ。
「うむ、こちらにおわすお方は甲斐武田宗家が嫡男、武田信直様である」
信泰が勝手に俺の名乗りを上げてくれた。俺が許可してから名乗れよな。
「ほう、甲斐武田の御曹司か……」
十郎兵衛は顎に手を当てて考え出した。人前でその態度は感心しないぞ。
「決めた! 俺を御曹司の配下に加えてくれ!」
「はぁっ?」
信泰が素っ頓狂な声を出した。俺の横にいる虎盛はそんな信泰を見て声を殺して笑っている。
「甲斐は弱小国。弱小国であればこそ、面白き戦いを経験できるというものだ!」
皆がポカーンと口を開けて十郎兵衛を見た。
よくも仕官しようという相手を弱小国とか言えるものだと俺は感心した。
「甲斐を、武田家をバカにするか!?」
信泰が腰の刀に手をかけた。
「止めよ!」
俺は信泰を制止して、虎盛に信泰を抑えるように命じた。
「若! なぜお止めになりますか!?」
「信泰、そうカリカリするな。その横田なる者は俺に仕官したいと言っておるのだ」
「ゆえに! このような者を取り立てたとなれば、若の恥となりましょう!」
「いや、それは違うぞ。このような物言い悪き者でも力を示せば取り立てるとなれば、俺の懐の深さを示すことになる」
「ぐっ……」
「とにかくだ、その横田と申す者の売り込みを聞こうではないか。判断はそれからでもいいだろう」
信泰は渋々といった顔で俺に従った。
「そのほう、横田十郎兵衛と申したな。俺に仕えたいのであれば、何が優れているか俺に示せ」
「武田の御曹司はなかなか物分かりがいい! なれば、某はこの弓にて御曹司に仕えましょうぞ!」
見事な和弓を掲げ、俺に主張してきた。
たしか、この横田高松は弓の名手としても知られていたような……。
「ならば、その弓であの枯れ葉を射てみよ」
三〇メートルほど離れた木に一枚だけ残っていた茶色い枯れ葉を射てみろと、俺は横田高松を挑発した。
すると、横田高松はにやりと笑い、矢を番えて弦を引き絞った。
「南無八幡太郎義家公!」
矢が放たれて一直線に飛んでいくと、見事に枯れ葉を射抜いた。
俺はその光景に満足して、大きく頷いた。
「見事である! 横田、いや、十郎兵衛、お前を我が家臣として取り立てよう」
俺がそう言うと、横田高松は地面に膝をついて、頭を下げた。
「よろしくお願い申しあげる!」
こうして俺は武田二十四将の一人、横田高松を手にいれたのであった。
十郎兵衛は六角家に仕えていたが、六角家が面白くなかったので出奔したらしい。
六角家は京がある山城国の横の近江国の南側を収めている大名で、近江は琵琶湖があるので豊かな土地で、京や堺にも近いので裕福な土地でもある。
「あの……」
そんなことを考えていたら、十郎兵衛が助けた公家一行の女中が声をかけてきた。
「私は九条尚経様がご息女、経子様に仕えている者でございます。この度は経子様を助けていただき、誠にありとう存じます」
九条……尚経……って、時の関白、九条尚経か!?
これはまた偉い大物の娘に出遭ってしまったな。仕方がない、挨拶をしておくか。
俺は馬から降りて、女中に挨拶がしたいと申し入れた。女中はすぐに了承して、俺を牛車へ連れていってくれた。しかし、今時牛車とは……。
牛車は『ぎっしゃ』とも読み、南北朝時代(室町幕府の前半)くらいまでは公家の間で使われていたものだ。
しかし、今は牛車はほとんど見ることがなくなり、輿や籠が多い。
これも公家の貧困が招いた文化の衰退なんだろう。今の公家は牛を飼う余裕さえないのだ。
だが、この九条家は公家の中でももっとも位の高い家柄である五摂家で、現当主の九条尚経は関白の地位にある。だから今でもなんとか昔ながらの牛車を使っていられるのではないだろうか。
「某、甲斐武田宗家の生まれにて、名を武田信直と申します。経子姫様にはお怖い思いをされたと思いますが、これより先、京の九条邸まで某が護衛を相努めまする」
俺がそう口上を述べると、中から涼やかで可愛らしい声が聞こえた。
「信直様、よしなにお願い申し上げます」
「はっ!」
思わぬことで、九条様の経子姫を護衛することになったが、行先はどうせ京なんだから構わない。
それに九条尚経は時の関白なんだから、娘を助けた十郎兵衛の主君である俺を、そして娘を京まで護衛してくれた俺を無下には扱わないだろう。
思わぬところで公家の大物に顔繋ぎができるのだから、僥倖ではないだろうか。