045 上洛準備
今川氏親の捕縛は「上洛準備」を読んでいただければあります。
大永元年一〇月二五日。
早いもので御大礼を執り行って、もう一年がたとうとしている。近年稀に見るほど盛大な御大礼であった。
その御大礼の資金を全額負担した武田を皆が褒めておる。
もっと早く武田のことを知っていたなら、この二条からも姫を嫁がせたものをと、思ってしまう。九条さんと近衛さんは世渡りが上手である。
だが、二条としても黙って武田を放置するつもりはない。春子さんがお産みになった武田の嫡男に麻呂の姫を嫁がせる。そうすれば、二条も武田と強い縁を結ぶことができるであろう。
その武田だが、今では甲斐、駿河、伊豆、遠江、三河、相模、武蔵、上野、下野、下総、越後、越中、信濃、飛騨を支配下に置いた。石高は四〇〇万石を上回ると聞く。
過去の平氏のような勢いである。いや、平氏以上の勢いであろう。
そして、武田はお上より上洛の勅書を賜っている。このことは京におられない一条家を除いた二条、九条、近衛、鷹司の四摂関家のみが知っていること。
武田も家中では認識されているようだが、他国に対して勅書のことは公にしていない。おそらく、公方さんの軽挙妄動を考えてのことだろう。
だが、京にかなり近づいている。信濃や飛騨からであれば、美濃と近江があるのみ、三河からでも美濃、近江、そして尾張があるのみだ。
武田がその気になれば、来年にも上洛軍を押し立てて上洛するであろう。
京には公方さんがいるが、もし武田が上洛するようなことになれば、京はまた荒れるかもしれぬ。武田が上洛するのはお上の御心ゆえであって、公方さんを助けるためではないからだ。
公方さんが大人しく将軍位を返上し武田に天下を任せればいいが、あの公方さんが大人しく将軍位と天下を返上するはずがない。
仮に公方さんが京を捨てて武田の手の及ばぬ西へ逃れれば、再度上洛しようとして反武田勢力を糾合するやもしれぬ。その役割を果たすのはやはり大内であろう。
それに細川澄元と共同で武田に当たれば、その軍勢はバカにならぬゆえ武田は強いが負けぬとは限らぬ。
もし武田が負けて京から退くことになれば、お上が危険である。それを考慮してもなお、お上は武田の上洛を望まれた。
どうあっても武田を勝たせねばならぬ。公家としても武田に勝ってもらわねば困るのだ。
「この二条尹房、なんとしても武田を勝たせてみせる」
▽▽▽
一一月に入ってすぐに九条殿と楠浦殿、そして勧修寺殿が懐妊したと聞いた。
来年の夏頃に生まれる予定だ。子だくさんでいいことだ。
上杉殿が二人で、今回のことで九条殿と楠浦殿も子供が二人ずつになる。勧修寺殿と近衛殿は一人だが、近衛殿は嫡男を産んでいるので俺の跡を継いで武田宗家を受け継ぐことになる。
関東管領の憲房は週に一度は小田原城内にある館に一郎と次郎の顔を見にやってくる。
上野にある城は家臣に任せて、今は小田原城下の屋敷で悠々自適に暮らしている。一郎と次郎からすれば、いい爺さんってところだろう。
九条殿、近衛殿、勧修寺殿も京からよく手紙がくるそうだ。その手紙から京の状況を確認することもできるが、逆に九条殿、近衛殿、勧修寺殿から武田家の内情が漏れることもあるだろう。
まあそれはいい、俺は妻たちの前であまり政治的な話はしないから構わない。
今日は領内の視察をしている。馬に乗り、小田原の城下町をひと通り見て回る。活気があって銭とものが循環しているのが分かる。
商人たちはひっきりなしに訪れる客の対応で忙しそうにしている。俺はそんな中の一軒の店に入った。
「こ、これはお殿様!」
「駿河屋、視察の途中で近くを通ったのだ、邪魔するぞ」
「ようこそおいでくださいました。奥へどうぞ」
「すまぬな」
駿河屋は清水湊に店を出していたが、小田原城が整備される時にいち早く店を出す土地を確保した人物だ。清水湊の店は弟に任せているらしい。
「商売のほうはどうだ」
奥に通され茶を出してもらった。護衛としてついてきた原虎胤が毒見をしようとしたが、それを制して温かいお茶を飲んで駿河屋に聞いてみた。
「はい、儲けさせてもらっております」
「そうか、儲けているか。それはよかった」
商人が儲けていないのでは、経済が回っていないということだ。だから、商人は儲けが多くほくほく顔をしているほうがいい。
「何が不足している」
「はい、お殿様のおかげをもちまして、どの商品も品薄状態が続いております。ですが、特に品薄なのは乾燥シイタケ、清酒、石鹸、それと絹織物です」
乾燥シイタケ、清酒、絹織物は生産量を増やしているが、需要に追いついていないのは承知している。
しかし、石鹸は武田の家臣たちの領地で生産が盛んに行われているので、そこまで品薄だとは思ってもいなかった。
「乾燥シイタケ、清酒、絹織物は品薄なのは知っていたが、石鹸もか」
「はい、石鹸は明や朝鮮、それに南蛮人も買っていく商品ですから、いくらあっても足りないのです」
「そうか、もっと生産量を増やす体制にするように指示しておく」
「ありがとうございます」
駿河屋に寄ったのは商売の話もあるが、情報収集のためだ。
「して、将軍家の周辺はどのようになっているか」
商人は日ノ本のものの動きに敏感だ。それに各地の有力者とも繋がりがある。
駿河屋の場合は米と海産物に強く、最近は武田の商品に力を入れている。そのため、かなり手広く商売をしているので、色々な情報が入ってくる。
「公方様と管領様との間はかなり冷え込んでいるようです。これは京にいる息子が御所へ伺った時に聞いた話ですが、管領様は朝廷内で武田家の発言力が強まっていることをかなり危惧されているようです。ですが、公方様はあまり気にされていないご様子です」
「ほう、将軍家は無関心か……」
管領だけではなく将軍家も敵対心を持っていると思っていたのだが、義稙は何を考えているのだ?
「それと、これは不確定な情報ですが、大内様が本国へお帰りになるという噂です」
「ほう、大内義興殿が周防に帰るか」
たしか、史実では来年の永正一五年(今世では大永二年)に周防に帰るはずだ。
山陰地方の尼子家が好き勝手やっているから、看過できなくなってきたんだろう。
大内と尼子ときたら毛利だが、毛利元就にまだ力はない。今は多治比元就と名乗っているはずで、甥で毛利家の当主である幸松丸の後見をしているはずだ。
大内が周防に帰る。ただ噂が流れているだけなのか、それとも少し前倒しで周防に帰るのか。どちらにしても細川澄元が三好之長と共に動き出すことになるだろう。
だが、俺も再来年には上洛をしようと思っているので、細川澄元と三好之長が動くかどうかは微妙なところか。
「また、お殿様がお贈りになられました、知仁親王殿下の第一皇子様のご誕生のお祝いの品々に、知仁親王殿下が感激されていたと聞き及んでいます」
知仁親王は次の帝になられる後奈良天皇だ。そしてその第一皇子はその次の帝になられる正親町天皇である。この帝ラインは確実に抑えておかなければいけない。
だから今年ご誕生になられた後の正親町天皇にはこれでもかと祝いの品々を贈った。
正親町天皇は赤子なので分からなくても、知仁親王はしっかりと俺のことを覚えてくれるだろう。それにあと九年で後柏原天皇が崩御されて、知仁親王が後奈良天皇になられるのだから、今のうちから名前を憶えてもらっておいて損はない。
「うむ、喜んでいただけたなら、俺もお祝いの品々を贈った甲斐があったというものだ」
俺は駿河屋だけではなく、色々な商人から情報を得ている。
一人の商人からだと情報が偏るが、多数の商人からの情報であれば、精度が高くなると思ってのことだ。
それに儲けさせてやっているのだから、商人も俺に喜んで情報をくれるのだ。
▽▽▽
大永元年一一月二一日。
今川氏親が反武田勢力を糾合した。と言っても、その勢力はとても武田家に反抗できるものではない。
愚かなことに信濃の元守護職である小笠原長棟、そして旧駿河の国人の一部が今川氏親に呼応しただけで終わっている。
殿がこの愚か者たちを泳がせていたとも知らず、毎日酒盛りをしているのだから、度し難い。
「殿、今川氏親をいかがなさいますか」
「そうだな、氏親の呼びかけに応じた者は分かったのだから、そろそろ狩りを行うとするか。さて、誰にやらせるか……」
殿は顎に手を当ててやや考えたが、すぐに討伐を任せる武将の名を思いついたようだ。
「松平親善に任せることにするか」
「なるほど、松平親善殿は今川氏親の娘を娶っていましたな」
「娘婿であれば、無駄な抵抗はせずに捕縛されるであろう」
「しかし、小笠原長棟もおりますが?」
「どのみち、謀反は確定なのだ。捕縛できればそれに越したことはないが、殺しても構わん。松平親善に任せることにする。出羽守、手配を頼むぞ」
「はっ」
殿はそう仰るが、松平親善殿からすれば厄介な縁者はここで殺しておきたいと思うだろう。某なら間違いなくどさくさに紛れて殺す。
もし生きて捕縛すれば、今後も今川氏親に悩まされることになるかもしれぬ。それを考えれば、殺して後顧の憂いをなくすのが吉だ。
「出羽守は今川、小笠原、そして松平をよく監視してくれ」
「はっ」
某は殿のご前を辞してすぐに、配下の者に指示を与えた。
我が風間党は殿のおかげで旧領を回復し、さらに五〇〇〇石の知行を得ている。
今後も働きに応じて知行は増えるだろう。そうなるためにも、殿のお膝元で騒動を起こさせるわけにはいかぬ。
<<お願い>>
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