056 帰還
この先の話に出す人物の件で迷走中@なんじゃもんじゃです。
大永三年八月一日。
軍を出してくれた朝倉貞景が、一カ月ほど前に死去した。おそらく史実よりも数年遅い死去だった。息子の朝倉孝景は、大永元年に当主になっていることから、朝倉家の混乱は少ない。ただし、実質的に孝景を補佐している朝倉教景(後の宗滴)は、軍をまとめて早々に越前に帰った。
後づけになるが、教景に従六位上左近衛将監、孝景に従五位下美作守、そして死去した貞景には従四位上が贈られた。
また、弟信友の妻は朝倉貞景の娘なので、信友を使者として越前に送り、今回協力してくれた礼として絹織物と陶器を贈っておいた。
俺は元々従三位なので、これ以上の陞爵は不要と丁寧に辞退した。ただし、家臣たちには官位をいただいた。官位バブルだぜ。
その後、公家の挨拶を受けたりして今に至っているが、しばらく京に留まって軍を引き上げさせるつもりだ。こういうのは、徹底してやらないといけない。足利に京を任せるとどうなるか、公家たちにしっかりと思い知らせる必要があるのだ。
「信賢叔父上には美濃の稲葉山城に入ってもらい、京を監視していただく」
京の武田屋敷に主だった家臣を集め、今後のことを申しつける。俺が京を引き払ったら、武田屋敷は管理する数人の者を置くだけだ。
「承知仕った」
美濃は近江の隣なので、京からそれほど遠くない。京とのやり取りを完全に遮断するわけにはいかないので、叔父信賢を稲葉山城に入れて対応することにした。
「信泰は桑名に入り、北勢の安定を優先させろ」
「はっ」
長島に一向宗門徒が立てこもっていたこともあり、桑名郡と員弁郡は武田の直轄地にした。そのため、北勢の勢力で俺を恨んでいる奴は多いはずだ。
それに、俺が各湊に圧力をかけて自治権を破棄させたので、そういったことも関係していると思う。
だから北勢はまだ騒動があるかもしれない。放置するのは得策ではないので、しばらく信泰に治めさせようと思った。
「長野憲業は美濃と北近江の交通の要衝である近江の今浜に城を築け」
「大役をいただき、感謝いたしまする」
「伊勢長綱に兵五〇〇〇を与える。大垣に入り、叔父上と長野憲業を補佐するのだ」
「ありがたき幸せに存じます」
今浜と稲葉山城を繋ぐ要衝である大垣に、長綱(史実の北条幻庵)を置くことで軍事と外交を補佐させる。
「近江には比叡山と日吉大社がある。共にその影響力は大きなものだ。だが、ここで改めて皆に申し伝える。俺は宗教が政治に首を突っ込むのは好かん。そのこと、努々忘れるでないぞ」
「「ははぁぁぁっ」」
比叡山延暦寺と日吉大社は俺の領地ではないが、琵琶湖の水運に大きな影響力を持っている。
武家政治の先駆けである平清盛が若かった頃、祇園闘乱事件というものがあった。祇園臨時祭の夜に、平清盛が宿願成就を祈って田楽を奉納しようとした。その田楽を護衛していた平氏の兵が、祇園社の神人に武具の携行を咎められたため争いになり、放たれた矢が宝殿に突き刺さったのだ。この事件で比叡山の僧兵たちが強訴に至るのだが、その時に比叡山の僧兵たちが担ぎ出した神輿が、日吉大社のものだったと記憶している。
俺は宗教が政治に首を突っ込まない限り好き勝手にさせているし、大目に見ている。だが、もし俺の統治下にある土地で強訴や一向宗と同じことをやったら、織田信長ばりに焼いてやるつもりでいる。目には目を歯には歯をだ。
さて、今回の帝のご意思に不満を持っている公家もいるが、それは数年後に笑顔になるだろう。
逆に帝に要らぬことを耳打ちした公家は、没落してもらおう。まあ、今でも没落しているんだが、京で楽しい生活ができると思わないことだ。
「今回、俺が小田原に帰るのは、天下を諦めたからではない。いくら日ノ本一の領国を有していても、日ノ本一精強な軍を従えていても、天下を盗るのは簡単ではないということだ」
苦い顔をしている家臣たちの顔を見渡し、ニヤリと口角を上げる。
「だが、俺がいなくなった京は、これからどうなる? 三好之長と細川澄元、六角定頼と細川高国。京を狙う者は多い」
皆もニヤリと笑う。
「こいつらの好きにさせろ。京の足利を誰が担ぐにしろ、俺たちは高みの見物だ」
それによって、公家たちの考えを改めてもらう。
焼け野原になった京を見て、お前たちは何を思うんだろうな?
「小田原に帰ったら、今度は奥羽(東北地方)だ。数年で奥羽を平らげ、混乱している京の都に帰ってくるぞ」
「はっ!」
皆が平伏して、簡易評定を終える。
さてと、次は関白様を始めとして五摂家への根回しだ。外交方の叔父信賢、異母弟の信房、伊勢長綱。軍略方の真田頼昌、北条氏綱、教来石信保。そして相談役の織田信定を残す。同じ相談役でも、飯富道悦は足が不自由で、長尾景長は体調に配慮して連れてきていない。二人も上洛したかったようだが、小田原を空にするわけにもいかないので、留守番をしてもらっている。
「京を引き上げると言っても、摂家や親しい公家を放置できない。我が武田が天下を盗るためには、そういった家々を蔑ろにするわけにはいかないのだ」
俺の言葉に、全員が頷く。
五摂家のうち、一条様は土佐にいるので今回はいい。
「京を離れてもいいという家は、小田原か美濃に連れていく。ただ、どうしても京を離れることができない家もあろう、そういった家にはできる限りの支援を行い、武田との絆を深める」
「外交方が中心になって、各家を訪問しましょう」
叔父信賢の言葉に、俺は頷く。
「関白二条尹房様は京を離れるわけにはいかぬだろうが、九条様、近衛様、鷹司様は美濃か小田原に移ってもらう」
「それでしたら、九条様と近衛様は別々にしたほうがよろしいでしょう。両家の確執は根深いものがありますので」
「近衛殿の子が嫡子と決まったことで、九条様は憤っているのだろうな、叔父上」
「輿入れの話に横槍をいれられ、嫡子の座まで奪われた形になっていますので、無理もないかと」
無理もないが、なんとか確執を取り除きたいものだ。
「両家の関係を良好にしろとは言わぬが、せめて反目しないようにはできぬか?」
「なかなかに難しきことにございますな……」
叔父信賢は腕を組む。そこに「殿」と信房が声をかけてきたので、何かと返す。
「九条政基様の容態が悪いと聞き及びます。近衛様にお見舞いいただければ、両家の溝も少しは埋まるかと」
九条政基様は九条尚経様の父で、前九条家当主だ。尚経様と共に唐橋在数を殺害して、勅勘に処された人物でもある。
政基様は数年前から伏せることが多くなり、今は床から起きることもできないと聞く。その政基様を近衛様が見舞うとなれば、少しはわだかまりも解けるかもしれないな。
「しかし、近衛尚通様が「うん」と言うか?」
「説得し、ダメであれば他の案を考えればよろしいかと存じます。どの道、今より悪くなることはそうそうありませんので」
「ふっ、それもそうだな。ならば、その件は信房に任す。銭や産物が必要であれば、好きなだけ使え」
「は、ありがとう存じます」
「九条家と近衛家はこれでよし。次は、足利のことだ」
足利義稙に京を任せるが、何も援助せずに任せては、公家たちからクレームがきそうだ。だから、足利義稙には銭で兵を雇えと、関白二条様を通じて渡そうと思う。もっとも、足利義稙がその金で兵を雇うかは、俺のあずかり知らぬことだ。
「将軍家には俺が京を離れると言ってある。今月中に京を離れるつもりだが、その上で幕閣の中から数人、こちらの味方に引き入れたい」
「伊勢殿でしょうか?」
伊勢氏綱が、同じ伊勢の姓を持つ政所執事の伊勢貞陸、貞忠親子かと聞いてきた。
氏綱の伊勢家は言わば伊勢の傍流で、貞忠のほうが宗家にあたる。
「そうだ。あの男は味方にしたい。氏綱の縁故を使って、伊勢親子を引き抜くことはできぬか?」
「……難しいと思われます。伊勢親子の忠誠心は揺るぎないと存じます」
「伊勢の忠誠は幕府に対してであり、足利や義稙に忠誠を誓っているわけではない。と、俺は見ている。そこを突けぬか?」
「むぅ……やってみましょう」
「伊勢については、氏綱に任せる。あの男が銭で動くとは思えぬが、必要であればいくらでも使え」
「はっ、努力いたしまする」
「伊勢はこれでいい。あと数人、こちらにつけたい。伊勢は他の幕閣とは一線を画しているので、幕閣たちの情報を掴みづらい」
「それであれば、某に数人心当たりがあります」
「そうか。ならば、叔父上に任せる。よろしく頼むぞ」
「はっ」
元々、足利義稙や幕閣の情報を得るための伝手があったようで、叔父信賢が引き受けてくれた。公家だけではなく、武家の中枢も抑えることができそうで、何よりだ。




