059 帰還
感想で「北勢は北伊勢ですか?」という質問がありました。
北勢というのは、伊勢国の北側を表すものです。
大永三年一〇月一三日。(一五一九年)
叔父武田縄信、板垣信方、飯富道悦、長尾景長、織田信定、真田頼昌、教来石信保、風間出羽守が俺の前で雁首を並べている。帰ってきて早々だが、差し迫った課題について話し合いを行うためだ。
信方がここにいるのは、生産方評定衆から俺の相談役に役職を変えたためだ。
後釜は俺の側近だった楠浦昌勝(楠浦殿の父)だが、二年前から生産方次席として働いてもらっていた。年齢の割に頭が柔らかく生産方の仕事に向いていたので、それを昇格させて生産方を任せることにしたのだ。
昌勝は俺が生まれる前から武田家に仕えていて、祖父信昌の頃から父信縄を経て俺の側近として働いてくれていた。最も信頼できる家臣の一人だ。
息子の虎常も側近として出仕しているし、武田家と楠浦家は切っても切れない間柄である。
俺が上洛して関東にいない間、岩代の蘆名と磐城の白川、二階堂、田村、岩城、相馬、そして揚北衆の生き残りたちが下野に攻め入ってきた。
もちろん、叔父縄信と甘利宗信、そして同盟関係にある佐竹がこれらの侵攻に対応した。俺がいない間は叔父縄信に防衛を任せていたので、特に混乱することなく蘆名どもを撃退した。
俺が全兵力を引き連れて上洛するわけない。俺がその気になれば二〇万の兵を動かせるんだぞ。その四分の一を京に向けただけだというのに、こいつらは何をしているのかと思う。
俺がいなければ武田は弱いと思ったのかな? そんなわけがないだろ? 長尾為景討伐のために越後から信濃で戦った以降、上洛する最中でも俺は戦場らしい戦場に出ていない。それは、俺が戦場に出るまでもなく、家臣たちが敵を潰すからだ。そんな俺の家臣が弱いわけがない。
まあいい、空き巣狙いにはそれなりの罰を与えなければいけないし、奥州征伐の格好の大義名分になる。
「蘆名は大きな被害を出したようだな?」
史実の蘆名は上杉謙信や伊達政宗のような、有名武将と領国が接していることからぱっとしないイメージがある。しかし、盛氏(まだ生まれていない)の代になると最盛期を迎えることになる。
まあ、この世界の蘆名は俺に敵対したことで、風前の灯火と言ったところか?
「はい。蘆名盛滋は這う這うの体で黒川城に逃げていきました」
叔父縄信が報告する。今は甘利宗信が蘆名を、佐竹が磐城の勢力を監視している。
「たしか……盛滋は昨年当主になったばかりだったな?」
「先代の盛高が昨年死去し、当主になっております」
盛滋は父の盛高と不仲で、刀を合わせる戦いにまでに発展した。そこで敗れた盛滋は伊達の元に逃げたが、伊達の仲立ちもあって関係は修復している。
しかし、親子喧嘩はそう簡単に関係修復されるだろうか? どちらかが圧倒的な力や度量を見せつけたらともかく、親子喧嘩というのは意外と関係修復は難しいものだ。俺の祖父信昌と父信縄も最後まで和解することなく死んでいった。
本当のところは知らないが、俺は盛滋が盛高を殺したと思っている。毒を盛ったり刺客を送ったりと、やり方はいくらでも考えられる。そこら辺を突っつくと蘆名家内の不和を誘発したり、大きくしたりできるかもしれないな。
「盛滋には弟がいたな」
「盛舜ですな」
史実ではこの盛舜が、盛滋の次の蘆名当主になる。蘆名の最盛期を築いた盛氏の父である。
「盛舜は何をしている? 一緒に参戦したか?」
「戦には参戦したようですが、戦場で名前は聞きませんでしたな……」
盛舜と盛滋は不仲と見ていいか? 父盛高の死を巡って確執があるのかもしれないな。
「出羽守。盛舜と盛滋の関係を探れ。不仲であれば、それをもっと煽ってやれ。それとこっちはできたらでいいが、盛高の死因についても探ってみろ。面白いネタが出てくるかもしれぬぞ」
風間一族を統べる風間出羽守が、「はっ」と短く応え頭を下げる。
「さて、佐竹は岩城の領地を盗ったようだが、何かしらの礼をしなければならないな」
磐城大舘城を本拠地にする岩城由隆が当主になったのは、六、七年前だ。兄の盛隆がどうなったかは分かっていない。病死したのか殺されたのか、さっぱり分からないのだ。
蘆名と共に下野に乱入した岩城だったが、佐竹が大舘城に進軍しようとしたためとんぼ返りで引き返している。
その時、周囲の勢力は武田と戦っていたので、援軍してもらうことができなかった岩城は、全部ではないが領地を佐竹に奪われている。
佐竹義舜が二年ほど前に死去し、跡を継いだ義篤が数えで一三歳なので、佐竹は動かないと思ったのかもしれない。
だが、義篤の叔父で佐竹北家の佐竹義信が後見人として佐竹を仕切っているので、武田との同盟を重視して動いたようだ。
佐竹とは同盟関係なので、本来はお互いに助け合うのが筋である。ただし、見方を変えれば、武田攻めで岩城が留守にしている間に、領地を奪っただけだ。だから礼などする必要はないが、このまま貸しだと思われているのも癪だ。単なる俺の性格の問題だが、礼として銭でも送っておくか。
「信方。佐竹に銭を贈っておけ」
「銭をですか? よろしいのですか?」
「構わん。贈った銭で俺の領内の産物を買ってくれると思えば、俺の腹はさほど痛まぬ」
「なるほど、承知しました」
佐竹には清酒や絹織物がよく売れていると聞く。他のものも売れているので、俺が贈った銭で佐竹がそういったものを買ってくれれば、こちらの経済も回るというものだ。
「出羽守。佐竹にも人を入れておけ」
「承知いたしました」
風間出羽守は理由も聞かずに頭を下げる。なぜとか思わないのかな?
俺が佐竹に人を入れさせた理由は、この一〇年後には義篤の弟である義元が反旗を翻すからだ。史実で起こったことが、この世界で起きるかどうかは分からないが、後に部垂の乱と言われることになる佐竹兄弟の争いは、武田が佐竹を従えるきっかけになるかもしれない。
これは念のためのものだが、何も起こらなくても佐竹に人を入れて監視するだけでもいい。
「さて、岩代と磐城、どちらを先に攻めるか?」
俺がそう聞くと、皆の表情が引き締まった。
「さればでございます。両国に攻め入る前に、伊達を取り込んでおくのがよいかと存じます」
真田頼昌が伊達を取り込めと言う。
「伊達か……」
伊達家当主の伊達稙宗は足利義稙が将軍職に復帰した時、多額の祝いの品を贈っている。その時に「稙」の偏諱が贈られ稙宗と名乗るようになった人物だ。
こいつの気に入らないところは、足利義澄が義高と名乗っていた頃、「高」の偏諱をもらって高宗と名乗っていたのに、義稙が将軍に返り咲くと手の平を返して稙宗と名乗ったところだ。
そんな話は珍しくもないかもしれないが、俺はそういう不義理な奴が嫌いだ。将軍家嫌いの俺が言うのもなんだが、仮にも将軍家の偏諱を賜ったのなら、生涯その名を使えと言いたい。こういう奴は簡単に手の平返しをするから信用できない。
稙宗は最上家に妹を嫁がせるなどして、婚姻外交で勢力を拡大している。来年くらいには、その妹の夫である最上義定が鬼籍に入るため、最上家と争うことになるだろう。
「稙宗に小田原にくるように命じろ。もしこなければ蘆名、白川、岩城、二階堂、田村、相馬を滅ぼした後は伊達が滅ぶことになると言ってやれ」
蘆名たちに伊達も加わって奥州大戦争になるかもしれないな。
「やってきますかな?」
信方が俺を見つめてくる。
「俺に信じてほしいなら、くるだろう」
「伊達にそのように高圧的に接するのは、何ゆえでございますか?」
「名が気に入らん」
頼昌が呆れた顔で俺を見てくる。
叔父縄信と信方などは、笑いを堪えているのが分かるくらいだ。
「名……でございますか……?」
長尾景長が頼昌のように、呆れ顔で聞いてきた。
「奴の前の名はなんだ?」
「……なるほど、そういうことにございますか」
ここにいる全員が納得してくれたようだ。
言っておくが、将軍家の偏諱をもらったから、嫌いってわけじゃないからな。偏諱をころころ変える奴が嫌いなんだぞ。
幕閣や京周辺の国だと義稙に睨まれてはいけないと、名を変えるのも仕方がないかもしれないが、奥州は京に近いわけじゃないから、前将軍の偏諱を使っていても問題はない。義稙のバカは奥州のいち国人の偏諱など気にしていないだろう。
もっとも、稙宗が義稙の偏諱をもらったのは、他の思惑があってのことだ。左京大夫に任官してもらいたかったのだ。左京大夫は奥州探題の大崎家が世襲するものだったが、稙宗が左京大夫に任官されたことで奥州の盟主は自分だと示したのだ。
稙宗の強かさが伺い知れる出来事だな。
「奥州は雪深い。来年、雪解けを待って出陣する。それまでに伊達がこなければ、潰す。分かったか?」
皆が頷く。
さっそく、稙宗に書状を書いた。直筆だ。
稙宗はどんな反応をするかな。




