048 尾張、美濃そして長島
大永二年六月一〇日。
三河の第二軍団についてだが、兵の補充は必要だが信泰たちは大きな怪我もなく無事だった。
尾張勢に関しては三河に攻め込む余裕はなかったが、一向宗は第二軍団が敗走したのを見て三河に攻め込んできた。
しかし、信泰が兵をまとめて三河の安祥城を中心に防衛したことで、三河はかつてのように一向宗の天国に戻っていない。
たしか今は浄土真宗本願寺派第九世宗主の実如が一向宗を率いているが、何年か前に一揆の禁止を発布しているはずだ。なのに一向一揆は越後と信濃に攻め入ってきた。
三河はこちらから攻め入ったが、一向一揆は俺を完全に敵だと思っている。実如の統制がきいていないか、上辺だけのパフォーマンスか、だ。
今回、海を渡ってきたのはおそらく長島の一向宗だろう。
長島には願証寺があって、八世宗主蓮如の息子の蓮淳によって創建されている。坊主のくせに息子がいるってどういうことだっつーの。まあ、そんなことはどうでもいい……。
一向宗どもをどうしてくれようか。今回は幸いなことに信泰たちは軽傷で済んだが、下手をすれば命を失っていただろう。
戦場なんだから、俺の家臣だって死ぬのは分かっている。だが、ゴキブリみたいに湧いて出てきて人を襲うなんてテラ●ォーマーズじゃねぇか!
いかん、どうも一向宗のことになると気が立ってしまう。史実の信玄は一向宗と良好な関係を築いていたのに、俺は最悪な関係だな。どうでもいいか。
「美濃は順調か?」
「守護土岐政房殿は寝たきりであり、その子頼武殿と頼芸殿の対立は混迷を深めております。そのこともあって、西村正利なる者が調略に協力的であり、調略が思った以上に進みました。現在は東濃と中濃までの進軍が完了しています。残すは西濃ですが、ここでも調略が進んでいますので、それほど時間はかからないと存じます」
望月虎益からの報告は俺の予想通りのものだった。
守護代の斎藤家がどうしても靡かなかったが、それ以外の多くはこちらについた。
ここで西村正利という名が出てくるが、こいつは後の斎藤道三のことだ。西村正利は時勢を見るのに長けていると思っていたので虎益には最初に調略するようにと命じておいた。
「竹中重氏、重元親子はどうなっているか?」
大野郡の大御堂城主である竹中重氏とその子の重元は、あの竹中重治(竹中半兵衛)の祖父と父親だ。
竹中半兵衛と言えば現代の岐阜県不破郡垂井町にあった菩提山城が有名(?)だが、今の竹中家は岐阜県揖斐郡大野町に居城である大御堂城を構えている。
この世界で竹中家が菩提山城に移るかは不明だが、竹中半兵衛は大御堂城で生まれたと言われているはずだ。
竹中半兵衛はまだ生まれていないが、後々のために竹中半兵衛は押さえておきたいと思って二人を丁寧に迎えるようにと指示を出している。
まあ、竹中半兵衛が活躍する頃の俺は爺さんだから、家督を息子に譲っているかもしれないけど。
「はい、竹中殿は武田に寝返ることを約束してくれましたので、軍勢が西美濃に進めば呼応することでしょう」
「うむ、よくやった。美濃は順調だな。……さて、尾張のことだが」
俺はそこで話を切って、望月虎益、飯富道悦、長尾景長、そして真田頼昌の顔を順に見ていく。
三人は話が尾張のことに変わったため、表情を引き締めた。
「三河の第二軍団の再編はほぼ終わった。しかし、一向宗が知多半島に陣取っているそうだな」
元々遠江に予備兵を配置していたことで、最前線の三河に兵をスムーズに送ることができた。
おかげで信泰が第二軍団を再編するのに大した時間はかからなかったのだ。
「はっ、一向宗は第二軍団を敗走させたのちに三河へ侵攻しましたが、安祥城にてこれを撃退しました。しかし、一向宗は尾張の知多郡へ後退し、そこで略奪の限りを尽くしています」
安祥城は三河と尾張の国境近くの要所にあるので、ここを防衛したことで一向宗の三河侵攻は防いだことになる。しかし、尾張の知多郡に陣取って略奪や婦女子を犯したりとやりたい放題だ。
どうも織田大和守家の織田達勝が一向宗を呼び込んだらしく、知多郡の惨状を黙認しているらしい。
織田達勝としても尾張を武田に奪われたくないという気持ちがあってのことだろうが、はたから見たら自分を守るために一向宗を呼び込み、知多郡を人身御供にしたという感じだ。
戦略的には知多郡に一向宗がいれば武田の防波堤になってくれるから知多郡を一向宗の好きにさせるメリットはあるだろう。
自力で国や領地を守るのではなく、一向宗の力を借りて守ろうとする。その気持ちは分かる。だが、それによって一向宗の略奪を許すその根性が気に入らない。
俺の心の中では、織田達勝が降伏しても許す道がなくなったといっていいだろう。織田達勝の首を願証寺の門前に曝してやろうじゃないか。
「織田伊勢守家は今回の一向宗の襲来を最初は喜んだようですが、その後の知多郡の惨状を見て織田大和守家を見放したようです。それは清洲三奉行も同様であり、織田大和守家は孤立しております」
「ならばよし。もし、知多郡の惨状を見て何も思わないのであれば、織田という家名を名乗っている奴らを根絶やしにしていたところだ」
織田を根絶やしにせずに済んで、俺自身もほっとしている。無駄な血は流したくないからな。
別に織田信長が生まれないことを心配なんかしていない。武田にとってはむしろ織田信長は生まれないほうがいいかもしれないし。
まあ、織田信長が今川義元を討ち取る桶狭間の合戦までまだ四〇年あるから、その間に武田がもっと大きくなって京を押さえて天下に号令している可能性は高い。その逆に全国の反武田勢力から袋叩きにあって家が滅亡している可能性もあるが。
どちらにしろ、織田信長が活躍する時代までは時間がある。
「道悦。一向宗をどうすればいいか」
「さればでござる。まずは土屋の海賊衆によって海上封鎖を行い長島よりの援軍や物資を止めます。そのうえで知多郡へ再侵攻して腐れ一向宗どもを根絶やしにするがよろしいかと存じます」
俺と同じ考えだ。
「景長は何かあるか」
「土屋殿には一向衆を知多郡から逃がさず、さらに援軍を入れさせるないように徹底し、第二軍団には大量の炸裂雷筒を与えましょう」
景長の意見にも同意だ。
「頼昌、何かあるか」
「伊勢氏綱殿を派遣し、参謀とされてはいかがでしょうか」
氏綱か、まあ氏綱なら慎重な男だから、信泰が一向宗を見て猪突猛進しそうになっても止めてくれるだろう。止めてくれるよな?
「うむ、そうだな。そのように取り計らってくれ」
俺の言葉に頼昌が「はっ」と答えると、さらに続けた。
「あとは、織田達勝の処遇にございますが、殿の一向宗嫌いを世に知らしめるためにも、厳罰を持って対処するのがよろしいかと存じます」
「俺が一向宗を嫌いだといつ言った?」
「違いますので?」
「いや、否定はせん」
「ならば問題ないかと」
「ふっ、織田達勝は死罪だ。簡単に殺すなよ、一向宗と手を結んだ奴がどうなるか、この世の恐怖というものを全て味合わせて殺してやれ」
「は、その旨を徹底させます」
俺自身が出陣して一向宗を駆逐したいが、それでは信泰も面白くないだろう。今は上洛を前にした大事な時期なので信泰に尾張を手に入れさせて士気を上げておきたい。
腐れ一向宗に負けたことは、安祥城でこれを防いで体制を立て直したから処罰はしない方向だ。
ただし、尾張を手に入れても信泰には褒美は与えない。それで、敗戦の罪は完全にチャラということにする。それなら誰も文句は言わないだろう。
▽▽▽
大永二年九月一日。
残暑厳しい今日この頃だが、俺の書類仕事はまったく減らない。
俺が戦場に出なくなって久しいが、デスクワークがありすぎて出られないという実情がある。
「殿、細川澄元を擁立した三好之長が京に攻め入り、管領細川高国は近江へ逃げ延びたそうです」
望月虎益が叔父信賢からの書状を持ってきたので読んだ俺に、虎益が補足説明をする。
「代替わりしたばかりの六角定頼は細川高国を保護しました」
史実より少し早い進軍だったな。
「将軍の様子は?」
「細川澄元と三好之長が恭順の誓書を提出したことで、二人を受け入れたようです」
「元々、高国との間は冷え切っていたから、当然のことか」
足利と細川は本当に度し難い。そう思うのは俺だけか?
「京の状況は?」
「左衛門督様を始めとした京に詰めておいでの方々によって、内裏と京は警護されておりましたので、内裏や公家の方々に目立った被害はございませんでした」
「三好之長も帝や公家を守る軍を敵視するわけにはいかなかったようだな」
「そのようで」
「まあ、内心は田舎武者の武田ごときが偉そうに。と思っているだろうがな」
俺の言葉に望月虎益、飯富道悦、長尾景長、真田頼昌の四人が苦笑する。
まあいい。この後は細川高国・六角定頼勢と細川澄元・三好之長勢がぶつかる可能性もあるが、史実と違って高国に協力するのは六角だけだ。朝倉は俺の要請を受けて動かないはずだし、土岐は高国を援助するどころの話ではない。
だから、高国・六角勢は数が足りないと考えて動かないだろうし、澄元・三好勢が高国・六角勢を攻撃しようとすると、京を守る武田が気になる。
武田は攻撃されない限り動かないが、もし澄元・三好勢が武田を攻撃したら高国・六角勢が背後を突こうと動くだろう。三竦みだな。
「なんと言っても朝廷が武田軍を禁軍と認めたことが公になったのだ。その意味は大きいぞ」
禁軍というのは唐式の呼び方だが、内裏を守る朝廷の軍と考えてもらえばいい。
「左様ですな。これで武田は官軍として上洛ができます」
官軍は朝廷の軍という意味なので、官軍である武田に弓引くことは、すなわち朝敵ということになる。
「尾張と美濃も粗方片づきましたし、来年はとうとう上洛ですな」
「いや、まだ長島がある。気を抜くなよ」
尾張の知多郡を好き放題やっていた一向宗は殲滅した。文字通り一人も残さず殺した。
降伏した門徒はいたが、知多郡で略奪が繰り広げられて酷い状態だったので、僧だろうが信徒だろうが関係なく改宗を条件に解放することはしなかった。
俺がその場にいたら、殺してやるからありがたく地獄へいけと言ってやっただろう。
あと、織田達勝は逃げやがった。
織田達勝の行方は今のところ分かっていない。もしかしたら清洲三奉行の誰かに殺されたのかもしれないな。
くそ、あの野郎にはこの世で地獄を味合わせてやりたかったのに。
--- 補足 ---
西村勘九郎正利(後の斎藤道三)はすでに西村姓を名乗って長井家に仕えている設定にしています。
さすがに斎藤家を継いでいるのは年代的に無理がありますので、美濃で長井家に仕え始めた頃ということにしています。




