039 公卿
永正一二年一二月一八日。
年の瀬も近づき、寒さが一層ました日だった。京より勧修寺尚顕様がお越しになり、ありがたいことに俺は従三位左近衛大将を賜った。
「本来ならば上洛してお礼言上すべきですが、甲斐は遠くままなりません。家督を継ぐ前のように気軽に上洛できぬことが悔やまれます。勧修寺様、この信虎、恐れ多くも帝よりお受けいたしましたこのご恩、終生忘れませぬ」
「その言葉を聞けば、お上もお喜びになりましょう」
勧修寺尚顕様は扇子で口元を隠し、お笑いになった。
「ところで、御大礼はいつ頃になりましょうか」
「うむ、準備もありますからな、来年一〇月のよき日に即位の礼を執り行い、一一月のよき日に大嘗祭が執り行われる予定になりましょう」
約一年もの準備期間があるのか、大変だな。
他人事のように言っているが、実際に他人事だ。こういうことに武家が口を出すと公家に嫌がられるのだ。
だが、銭を出す以上は口も出す。とは言っても、儀式などに口を出す気はない。俺が口を出すのは来年の御大礼で、足利将軍家の扱いだ。
足利義稙にできる限りの厚遇をさせてやってくれと頼んでいる。
義稙は自分がなんの寄与もしていない御大礼に列席して居心地悪いと思うかな。これは嫌がらせだからそう思ってくれたら嬉しいが、義稙たちは図太い性格をしていそうだから、当然のような顔をして列席するかもしれないな。
あとは大内義興にできるだけ軍費を使わせたいので、御大礼の警護は義興に命じてくれというものだ。
こんなことしなくても永正一五年に京を離れて周防に帰るはずだけど、二度と京のことに手を出させないためにもここで散財させておきたい。
▽▽▽
永正一三年一月二六日。
今年の正月は皆の顔が明るい。これも御大礼が執り行われることになったからだろう。
まさか左大将さんが五〇〇〇貫文も献金するとは思ってもいなかった。
昨年は御大礼のために多額の献金をしてくれたので期待していなかったが、昨年の年末に変わらず高価な品々を献上してくれもした。毎年のことも欠かさずにしてくれた左大将さんには、感謝の言葉しかない。ありがたいことだ。
左大将さんが尊王の志のある人物のおかげで、麻呂たち公家はとても助かっているし、お上も御大礼を執り行えるとお喜びになっておられる。
しかし、機嫌が悪い御仁もいる。麻呂の目の前に座っておられる九条さんだ。
昨年、九条さんのところの経子さんが左大将さんの子を産んだが、それが女の子だったのだ。
そして年を越して早々に近衛さんのところの春子さんが男子を産んだと知らせがあった。春子さんの子が武田の嫡男と決まったのだ、心中穏やかではないであろう。
逆にほこほこ顔なのが近衛さんだ。武田の身代は大内を超えて二五〇万石以上になった。その身代を近衛さんの孫が受け継ぐのである。近衛家にとって、これ以上ないほどの慶事であろう。
「今年は忙しくなります。五摂家として皆さまにご協力をお願いすることが多々あるでしょう。よしなにお願いしますぞ」
九条さん、近衛さん、二条さんが頷いた。
ここに一条さんがおいでになられたらよかったのだが、一条さんは二年前に他界され、今は土佐一条家より養子を迎え家督を継いでいる。
しかし、その子はまだ九歳ゆえ、土佐で養育されているのだ。
一条さんのことを心配しているところではない。麻呂も子は一人しかいない。
あの子に何かあれば、鷹司といえど安泰ではない。そういえば、左大将さんには妹がいたはず。そろそろ年頃だったはずだ。当家に迎えるのはどうか? うむ、息子にはまだ決まった相手はいないのだ、左大将さんに申し入れてみるか。
▽▽▽
これはいかんぞ! どうする!?
「朝廷への献金が功を奏し、縁談の申し込みが後を絶ちませんな」
「信方、笑い事ではないぞ。公家だけではなく武家からも多くの縁談が持ちかけられているのだ、どうする」
「殿はすでに二人の正室と三人の側室をお持ちですし、勧修寺殿以外は子が一人ずつおいでです。今の武田の身代を考えれば、殿のお子は多いに越したことはございませんが、申し入れがあった家の数が些か多すぎますな」
俺への縁談が両手両足の指の数では収まらない。
「その中で、鷹司様の申し入れは妹君をとのこと、これはお受けしてもよろしかろうと存じます」
「俺が言うのもなんだが、日菜子は甲斐の田舎で育った子だ、京の公家、それも摂関家の御曹司の正室など務まると思えぬが……」
「この甲斐には多くの公家がおられますので、行儀作法をご教示いただくのがよろしいでしょう」
たしかに公家には困らないか。
「日菜子はそれでいいとして、他の縁談はどうするか……」
こうなったら裏技を使うしかないか。
「吸江英心を還俗させるぞ」
「なるほど、殿の弟君であれば問題ないかと。されど、吸江英心様が納得されますか?」
吸江英心は俺の異母弟だ。俺と同じ年に生まれている同じ年の弟だが、幼い時に天桂禅長の弟子になっている。
「そうなんだよな。あいつ、曹洞宗の僧侶として真面目に僧侶しているんだよ」
「異母とは言え、弟君をあいつ呼ばわりは感心しませんな」
「………」
信方め、真面目ぶりやがって。
「信方、吸江英心を還俗させろ。頼んだぞ」
「某がですか!?」
「これ、決定事項!」
「ぐぬぬ……」
くくく、ざまぁ。
「あとは三郎にも嫁をあてがって……」
三郎も俺の異母弟になるが、そろそろ元服の年だ。
三郎には三浦義同の姫を嫁にすることにした。史実で三浦義同は息子の三浦義意と共に伊勢と戦って族滅したが、この世界では生きている。伊勢が勢力を伸ばす前に俺が伊勢を攻めたからだ。
「信友は朝倉の姫でいいな」
「向こうも乗り気ですので、問題ないでしょう」
信友の嫁だが、少弐はダメだった。適当な女の子がいなかったのだ。
だから信友には別の家から嫁を迎えることにしたんだが、それが越前守護職の朝倉貞景の姫なのだ。
越前を治めている朝倉家は元々武衛家の被官だったが、今では越前の守護職に任じられていて立派な大名だ。
本当は遠くの大名か落ちぶれた名家の姫を信友の嫁に迎えたかったが、なかなかこちらの思惑通りにはいかない。
朝倉の家臣にはあの朝倉教景(後の宗滴)もいるし、永正三年には三〇万の一向宗をたった一万数千の戦力で撃退した九頭竜川の戦いはまだ記憶に新しい。
火薬もないのに三〇倍の戦力を撃退するなんて、常識外れもいいところだ。そんな教景が朝倉家を支えていく。
会ったことはないが、教景とは気が合う気がする。あのクソ坊主どもはいつか駆逐してやる。
「信連は伊勢だし……」
油川彦三郎を元服させて信連と名乗らせることにした。そして、伊勢氏綱の妹を娶らせることになっている。
「信行には諏訪の姫で……」
裾野武田の信行には諏訪の姫が嫁ぐ。諏訪頼満も観念したようで、昨年の終わり頃に臣従を申し入れてきた。
俺の家臣になった頼満が新年の挨拶にきた際に、信行に娘を嫁がせる気はないかと尋ねたら、涙を流して喜んでくれた。これで信濃の南は安泰だ。
しかし、今年は結婚ラッシュになるな。皆にしっかり励めよと発破をかけてやろう。
▽▽▽
永正一三年三月四日。
徳大寺実淳様の姫との縁談が決まった。
とうとう妻を娶るのか……。感慨深いが、この油川は殿に負い目がある。それなのに、公家の姫を娶れるまでになった。殿に感謝の言葉もない。
殿は武田宗家、裾野武田家、油川家、松尾家に公家の血を入れて、公家との結びつきを強くする政策のようだが、決して武家をないがしろにしているわけではなく、ご舎弟の信友殿や某の弟、そして裾野武田の次男には武家の家から嫁をとらせている。
それに殿の異母弟である吸江英心殿を還俗させて武田信房と名乗らせ、信賢叔父上の補佐として京に送られた。これも妻をとらせるためだろう。
「兄上、越中では一向宗と神保・椎名連合との戦いが激しさを増しており、神保と椎名から臣従の申し入れがあったのですよね。ということは雪解けを待って出陣ですね」
今の某は第五軍団の軍団長を殿から仰せつかっている。常備軍は八〇〇〇だ。
昨年一年間は越後の国人を動かすことは許されなかったが、今年は違う。
越後の頸城郡と魚沼郡の国人を動員する権限を得ているので、我が領地である信濃の高井郡と水内郡の兵と合わせて一三〇〇〇ほどの兵を動かせる。
越中に攻め込む兵力としてはやや少ないが、武田には炸裂雷筒がある。炸裂雷筒は本当にすさまじい威力で、昨年の一向宗との戦いでは、殿が炸裂雷筒を大量に送ってくださったので大きな被害もなく一向宗を押し返せた。
殿は木花之佐久夜毘売命様の加護を受けていると仰っているが、本当だと思えて仕方がない。そういったことは一向宗には本当に効果的で、炸裂雷筒の爆発が木花之佐久夜毘売命様の怒りだと思ってくれるのだ。
「もう少し踏ん張ると思っていたが、思った以上に早かった」
「雪解けが待ち遠しいです」
元服したばかりの信連が楽しそうだ。まだ初陣を済ませていないので、戦の怖さや凄惨さを知らないのだ。
某が何度窘めても聞く耳を持たない。今度、殿……いや、まずは今井信元殿にでも説教をしてもらおう。
さすがに殿から説教をされたら委縮すると思うから、今井信元殿に説教をしてもらって、それでもダメなら殿に頼むとするか。
頸城郡では今井信元殿が代官に任じられているが、同時に我が軍団の副軍団長にも任じられていることから、今井信元殿と頻繁に連絡を取り合っている。




