038 公卿
永正一二年八月三日。
反武田包囲網を築いた小田、千葉、小笠原、蘆名、一向宗の鎮圧が完了したと報告があった。
小田は佐竹に後方を攻められて家を潰し、千葉は下総の内陸側を失った。
叔父縄信はよくやってくれている。そろそろ一国を任せてもいいだろう。予定にはなかったが、下総を得たなら下総を任せようと思う。そうすれば、上総と常陸の抑えにもなるな。
蘆名は揚北衆と連携して越後に攻め入ったが、こちらは甘利がそつなく蘆名を押し返した。揚北衆もついでに追い出して阿賀北川以北の越後を平定した。
揚北衆も蘆名と組めば勢力を伸ばせると思ったのか、バカなことをしたものだ。
小笠原は海野をはじめとした信濃衆がよくやってくれて撃退した。小笠原と一緒に木曽家も攻めてきたが、これも撃退している。
木曽家は武田包囲網ができて、さらに一向宗も武田包囲網に加担していることから、漁夫の利を得ようと攻めてきたんだと思う。
しかし、蓋を開けてみれば小笠原は信濃北部に追いやられて、南部は武田、諏訪、木曽の勢力だけになった。
木曽も小笠原がいなくなって、かなり焦っていると思う。そう思っていたら木曽家が臣従を申し入れてきた。
俺に反抗したはいいが、コテンパンにやられてにっちもさっちもいかなくなったといった感じか。それとも降伏してきた奴に優しい俺に臣従したほうが、木曽家のためと判断したのかもしれない。
おかげで諏訪の周囲は武田に囲まれることになり、益々諏訪の孤立感がすごい。どんどんプレッシャーをかけてやろう。
一向宗は本当に酷い戦いだったらしい。あいつら教義のために死ぬことで極楽浄土にいけると思っているからとにかく突っ込んでくるし、数が多い。
そのことは分かっていたので、武田信守に炸裂雷筒を大量に与えて神罰と言いながら一向宗を爆殺しまくった。信守もかなり辟易している感じの書状だったな。
そのおかげか、越中の一向宗の勢力がかなり弱くなり、守護代の神保と国人の椎名が勢力を盛り返したとかしないとか。しばらくは越中内で争ってくれればいいなと思う。
とにかく今回のことで、越後の国人たちは俺の統治をかなり受け入れた。
なんといっても越後の国人を使わずに甘利軍と油川軍で蘆名・揚北衆、そして一向宗を退けたのが大きい。
国人からすれば武田は頼りになるし、反抗しても成功しないだろうと思ったことだろう。それに武田は銭を稼がせてくれるのだから、不満は少ないはずだ。
▽▽▽
永正一二年九月一一日。
どうやら殿が従三位を賜るようだ。大したものだ。
長兄信縄と次兄信恵の諍いがあって、俺は信恵の兄上についた。そんな俺を説得しに何度も足を運んできたのが、殿であったな。
あの頃はまだ一〇歳にもならぬ小童だったが、今では立派な将におなりだ。いや、立派どころか我が武田家をかつてないほど栄えさせている。
説得されたというのもあったが、俺はあの時の小童に光るものを見た気がした。今思えば、あの時の判断は間違っていなかったと自信を持って言える。この武田縄信、最大にして最高の判断だったと自負している。
「父上、殿はなんと?」
息子の信盛が殿からの書状の内容が気になるようだ。書状を手渡すと二度読み返した。
内容は従三位を賜ることと、俺は領地替えで下総の南部に入れと言っている。
しかも下総は俺の勝手次第ということ。これは下総を切り取ったなら、俺に下総の全てを任せるというものだ。なんとも豪気なものだ。そして信盛の縁談である。
「殿が従三位を賜ることにも驚きましたが、下総を切り取れとは。それに俺の縁談か」
「兄上、某にも見せてくだされ」
二番目の子の信行は今年元服させた。ありがたいことに二人とも殿に烏帽子親をしていただいた。
信盛は俺に似て武に偏っているが、信行は書を好む。殿は武だけではダメだと常々仰っておるので、俺が引退したら二人で何事も諮って物事に当たってほしいものだ。
「下総を切り取ったら、父上に下賜されるということですか。殿は気前がいいのか厳しいのか分かりませんね」
「これ、殿に失礼な物言いは許さんぞ」
「某は殿に忠誠を誓っております。失礼などと心外でございます」
信行は書を好むせいか腕っぷしはともかく、口は達者だ。
「そんなことより、兄上の縁談の話もあるのですね。先の内大臣三条西実隆様の姫ですか。たしか、三条西実隆様の正室は勧修寺家の出で、妹の保子様は九条尚経様に嫁いでいますから、殿のご正室九条殿と側室勧修寺殿とも縁深い方です」
名前だけで公家の血筋や血縁をそらんじるとは、我が息子ながらなかなか優秀ではないか。
「殿は公家との結びつきを強固なものにしたいとお考えのようだ。信行の嫁も公家の姫になるかもしれぬぞ」
「父上、恐らくそれはないと存じます」
「何ゆえだ」
「殿には年頃の親族と言えば弟の信友殿と三郎殿、裾野武田では兄上と某、あとは油川の信守殿と彦三郎殿、それから京におられる松尾の叔父上のところの七郎殿くらい」
俺と信盛が頷いた。
「おそらく殿は兄上と信守殿、それから七郎殿には公家の姫を、信友殿と三郎殿、彦三郎殿、そして某には武家から妻を迎えさせるはずです」
「なぜそう思うのだ」
俺も信盛と同じく信行の言っていることが分からぬ。
「武田家は京から遠いこともあって、あまり公家の血が入っていません。ここで武田宗家、裾野武田家、油川家、松尾家に公家の血を入れて公家との結びつきを強くする政策だと思います」
たしかに武田はあまり公家との繋がりがない。
それに足利将軍家があの体たらくでは、公家との繋がりを強くするのは分からないではない。
「武田家は急速に大きくなった家です。家臣となった者たちの家からも嫁を取って、家臣との繋がりも強めねばなりません。ですから、嫡子には公家、そうでない者には武家から嫁をとろうと考えていると思うのです」
たしかに信行の言うようにすれば、家臣とも繋がりを強くできる。ふむ、言われてみればそういう考えもあるのだな。
「しかし、殿は関東管領様や楠甫家から側室を迎えているではないか」
「兄上。それは側室の話です。某は正室の話をしているのです」
「そ、そうか……」
信盛はそういう七面倒なことは考える性格ではない。逆に信行はそういったことにも頭が回る。
この二人がしっかりと手を取り合ってくれれば、裾野武田家も安泰だ。
「これからも油川と松尾には公家との縁談があるでしょう」
もしかしたら、すでに信守と七郎にはその話がいっているのやもしれぬな。
▽▽▽
俺が従三位を賜ることになったので、この際だから武田一族に公家の血を入れようと思う。つまり公武合体を進めているわけだ。
ん、本来の公武合体とは意味が違うって? いいんだよ、こんなものは言った者勝ちなんだから。
油川信守には徳大寺実淳様の姫を迎えることにした。
徳大寺実淳様の妹は九代将軍義尚に嫁いでいるが、子に男子はいないので足利とも近くないから問題ない。
裾野武田の信盛には三条西実隆様の姫をもらうことにした。
こちらは九条家と勧修寺家と強い結びつきがあるのでどうするか考えたが、裾野武田家はいずれ下総を支配する家だから太いパイプがあってもいいかと思った。
あと、松尾信賢の嫡男である七郎には昨年権大納言に就任された今出川季孝様の姫だ。
今出川季孝様の妹は伏見宮邦高親王に嫁いでいるが、天皇になるような血筋ではない。それでも皇族なので松尾家にとっては名誉なことだ。
それとそろそろ弟の信友に嫁を考えなければいけないが、信友の嫁は武家からもらおうと思っている。
できれば京や武田に影響力のない大名がいい。そう考えると、中国、四国、九州辺りから迎えたい。どこがいいか……。
そう言えば、九州には少弐家があったな。
かつては源頼朝公から鎮西奉行に任じられ九州を束ねていた家柄で、建武の新政で後醍醐天皇に反旗を翻した足利尊氏が身を寄せた家でもある。
それに今後は家臣筋の龍造寺によって滅ぼされる家なので、力がなく家の格がある。いい感じの名家だが、信友の年齢に近い姫がいるかな。
他には、大内はデカすぎるし京にも影響力があるから除外で、大友はキリシタンに染まるアホだし、島津は半世紀後に優秀な兄弟が活躍することになるが、今は手を結んでもいいのか? 伊東もあるが、元々は島津の被官だったはずだから家格として不満がある。
四国だと一条家がダントツの家格だが、公家なんだよな。三好はかなりリスキーな選択だし、中国は大内は除外で、尼子はよく分からん。毛利や宇喜多はこれから大きくなるが……。
こうして考えると、中国、四国、九州はあまりいい家がないな。とりあえず、少弐は抑えておこう。
油川の彦三郎と裾野武田の信行にも武家の姫だな。家格よりは家臣の中から選ぼう。
甲斐の譜代は武田の分家や支流が多くいるから、それ以外のところから選んだほうがいいな。
そうだ、伊勢がいいかもしれないぞ。四兄弟で一万石以上の知行もあるし、氏綱との縁を深めるためにもいい。うん、彦三郎には伊勢の姫にしよう。
信行には信濃辺りがいいな。海野か遠野、あとは真田もいいな。諏訪を意識すると遠野との縁を深めておくか。いや、いっそのこと諏訪から姫をもらって諏訪を取り込むか。姫はいたかな?
考えがまとまらないので、気晴らしに九条殿の元に向かった。一〇日前の九月一一日に姫が生まれたので、顔を見にいく。
九条殿は男子じゃなかったので残念がっているが、そんなことは構わない。
「栄子は美しい姫になるぞ」
「うふふ、殿は華子にもそう仰っているのでしょ」
「母親が美しいのだから、その娘である華子と栄子が美しくなるのは必然であろう」
俺は栄子を覗き込みながら九条殿と話した。
「殿、今度は男子を産みます」
「気にするな、子は授かりものだ。それに俺は女の子でも構わん。可愛いからな」
今は近衛殿が懐妊しているから九条殿も焦っているようだが、こればかりは何ともならん。運に任せて待つしかない。




