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049 尾張、美濃そして長島

24日に短編「軍人をしていたら、不時着陸した惑星で超人になってしまった!」を投稿しています。

楽しんでください。

 


 大永二年九月二三日。



 この夏に子供が三人生まれた。

 九条殿の子で四男の三郎。

 楠浦殿の子で五男の四郎。

 勧修寺殿の子で六男の六郎。

 三人とも男子だ。子だくさんの信虎は、この世界でも健在のようですよ。

 どの子も可愛い。この子たちのためにも、多くの城地を得ておかねばな。


 さて、板垣信泰の第二軍団に降伏した尾張の織田たちが俺の前で雁首を並べている。

 織田広高(伊勢守家)、清洲三奉行の織田達広(たつひろ)(因幡守家)、織田寛故(とおもと)(藤左衛門家)、織田信定(弾正忠家)だ。この四人は尾張から引きはがして関東の各地に領地替えにする。


 そして俺は機嫌が悪い。フリをしている。


「知多の惨状は知っているな?」


 ドスをきかせた声って難しいよな。とにかく、不機嫌なフリを続けよう。

 四人は俺に頭を下げたままどう返事しようか考えているんだろうな。


「大和守は逃げた。誰かが責任をとらねばならぬぞ」


 四人から呻くような声が聞こえた。誰が責任を負わされるのか、不安なんだろうな。

 俺がそんなことをする男に見えるのか?

 たしかに一向宗を尾張に入れたことに対して、俺がかなり怒っているという噂が尾張だけではなく関東甲信越から京にまで知れ渡っているからな。

 言っておくが、一向宗と手を結ぶのは戦略的に有効な手段なのだから、それについて怒ったりお前たちを責めたりするつもりはない。俺が怒っているのは、自分たちが治める土地で一向宗の傍若無人の振舞いを許したということだ。

 正確には一向宗を入れたのは織田達勝(大和守家)なのでこの四人に直接的な瑕疵はない。俺も言っておいて、かなり無茶なことを言っているという自覚はある。


「お、恐れながら」


 織田信定がおずおずと声を出した。どうでもいいが、声がガラガラだぞ。

 他の三人の織田たちは「弾正忠、何を言うんだ?」といった感じか。


「信定か、なんだ?」


 この織田信定は信長の祖父に当たる人物で、弾正忠家が躍進する基礎を築いた人物だ。

 さすがに信長の祖父のことなんてほとんど知らないが、織田信長の財力を支えた津島を支配下に置いた人物なので、先見の明があるのだろう。まあ、津島は俺が取り上げたけど。


「大和守殿が行ったのは蛮行なれど、我らには知多郡の惨状を止める手立てはございませんでした。どうか、そのことを勘案していただきたいと存じます」


 織田信定は意を決したのか頭を下げたままだが、正当な主張を展開した。

 知多郡に入った一向宗はおよそ二万。あの頃の尾張勢に二万の一向宗をどうこうできる力はなかったのは、俺も十分に分かっている。


「ほう、無罪を主張するか」

「我らに一向宗のことで責められる謂れはございません!」


 おお、言い切ったぞ。この気性が信長に伝わったのか? それともやけっぱちか?

 だが、いいぞ。生殺与奪権を持った俺にはっきりとした物言いができるのは、高評価だ。


「こ、これ、弾正忠殿」

「お控えなされよ」


 慌てて織田広高と織田達広が織田信定を止めに入った。

 織田信定は言ってしまったといった感じなのか、頭を下げてぷるぷると小刻みに体を揺らしている。


「ははは。それもそうか、あれは大和守の行ったことであるな。そなたらに罪を問うのはお門違いであった!」


 そろそろ虐めるのは止めてやろう。それに、自分を簡単に殺すことができる俺に対して、正当な主張ができる織田信定という人材を見つけることができた。それだけでも儲けものだ。


「信定」

「はっ!?」

「よくぞ申した。お前には褒美を与える」

「はぁ?」


 間抜け面した織田信定が思わず顔を上げ、俺を見て慌てて頭を下げた。


「信定は今後俺の相談役として出仕せよ。手当は二〇〇〇石だ」

「え……? っ!? あ、ありがたき幸せ!」


 織田信定は床に額を擦りつけるくらいに頭を下げた。


 さて、信定だけ残して他の三人は下がらせた。信定は俺の相談役だから残って当然だ。

 小姓たちに信定用の机を用意させて、座らせた。落ち着かないようで俺の顔色を細かく確認している。


「信定、落ち着け」

「は、はい!」


 俺が声をかけると、信定は立ち上がって直立不動の姿勢をした。だからそういうのは、いいから。

 信定を相談役にしたのは失敗だったかな……。


「いちいち立たなくていい」

「は、はい……」


 信定は椅子に座りなおして、俺を見た。


「こののちに武衛家の義達殿と会う。お前は何も言わず義達殿が帰った後に俺の質問に答えよ」

「しょ、承知いたしました」


 尾張守護……まだ守護職だよな? の武衛家一三代当主である斯波義達が俺を頼ってきた。多分、尾張は俺のものだとか言うんだろうな。ジャイ●ンかよ!

 俺にとって足利の室町幕府の守護職など、なんの価値もない。斯波義達が尾張に帰りたいというのは、心情的に分からないわけではないが、俺は尾張を武田の直轄地にするつもりなので却下だ。一応、話を聞いて最終判断するが、尾張には入れない方針のつもりである。

 それでも守護職を主張するのであれば、越前にいけと言ってやろうか。義達は越前守護ではないが、武衛家は代々越前守護だったからな。


 かつて足利三代将軍義満の頃に三職七頭というものが定められた。つまり、幕府の重職を歴任する家を定めたのだ。

 三職は足利一門である細川京兆家、畠山金吾家、そして斯波武衛家のことで、交代で管領を歴任してきた。

 斯波武衛家は初代、三代目、五代目、八代目と管領を斯波義将が歴任したが、この頃から同じ三職の細川京兆家と争っているのだから、管領なんてろくなものではない。


 斯波義達とは広間で面会する。一応、外向きには武衛家は名門で、俺は田舎大名だ。だが、俺はあえて上座に座って斯波義達を迎えた。

 言っておくが、俺は従三位左近衛大将だから、官位はお前より上なんだぜ。


 俺が上座に座ったことに斯波義達は不満そうだが、今のお前はただの浪人だ。俺に見下されるのが嫌なら足利義稙のところにでもいけよ。まあ、足利義稙なんかに従っても、俺が上京した時に義稙と一緒に追い出してやるかもしれないが。


「斯波殿、本日はどういったご用向きで?」


 あまり気が向かないし分かっていているが、聞かなければいけない。


「さればである。織田大和に奪われた土地を返してもらい」


 うわー、いけしゃーしゃーと言いやがったよ。厚顔無恥にもほどがある。

 だいたい、お前は俺と約束したことが守れなかったんだろ? しかも、武田が尾張を攻めている時はどこかに隠れていて、武田が尾張を平定したら返してほしいとか、どの口が言うか。


「斯波殿、分かっていると思うが、尾張は武田が血を流して手に入れた土地。それをタダで返せと言われるのか?」

「タダとは言わぬ。尾張守護代でどうか」


 俺が尾張守護代ってことは、斯波義達よりも下だと公言しているようなものではないか。俺も舐められたものだ。


「守護代になんの意味がありましょうか。もっと価値のあるものを提案していただきたい」


 斯波義達の顔が歪む。名門である自分に従えとでも言いたいんだろ? だが、名だけの名門に一国の価値があると思うか? それも尾張のような石高も高く経済力もある国を与えるとでも思っているのだろうか? 寝言は寝てから言え。だな。

 俺の返しに対する答えに窮した斯波義達は黙り込んでしまった。悔しいんだろうな、まあいい、助け舟を出してやるか。


「現在、尾張と伊勢の国境にある長島に一向宗が陣取っているのはご存知ですかな」

「む……。知っておるが……」

「斯波殿には、守護職として一向宗に立ち退きを命じていただきたい」


 長島は尾張国と伊勢国の国境にあって、あの土地は伊勢国桑名郡だとか尾張国河内郡だとか言われている。俺は伊勢国桑名郡だと思っているんだが、そんなことはどうでもいい。要はあの土地が尾張だと主張することが大事なのだ。


「立ち退き……」

「知多郡の惨状を理由にすれば、なんの問題もござらんと存ずる」

「うーむ……」


 斯波義達は考え込んでしまった。一向宗とあからさまに敵対したくないんだろう。

 結局、斯波義達は回答を保留して下がっていった。俺が斯波義達の立場であれば、一向宗に退去を命じる代わりに尾張の一部を手に入れるけどな。


「信定、斯波義達はどう出ると思うか」

「さればでございます。一向宗の勢力は根強く、それを考えれば斯波殿()は首を縦には振ることはないと存じます」


 ほう、斯波殿()か。清洲三奉行であった信定はあくまでも織田大和守家の家臣だったので、斯波義達から見ればつい最近まで陪臣だった。陪臣というのは、家臣の家臣ということなので、天と地ほどとは言わないが、それほどの家格の違いがある。

 その信定が斯波義達に『様』ではなく『殿』をつけたんだ、なかなか機を見るに敏じゃないか。そういうのは嫌いじゃない。


「ならば放置でいいか。これ以上、俺に尾張を返せとか言ってきたら、ぶっ飛ばしてやろう」

「いや、それは……」

「ははは、冗談だ」

「冗談でございますか……」


 そんな呆けた顔をするな。

 斯波義達に関してはそれでいい。次は土岐だ。美濃国を治めていた土岐家のバカ兄弟との面談だ。

 バカ兄弟の父親である美濃守護土岐政房は先日他界した。多分、史実よりも少し早く死んでいる。

 今回はその息子である土岐頼武と土岐頼芸と面談することになっている。史実でこの二人が守護職を巡って争った挙句、土岐頼武は逃げ出して土岐頼芸が美濃守護になったが、最終的には斎藤道三に美濃を乗っ取られてしまった。


 しかし、土岐家の凋落は父親の土岐政房の頃には起こっていて、土岐政房も弟の土岐元頼と内乱を起こしている。土岐政房の人生は俺の父である信縄に少しだけ似ている。土岐政房の父である土岐成頼は嫡男の土岐政房ではなく、四男の土岐元頼を溺愛して家督を継がせようとしたことで内乱になったのだ。

 こういった話はこの時代では珍しくもないけどさ。


 土岐の血はかなり多く美濃国では仙石家、揖斐家、根尾家などがあり、俺の家臣の原友胤もそうだったはずだ。それから織田信長の家臣で有名な金森家の金森長近、蜂屋家の蜂屋頼隆などもあるし、徳川家の家臣の土井利勝、豊臣秀吉と縁が深い浅野家、織田信長を討った明智光秀も土岐家の支流だ。

 かなり後の世だと赤穂浪士で有名な浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)、そして幕末では坂本龍馬も土岐の支流だったと記憶している。まあ、幕末の坂本龍馬までいくと、本当に土岐の流れなのか知らんけど。


 土岐家がこれほどの支流を世に出しているのには、先ほども出てきた三職七頭が理由にあるだろう。三職の家は先に説明したが、七頭が一色家、山名家、赤松家、京極家、伊勢家、上杉家、そして土岐家なのだ。

 足利の天下にあって名門中の名門の家なので、あっちこっちに領地を持っていたことがあり、そういったことで支流も多い。もちろん、全ての家がそういうわけではないが、土岐家はこの時代では大事なことである血筋を残すことに成功していると思う。


 土岐頼武と土岐頼芸との面談を終えたんだが、二人はかなり意気消沈していた。

 名門といっても、領地のない根無し草になってしまったのだから、気持ちが落ち込むのはわからないではない。

 素直に俺に従うということだったので、それぞれに領地なしの三〇〇〇石を与えることにした。

 それから俺としてはどうでもいいことだが、この二人のどちらが土岐の宗家(嫡流)なのかを決めることになった。てか、そんなの兄が嫡流に決まっている。俺がそれを言うと、土岐頼武は喜び土岐頼芸は落ち込んだ。本当にどうでもいいことだ。


 

失礼しました。

土井利勝は徳川の家臣ですね。修正しています。

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