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052 上洛

 


 大永三年二月十八日。


 人生、思ったようにいかないものだ。

 戦列艦に乗って長島に向かおうとしたら、朝廷が一向宗との和睦の仲介を申し出てきた。いや、朝廷というよりは、舅の九条尚経様が介入したというべきか……。

 今考えれば、山科本願寺(一向宗)の現在の法主で九代目法主である実如の孫で十代目の法主になる証如は、史実で九条尚経様の猶子になる人物だった。

 まさか九条尚経様に邪魔をされるとは思ってもいなかった。盲点だった。九条殿が嫡男を産まなかったことで、武田との関係を考え直したのか?

 いや、武田と一向宗の間を取り持つことで両天秤にかけているのか?


「一向宗との和睦は、長島を明け渡す以外に何か条件はあるか?」


 相談役の飯富道悦、長尾景長、織田信定、そして軍略方の真田頼昌に和睦の条件を確認する。

 和睦の仲介を蹴って長島を一気に潰すこともできるが、朝廷の仲介を無視して長島を潰すのはさすがにできない。


「さればでございます。尾張の知多で一向宗が行った無法に対して、法主実如の詫び状を要求なさるのがよろしいかと」


 頼昌が面白いことを言った。

 俺は思わずにやりとしてしまったが、慌てて表情を引き締める。

 君主たるもの、公平に家臣の意見を評価して用いなければならない。俺の心情は二の次なんだ。

 もっとも、それができていれば、今頃俺は聖人君子になっていると思うけど。


「知多でのことは十分に戦いの理由になります。詫び状の話を聞いた実如の、顔が歪むのを見られないのは残念ですが」


 道悦が満面の笑みだ。


「長島と詫び状。和睦はこれでいいとして、桑名はどうされますか?」


 景長が俺を見てきた。


「桑名は禁裏御料所だ。武田が治め、朝廷に代わって税を取り立て、朝廷に税を納める」

「それがよろしいでしょう」


 禁裏御料所というのは、朝廷というか帝の領地という意味だ。


「ただ、頃合いを見計らって、武田領内の禁裏御料所をまとめるべきでしょう」

「あちらこちらにあっては管理も面倒だ。景長の言うように禁裏御料所だけではなく、公家と社寺についても調べて明確にするべきだな。上洛して落ち着いたら調べさせるとするか」


 一向宗との和睦は長島の明け渡しと知多の詫び状を条件に、受け入れることにした。

 実如がこの条件を受け入れるか否かなんてどうでもいい。時間がかかればかかるだけ、長島にいる一向宗門徒は餓死していくのだから、俺としてはできるだけゆっくり返事をしてくれと思う。

 また、拒否してくれればこちらの思うつぼで、長島の一向宗門徒を全て爆死させてやる。


 ▽▽▽


 大永三年三月二十三日。


 まだ実如からの回答はない。実如が詫び状を書く書かないで揉めているらしい。度し難い奴らだ。

 結局、実如は信者の命よりも自分の面子(めんつ)のほうが大事なのだろう。

 この間にも信者たちは腹を空かせて死んでいっている。もう、長島には食料と呼べるようなものはない。


「信泰。久しぶりだな」


 長島の兵糧攻めは、和睦の回答がないのでそのまま今に至っている。

 だから信泰を一度小田原に呼び戻して、今後の相談をしようと思ったのだ。


「はっ、長島の件、申しわけなく」


 信泰は床に頭を擦りつけて謝罪した。

 まったくこいつは妙なところで生真面目な奴だ。長島のことは俺が兵糧攻めを指示して、信泰は忠実に命令を実行したにすぎない。


「長島の兵糧攻めは俺が指示したことだ。お前が謝罪する必要はない」

「されどっ!」

「一向宗とはまだ和睦したわけではない。和睦の話が流れれば長島を一気に叩き潰すし、実如がこのまま和睦の判断を保留し続ければ、長島の信者たちは餓死するしかないのだ」


 長島はすでに死に体だ。何かをしようとしても、腹が減って力が出ない。

 外からの補給は完全に絶っている。補給をしようとする船は拿捕して米は武田の蔵いきだ。

 いやー、ありがたいよ。上洛を控えているから、米はいくらあってもいい。一向宗が武田に米を送ってくれるんだから、ありがたくて涙がちょちょぎれそうだ。


「まあ、俺としてはこのまま長島にたてこもっている奴らが、全員餓死するまで実如が判断を保留してくれたほうがいいと思っているのだがな」

「それはまた……えげつないですな」

「だが、後腐れがなくていい」

「いかにも」


 俺と信泰の話を聞いていた道悦たちも、悪い笑みをしているぜ。

 戦国の世ということもあって、俺の周りにいる奴らは皆目つきや人相が悪い。武士なんて土地を治めてはいるが、皆人殺しだ。ここにいる信泰たちも俺以外は直接人を殺した経験のある奴らばかりだから、悪役顔には困らない。道悦なんて片眼がないから悪役顔に拍車がかかっている。


「さて、信泰」

「はっ」

「和睦のことがなくても長島はあと一カ月もあれば片がつくだろう。そうなれば、桑名に上洛軍を送る。もちろん、俺自身も動く」


 その頃になれば時期的にも暖かくなっているから、船を使って桑名までいくのに丁度いい。冬の海は、比較的穏やかな太平洋側でも厳しいものがあるからな。

 俺の話に板垣信泰だけではなく飯富道悦、長尾景長、織田信定、真田頼昌が、真面目な表情で耳を傾けている。皆の顔がとうとう上洛かと、緊張しているように見える。


「桑名は物流の点においても重要な拠点だ。桑名と尾張の抑えに金丸筑前守の第七軍団を配置する。信泰は桑名から鈴鹿、関、甲賀を通って上洛する俺の露払いだ」

「ありがたきことにございます」


 信泰が鼻の穴を広げている。嬉しいようだ。


「美濃からは諏訪頼満の第六軍団が、不破の関を通って近江に入る。また、越中の信守も兵三〇〇〇ほどを引き連れて、美濃の頼満に合流することになる」


 美濃から上洛するのは頼満の一万二〇〇〇と信守の三〇〇〇、桑名からは信泰の一万五〇〇〇と俺の本体一万五〇〇〇。上洛軍としては四万五〇〇〇だが、筑前守の一万を合わせれば、総勢五万五〇〇〇になる。以前の計画とは少し違うが、まあこんなものだ。


「信泰。俺の目的は上洛することではない。分かるな?」

「承知しておりまする。殿は天下に号令されるお方。我ら家臣一同、殿の覇業のための一助になれれば、この上なき喜びにございます」


 信泰の言葉に道悦たちが頷く。


「俺は、俺一人の力で天下に覇を唱えるわけではない。お前たちが俺の手足となって働いてくれるから、俺は天下を望めるところまできた」

「ありがたきお言葉」


 俺は席を立って、信泰の目の前まで歩いていく。


「いいか、信泰……」

「………」


 どさりと腰を下して信泰と視線の高さを合わせる。


「俺は天下を盗る。お前は俺の右腕として天下を盗った後も俺に仕えるのだ。何があっても死ぬことは許さん。いいな」

「……承知仕ってござりまする」


 なんでこんなことを言ったのか、俺自身分からない。

 上洛はそれほど激しい戦いになるとは思えない。だが、最前線に立つ信泰に何かを感じたのかもしれない。


「さて、今日はゆっくりと酒でも酌み交わそうぞ」

「それはありがたい!」

「道悦たちもつき合え」

「ご相伴にあずかります」


 宴会は夜遅くまで続いたが、体調にやや不安がある長尾景長は早めに帰した。

 道悦などは帰れと言っても帰りそうにないほど、浴びるように酒を飲んだ。信泰も酒を浴びるように飲んだ。

 俺は真田頼昌のように酒を味わってちょびちょび飲むのが好きだが、道悦と信泰に引きずられるように深酒をしてしまった。


「………」

「………」

「………」


 朝日……ではなく、太陽の位置からすると昼くらいだろうか……。

 起き出した俺は、とにかく頭が痛い。深酒をして二日酔いになったのは今世では初めてだ。

 周囲を見ると、道悦と信泰しかいない。二人と視線が合ったがとても挨拶できる状態ではない。真田頼昌と織田信定はいつの間にか帰ったようだ。


 ズッキンズッキンする頭を抱えながら縁側に出る。道悦と信泰も俺に続いて縁側に出て、そこで倒れ込んだ。こんな時に敵が攻めてきたら完全にアウトだな。


「まあまあ、信虎殿が珍しく深酒をしたと聞いて見にきたのですが、この体たらくはなんですか?」


 母上が着物の袖で口を押さえて、そこに立っていた。


「こ、これは」

「うふふ、そのままで構いません」


 道悦と信泰が佇まいを正そうとすると、母上がお笑いになってそのままでいいと言う。


「母上、申しわけございません。久しぶりに信泰が帰ってきましたので、ついつい飲んでしまいました」


 俺が頭を下げると二人も下げた。


「いつも厳格な信虎殿が羽目を外すのは珍しきことです。面白きものを見られたと思いましょう」


 嫌味なのか? 嫌味だよね? 嫌味だな。


「かたじけのう存じます」

「今日の政務が滞っていると聞きます。顔を洗って表に赴きなされ」

「はい。承知しました」


 母上は終始笑みを湛えた表情だった。そんなに俺の二日酔いが嬉しかったのか?


「道悦と信泰は屋敷に帰って休め」

「そ、そのようなことは」

「お前たちは俺と違って若くないのだ。帰って寝ていろ」


 俺がそう言うと、二人はすくっと立ち上がった。


「某は戦働きはできませぬが、この通りまだまだ体力は衰えておりませんぞ!」

「某とて道悦殿と同じでござる!」


 二人してラジオ体操のような動きをしたが、すぐに頭を抱えてへたり込んだ。コントかよ!


 

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― 新着の感想 ―
[一言] 不穏なフラグが立ったような気もしますが最後が草
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