046 尾張、美濃そして長島
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聖騎士の犬と言われた僕はガチャに目覚めて最強を歩む ~最強になりたいわけじゃない。ただ、誰かに引け目を感じたくないだけなんだ~
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大永元年一二月七日。
年の瀬という時期なのでただでさえ忙しいが、後回しにはできない今年の戦果に対する褒美を与える。
つまり、俺の前には叔父の武田縄信、従兄の油川信守、家臣では板垣信泰、諏訪頼満らが頭を下げている。
俺はそれを二、三度頷いて見下ろす。
「武田縄信、面を上げよ」
「はっ」
「この度の働き、誠にあっぱれ。よって下総一国を与える」
「ありがたき、幸せ!」
予定通り叔父縄信には下総を与えた。これで、上総の武田と常陸の佐竹は叔父上が睨みを利かせてくれるだろう。
佐竹は同盟をしているので比較的友好的だが、上総武田は敵対しているのでこれからは調略を駆使して上総武田の勢力を弱めていこう。
下野の甘利宗信と越後の海野棟綱、そして下総の叔父縄信で完全に北の勢力を抑え込むラインができた。
「油川信守、面を上げよ」
「はっ!」
顔を上げた信守の顔はとても自慢げだ。
「この度の働き、祝着。よって越中を与える。また、武田姓を名乗ることを許す。今後は越中武田家を名乗るがよい」
「ありがたき幸せ!」
平伏する信守はこれで一国の主だ。嬉しそうだな、一時期は領地もなかったから嬉しいだろうな。
「今後の働きに期待する」
「殿の御ため、全身全霊を持ってお仕えいたしまする!」
越中は能登と加賀への抑えだ。越中に援軍にきた加賀の一向宗もかなり勢力を削ったが、滅ぼしたわけではないのでこれからも激しい戦いがあるだろう。
加賀の一向宗には越前の朝倉も厳しい対応をしているので、前世のような勢いはない。まあ、武田が越中に進出して戦ったことが利いていると思うが。
信守には、朝倉と連携して一向宗をじわじわと追い込んでいくように命じる。
そして加賀の隣の能登には畠山がいて、今はそれなりの威勢を誇っている。
畠山は永正一二年に六代目当主の義元が死去して、今は七代目の畠山義総が当主だ。義総は能登畠山の全盛期を築いた人物なので、油断はできない。
それに、能登にはあの上杉謙信でも落とせなかった七尾城がある。これから畠山は全盛期を迎えるので勢いがあるだろう。
ただし、義総の息子の義続が後を継いで八代目の当主になると、追放されていた叔父が一向宗と結んで攻めてくるし、家臣である遊佐続光と温井総貞らの権力争いもあって隠居させられることになるし、九代義綱の代になると能登を追い出されることになるんだけど。
「板垣信泰、面を上げよ」
「はっ!」
次は信泰だ。信泰は一向宗を駆逐し、三河を平定した。
三河にいくつもある松平家はほとんどが俺に従ったし、一向宗以外は戦いらしい戦いもなかった。
各松平家は三河より引きはがして、各地へ領地替えを行った。三河武士は精強で知られるから関東の各地へ移封して関東にその力を入れた。
関東は三河と違って開墾のし甲斐がある場所だから喜んでいるんじゃないか?
また、逃げ出した今川氏親と小笠原長棟は、共に松平親善によって討ち取られている。
松平親善には嫌な役回りをさせたが、不満も漏らさず反逆者どもを誅殺した。だから領地にちょっと色をつけておいた。
まあ、氏親を生かしておいては、自分のためにならないと思ったのが正直なところだろう。ただ、松平親善は徹底していて、氏親の娘を離縁している。そこまでするかと思うが、今回のことで松平親善が武田の下で生きていくつもりなのがよく分かった。
氏親は駿河と遠江の守護だし長棟も信濃守護だった。腐っても守護職なんだよな……。俺は足利なんてクソだと思っているが、その権威は根強くある。
俺に反抗しようとした奴らには、誰もついてこなかった。そこに俺から討伐命令を受けた松平親善が押し寄せて宇都宮城を攻めた。
今川氏親たちは焦っただろうな。なぜ誰も迎合しないのか、なぜ自分たちが攻められなければならないのかと。
風間出羽守の報告では、三人は降伏の使者を出したが、松平親善はその使者を切り捨てたそうだ。
一部の者からは降伏を受け入れてもよかったという非難めいた声も上がったようだが、松平親善の心情としてはここで悪縁を絶っておきたかったんだろうな。それにこうなることが分かっていて松平親善に討伐命令を出したのは俺だから、俺はこの結果に満足をしている。
松平親善にはババを掴ませる形になってしまったが、ほとぼりが冷めるのを待って何か役に就けてやろう。
おっと、いけない。今は信泰のことだったな。
「信泰、お前の働きに俺は満足している」
「はっ、ありがたきお言葉」
「よって、三河を与える」
「ありがたき幸せ!」
信泰が平伏した。これで俺の一族以外の家臣で国持ちになったのは信泰が初めてだ。
今までは遠江を拠点にしていたが、あくまでも指揮命令権を与えていたにすぎない。下野の甘利も軍団長として指揮命令権があるだけだ。
だが、今回は板垣信泰に三河を与えている。三河には東海道があり、関東から上方(京、大阪方面)へ向かう要所でもあるし、尾張、遠江、信濃、美濃に隣接しているため、東海で各地に睨みを利かせるには丁度いい。
「諏訪頼満」
「はっ」
「頼満には越後に一万石を加増する」
「ありがたき幸せ!」
諏訪は御柱で有名な諏訪大社の大祝の家なので、簡単に領地替えができない家なんだよな。
諏訪に隣接した土地を加増してもよかったが、甲斐に近い諏訪周辺に大きな勢力を置きたくないというのが正直なところだ。だから飛び地で加増した。
他にも戦功があった者に褒美を与え、論功行賞は終了だ。そして最後に……。
「皆、この数年は武田にとって最も重要な年になるだろう。準備をせよ! 数年後には上洛である! 皆の働きに一層の期待をする」
「おおおぉぉぉっ!」
「殿! この信泰、殿の露払いとして京への道を切り開きましょうぞ!」
「うむ、頼もしい言葉だ。頼んだぞ」
「ははーーっ!」
大永元年がもうすぐ終わる。
今年は甲斐、駿河、伊豆、相模、武蔵、下総、上野、下野、越後、越中、信濃、飛騨、遠江、三河の一四カ国を完全に支配下に置いた。石高は四百五十七万石に達している。
ここで問題になるのが、上洛軍の陣容だ。誰を残して誰を連れていくか……。これは悩むし、下手な人選をすると恨まれそうだ。
「ふーーー」
自室に戻って大きく息を吐く。
今年最大のイベントである論功行賞が終わり、今後のことを考える。
来年は妹の日菜子が鷹司家の嫡男である、鷹司忠冬殿に嫁ぐ。まだ九歳の鷹司忠冬殿に対して、姉さん女房になる日菜子だが、仲睦まじい家庭を築いてほしい。
婚儀のために日菜子を京へ送るつもりだったが、忠冬殿がこの小田原に下向されることになった。
俺の上洛に絡んだ混乱が京である、または混乱する可能性があると関白鷹司兼輔様は考えているのだろうな。
もしもの時に忠冬殿がこの小田原にいることで、兼輔様に何かあっても忠冬殿は安全な小田原にいるのでお家は安泰というわけだ。
リスク管理は家を保つためには必要だ。
……しかし、鷹司家は忠冬殿が三〇代で他界するはずであり、史実ではそこで鷹司家が断絶してしまうはずだ。だから忠冬殿には滋養によいものを贈って食べてもらおう。もちろん、適度な運動も大事だ。
子供を作ってもらわねば、日菜子が肩身の狭い思いをするだろうから、できるだけ長生きをしてもらって子供を一人と言わず二人でも三人でも作ってもらおう。
弟の信友も来年三月に朝倉の姫を娶るし、異母弟の三郎も来年二月に元服して再来年には三浦義同の娘を娶る。めでたいことが続く。
おっと、忘れていけないのは、九条殿、楠浦殿、勧修寺殿の出産もある。来年は上洛なんかしていられないって言ったら、家臣たちに叱られてしまうな。
まあ、上洛は早くても二年後になる予定なので、来年は上洛しないけど。
「殿、京の松尾信賢様より書状が届きました」
「ほう、叔父上からか。……何かあったか?」
ふむ、管領代の大内義興が周防へ帰ったか。史実よりも少し早いが概ね予定通りだな。
しかし、これで阿波の細川澄元が三好之長の軍を率いて上洛することになるだろう。
こっちの上洛が早いか、細川澄元の上洛が早いか……。基本的には細川澄元のほうが早いんだよな。
いっそのこと上洛時期を遅らせて、細川澄元と細川高国が争って疲弊するのを待つか?
たしか、高国は近江に逃げて六角、朝倉、土岐の支援を得て澄元を破るはずだから、朝倉には高国に味方しないようにと念を押しておこうかな。
美濃の土岐は俺が攻めるから細川高国の要請には応えられないか。いや、土岐が動かなかったら六角も高国を放逐するかもしれないから、土岐への攻勢は止めておこうか……そんなことができるわけがない。俺が美濃を盗って、細川高国には六角の戦力だけでなんとか細川澄元と戦ってくれと言いたい。
両陣営でつぶし合ってくれたら俺的には一番いい結果だ。結びつくことはないと思うが、そうならないように密かに望月虎益に煽らせるとしよう。
甲賀の望月もこっちへつくと返事がきたし、上手いことやってくれるだろう。
▽▽▽
大永二年四月二〇日。
三月に朝倉の香姫が信友の下に嫁いできた。信友が鼻の下を伸ばしていたのが印象的だ。
そしてこの四月に鷹司忠冬殿が下向されて、日菜子と祝言を挙げた。
それに二月に三郎も元服して、信貞と名乗らせた。しかも従五位下兵部少輔に任官していただけた。どれもめでたいことだ。
「叔父上、上洛軍についてですが」
「分かっており申す。北はこの縄信が抑えておきます」
叔父上は何も言わなくても理解してくれていた。本当に助かる。
そういう気づかいができるし、武一辺倒ではない叔父がいてくれて本当に助かる。
「よろしくお願いいたします」
「お任せくだされ」
叔父縄信には頭が上がらないな。俺が上洛軍の陣容を書いた紙を広げて見せると、叔父縄信「ほう」と声を出した。
「叔父上のところの信盛と信行は連れていきます。上洛するのはあの二人にもいい影響を与えるでしょう」
「ご配慮、忝い」
いや、留守を任せるのだから配慮は当然だ。見ようによっては、二人を連れていくのは人質に見えるだろう。だが、叔父縄信にそのようなものは不要だ。この叔父は自分のなすべきことを理解している人物である。
「尾張と美濃へ同時に進攻するのですな」
「うむ。三河から板垣信泰の第二軍団、信濃から諏訪の第六軍団。あとは俺が軍を率います」
今の第二軍団の兵力は一万五〇〇〇、第六軍団の兵力は一万二〇〇〇。この兵力で両国を抑える。
問題は尾張のほうだ。尾張を抑えると必然的に長島と接することになる。
長島は東海道の一向一揆の拠点であり、攻めづらい場所だ。史実でも織田信長がかなりてこずった場所だ。
「長島はどうされますか?」
「潰す」
俺が短く明確に答えると叔父縄信が顎に手を当てた。
「潰せますか?」
これは俺の上洛までにという意味だ。
「やらねばならぬ。長島を落とすためには、桑名を手に入れなければならないし、伊勢湾の各湊を抑えなければならぬ」
「湊を……」
「各湊にはすでに一向宗と取引をするなと申し伝えた」
「……聞きますかな?」
「聞かぬな」
対象の湊は大湊、山田、宇治、桑名、松坂だ。
これらの湊は海運の拠点としてかなり栄えている。
「湊を抑えるのは、長島を封鎖するためで?」
「いや、各湊を抑えるのは、海軍の邪魔をさせぬためだ。そのため、巨大な戦艦を造らせている」
「巨大な……戦艦?」
「そうだ。誰もが驚くような巨大な戦艦だ。それを見れば俺を恐れて敵に回るのを躊躇するだろう」
「それでも長島に味方したら……?」
「その巨大戦艦には大筒が一〇〇門搭載できる」
「ひゃ……一〇〇門ですか……。それで、湊を」
「そうなる。俺は警告をした。それでも敵対するものに、容赦しない」
巨大な戦艦は戦列艦だな。三本マストの巨大な戦艦に膨大な数の大筒を搭載した戦艦になる。
ヨーロッパでこの戦列艦が登場するのは一七世紀頃のはずだから、百年ほど早い登場になる。
秘密裏に建造していたが、その戦列艦が数日前に完成した。今は二番艦を建造している。
巨大だし大筒を一〇〇門も搭載するので、建造には時間がかかるだろうが、俺が動くまでには三番艦が完成しているはずだ。
俺はにやりと叔父縄信の顔を見た。
叔父縄信が指で顎を撫でてにやりと暗い笑みを返してくる。
「あと、海上を安全に通行できなければ、上洛なんてできん」
「それは、物資の運搬ですか?」
「そうだ」
上洛の大軍を維持するのは簡単ではない。それだけの物資を運搬するにも、陸上より海上のほうが楽なのだ。
だから、桑名へ物資を運びこんで、そこから陸上輸送する。
あと、大軍を維持する兵糧もそうだが、上洛した大軍をどこに留めるかもある。上洛軍は俺の本体を含めて五万くらいの数になる。
これだけの大軍になると一つの町が移動する感じになるので、行軍も遅くなってしまうので時間もかかるんだよな。だから、兵を速やかに運搬するためにも海上輸送は楽なんだよ。
「伊勢には北畠、長野、他にも北勢の国人たちがいますが、どうされますので?」
「湊を抑えたら文句を言ってくるだろうな」
「放置するので?」
「いや、何か言ってくると思う。その時の状況と相手の出方次第で対応を考える」
伊勢まで手を出すと、時間がかかるから上洛が遅くなるので基本は放置だ。
だけど、敵対するのであれば、放置もできない。どうなることか。
「先ほども頼みましたが叔父上には北を抑えてもらい、北陸は信守も上洛させるので一向宗の押さえは、副軍団長の今井信元にやってもらいます。京では伊勢長綱に少しずつ兵を集めさせていますから、我らの上洛によって幕府が混乱してもいいように備えます」
将軍足利義稙や管領細川高国が自暴自棄になって、内裏へ討ち入るなんてことになったら目も当てられないからな。
叔父信賢には伊勢長綱がついているから兵の指揮は問題ないだろう。
「そのために信賢叔父上は左衛門督なのでそのままでいいですが、弟の信房を左京亮、伊勢長綱を右京大進、穴山信風を左京大進に任じていただく予定です」
「なるほど、衛門府の長官である左衛門督は内裏の警備、そして京職であれば京の警備をしても問題ございませんな」
衛門は近衛に言い換えることができ、その衛門府の長官である左衛門督の叔父信賢は内裏の警護を担ってもなんの問題もない。
そして、京職というのは京の司法、行政、警察を司る行政機関のことなので、京職が京の治安維持をする組織であり、目の前にいる叔父縄信が左京大夫なので左京職のトップになる。
だが、右京大夫は管領細川高国だったりするので、邪魔な存在だ。高国の右京大夫を罷免してやりたいが、下手に罷免するとこちらの思惑を見透かされそうだ。まあ、見透かされても困ることはないけど。
今年七月になると、弟信房が従五位下左京亮、伊勢長綱が従六位下右京大進、穴山信風が従六位下左京大進に任じていただいたと報告がきた。
足利義稙や細川高国はまだこちらの思惑に気づいていないと、叔父信賢の書状には書いてある。
それと六月に九条殿が男子(四男)を生んでくれ、七月には楠浦殿が男子(五男)を、同じく七月に勧修寺殿が男子(六男)を生んでくれた。
男子が三人も生まれたので、お祝いムードが半端ない。俺は女の子でもいいんだがな……可愛いから。




