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036 公卿

 


 永正一二年一月二〇日、上杉殿が産気づいたと報告があったので、奥へ向かった。

 奥では侍女たちが忙しそうにして、俺がきたのにも気づかない。


「………」

「信虎殿、このようなところで何をされているのですか」


 部屋の前で突っ立っていると後ろから声がかかったので振り向くと、母上が二人の侍女を引き連れて立っていた。


「上杉殿が産気づいたと聞き、やってきました」

「殿方にできることはありません。生まれたら知らせますから政務に戻りなされ」

「はい……」


 俺はその場を追い立てられるように離れることになった。俺がいても邪魔なのは分かっているんだけど、なんだか寂しい。

 昨年から九条殿と近衛殿とも床を共にしているが、九条殿も懐妊したと先日聞いたばかりだ。しかし、俺の種馬感がすごいな。


 せっかく奥へやってきたので、娘の華子に会いにいこう。華子は八カ月になっている。

 侍女が障子を開けて、俺は部屋の中に入った。華子は寝ていて可愛い寝息を立てていた。


「そのままでいい」


 楠浦殿が席を譲ろうとしたが、俺は華子の横に腰を下ろした。


「赤子のうちから整った目鼻立ちの華子は美人になるぞ。のう、楠浦殿」

「うふふふ、殿は子煩悩でございます」

「そうか? こんなに可愛いのだから、皆がそう思うだろ」


 華子の柔らかな頬をつんつんと突っついた。なんて可愛いのだ。


「上杉殿が産気づいたと聞きました」

「うむ。俺は女の子でも構わないのだが、関東管領殿が男の子を望んでいる。上杉殿には重圧だろう」


 関東管領になるのがそんなに嬉しいかな。所詮は中間管理職だぞ。


「しかし、男の子をお生みになられれば、いずれは関東管領となるのですから、楽しみでしょう」


 それに関しては生まれたら分かる。今は華子を見ているだけでいい。

 しかし、華子を見ていると娘を嫁にやらんという父親の気持ちが分かる。もし、華子をほしいという奴が現れたら、俺を倒して奪ってみろと言う自信があるぞ。


 華子を見ていると、上杉殿が子供を産んだと侍女が言ってきた。


「そうか!」

「ふ、ふぎゃーーっ、おぎゃーーー」

「あらあら、殿が大きなお声をお出しになるから」

「す、すまぬ。華子、許せよ」


 俺は華子を抱き上げてあやすが、一向に泣き止まない。

 必死であやす俺の横に華子の乳母がやってきて華子を抱くと、スーッと泣き止んだ。父親として悲しい事実である。


「殿の腕は堅とうございます。華子様も痛いのでしょう」

「む? そうか……?」


 俺は自分の腕を見た。……たしかに毎日木刀を振っているからか、筋肉質でゴツイ腕だ。背も六尺近くあってかなり大きいし、腕も太いから華子も抱かれた感触が悪いのかもしれないな。


「そうか、華子にすまぬことをしたな」


 そう言って華子の頭を優しく撫でたら、ニコリと笑ってくれた。うん、華子は嫁にやらんぞ!


「上杉殿のところにいく。楠浦殿もついて参れ」

「はい」


 俺は楠浦殿と華子を従えて上杉殿のところに向かった。

 上杉殿は俺がきたことを聞くと、起きようとしたので「そのままで」と言って、寝かせたままにした。


「おめでとうございます。丸々とした若様にございます」


 上杉殿の横では生まれたばかりの赤子が寝かされていて、赤ら顔でしわくちゃだが、将来は男前になると思う。親バカと言いたければ言えばいい。


「そうか、上杉殿、よくやった」

「ありがとう存じます。この子に名をつけてあげてください」


 たしか、史実の嫡男は竹松と名付けられたはずだが、夭逝したはずだ。そんな縁起の悪い名をつけるつもりはない。


「一郎はどうか」

「一郎……。ありがたきことです」


 上杉殿は慈愛に満ちた目で一郎を見つめた。武田家は俺も信縄おやじ殿も五郎だった。五郎が嫡男の名として代々伝わっている。だから、五郎は与えてやれないが、それなら一郎でいいかと思った。


「しばらくはゆっくりして、栄養のある食事をするのだぞ」

「はい、ありがとうございます」


 ▽▽▽


「殿、越中の一向宗に怪しい動きがございます」

「加賀、それとも越後か」

「十中八九、越後にございます」

「加賀へ攻めると考えられないのか」

「一向宗は越後が混乱していると考えているようです」


 望月虎益の報告は面倒なものであった。

 一向宗は越後の統治者が俺に変わったため、混乱していると思っているようだ。たしかに完全に越後を掌握したわけではないが、そこまで混乱しているというわけでもない。


「殿、小田も動く気配がありまする」

「小田がか……。小田だけか?」

「下総の千葉と信濃の小笠原が同調する可能性があります」


 風間出羽守からの報告は武田包囲網的な感じだ。そこに一向宗も加われば厄介なことになる。


「ただ、伊勢はどうも当家に降る方向で家内がまとまったようです」

「伊勢が……。今頃、何ゆえだ」

「小田、千葉、小笠原からも伊勢に働きかけがありましたが、当家としては伊勢が邪魔になります」


 伊勢は小田原城しか有していないが、武田の領内にポツンと棘のように刺さっている感じになっている。

 小田たちの連合に加わられると面倒なのは言うまでもないが、何もなくても邪魔な存在だ。

 だが、俺は伊勢氏綱を家臣にほしい。だから、じわじわと伊勢家を締め上げているのが本当のところなので、これは俺があえて作り上げた状態なのだ。


「当家が本気で潰しにかかる前に降って家を保とうという考えのようです。幸い、当家は降った家を冷遇することのない家で有名ですので」

「出羽守殿の申される通りです。そのおかげで調略もしやすく、助かっております」


 なんだか出羽守と虎益に感謝されてしまった。


「武田包囲網を作るのであれば、今川と蘆名にも使者を送っておろう。今川はともかく、蘆名が加わると厄介だ。虎益は蘆名の動向も確認してくれ」

「承知いたしました」


 今川の遠江には武衛家が必死に攻め込んでいる。これがじわじわと今川の体力を奪っており、今川はかなり厳しい状況だと聞いている。

 そして武衛家も同じでじりじりと疲弊している。今川を攻めるのにかなり無理をしているのだ。

 それから蘆名は現当主である蘆名盛高があと二年もすれば他界する。しかも嫡男蘆名盛滋は一〇年前に父親と争って戦争をしている間柄で、その時は負けて伊達に身を寄せていた。今は和解して帰ってきているが、わだかまりはあると思う。

 もし、小田たちと手を結んだらそこら辺を煽ってやれば、意外と内紛が再燃するかもしれない。


「小田については動いたら後方を突けと、佐竹に書状を書く。出羽守はそれを届けてくれ」


 佐竹とは同盟を結んでいるんだ。ここで働いてもらわないと話にならない。

 逆に動かなかったり小田と組んで攻め入ってきた時は、それなりの対応をすることになる。そうならないことを祈っているぞ。


 ▽▽▽


 永正一二年三月二二日。

 武田家に降ることを決め、降伏の使者を出したのが二月の終わり頃だった。三月に入って使者が戻ってくると、伊勢四兄弟揃って甲斐の石和館へ参れと命じられた。

 さすがに最初は罠かと思ったが、次弟氏時がすぐに甲斐へ向かうべきと主張した。他の弟たちも氏時と同じ意見だったので、急ぎ支度をして石和館へ向かうことにする。


 石和館へ向かうとすぐに左京大夫様にお会いすることがかない、広間に通された。

 武田家の重臣たちが両脇に居並び、我ら四兄弟を値踏みするような視線を投げかけてくる。居心地が悪い。


「殿のお成りでございます」


 その声で我ら四兄弟は頭を下げ、左京大夫様のお声がかかるのを待った。


「皆の者、面を上げよ」


 あれが左京大夫様か。大きいな……。体も大きいが、纏っている存在感とも言うべき気が大きい。

 まだ一八歳だと聞くが、顔はたしかに若いし脇息に置かれている腕も太い。

 家督を継いでまだ一〇年も経っていないが、今では甲斐、駿河、伊豆、相模、武蔵、上野、下野、越後、そして信濃の一部を有する大大名にのし上がった、まさに稀代の英傑だ。

 この氏綱も将としてそれなりの才気があると自負していたが、敵わないと思った。こう思わせることで家臣たちを手足のごとく使い、領国を増やしていったのであろう。


「初めて御意を得ます、伊勢新九郎氏綱にございます。左京大夫様におかれましては、ご機嫌麗しく執着至極に存じ上げ奉りまする」

「弟、新六郎氏時にございます」

「弟、八郎氏広にございます」

「弟、三郎長綱にございます」


 我ら四兄弟が挨拶をすると、左京大夫様はお笑いになった。


「伊勢四兄弟、よくきた。これからは俺の家臣として力を貸してくれると聞いたが、それでいいな」

「はっ。伊勢は左京大夫様に忠誠をお誓い申し上げまする」

「よし! では早速働いてもらうぞ」


 いったいどのような無理難題を言われるのか……。


「小田、千葉、小笠原、蘆名、そして一向宗が我が武田の領内へ攻め入ってきたのは、知っているな」

「はい、当家にも使者がきましたゆえ」


 小田たちが今の武田に勝てるとは思えない。だから今の降伏を判断したのだ。

 これ以上武田が大きくなってから降伏したところで、我らはいち国人でしかなくなってしまう。一国の主は諦めたが、大大名である武田家で出世をしようと考えたのだ。


「我が武田は急速に大きくなった。そのため兵はあっても将がいない」


 なんと贅沢な悩みだろうか。


「そこで、氏綱に兵三〇〇〇、三人の弟たちにはそれぞれ兵二〇〇〇を与える」


 はぁ……? 聞き間違えではないのか?


「各方面軍の援軍に向かってもらう」

「「「「………」」」」


 後ろに控えている弟たちが絶句しているのが分かる。

 何を隠そう、某も絶句しているのだ。


「氏綱は越後の甘利軍の援軍だ。甘利軍は蘆名を相手している。氏時は信濃を通って越後と越中の国境付近にいる油川軍の援軍だ。敵は一向宗だ。氏広は小田と千葉の連合軍と対峙している縄信叔父上の軍の援軍だ。最後に長綱は海野軍の援軍だ。敵は小笠原だ。質問はあるか」

「し、失礼ながら」

「なんだ」

「我らでよろしいのでしょうか」

「だから呼び出した。俺が当主になってから武田が唯一負けたのは伊勢だけだ。宗瑞殿が他界してしまったのは残念なことだが、そなたら四名は宗瑞殿の息子たちだ。戦上手であろう」


 勝ったといっても左京大夫様が軍を率いていたわけではないし、あれは父上が命をかけての戦いである。

 目の前に座している左京大夫様は、なんと懐の大きなお方であろう。昨日今日降伏した我ら四兄弟に合わせて九〇〇〇もの兵を預けるというのだ。

 そんな大胆なことを誰が思いつくのか……。某では無理だな。

 こんなにも大きな左京大夫様に勝てるわけがない。だが、不思議と悔しさはない。器が違うのだから、諦めも簡単につくのか。


「おっと、そうだった。小田原は没収する」


 領地が没収されるのは覚悟をしていた。しかし、実際に没収されると寂しいものだ。


「領地は他に与える。とりあえず、氏綱には五〇〇〇石の知行を与える。弟たちにはそれぞれ一〇〇〇石だ。あとは今回の働き次第だ。気張れよ」


 なんと、某に五〇〇〇石もの知行をいただけるのか。

 これまで小田原城を維持してきたが、周囲は全て武田勢に囲われていて、実際のところ石高は三〇〇〇石もなかった。それなのに、兄弟合わせて八〇〇〇石もの知行を下さり、働き次第で加増もあると仰られる。

 気前がいいのか……。いや、人の心を掴むのが上手いのだろう。こうなれば、是非もない。武田の中で重きをなすために、誠心誠意尽くそうぞ。


 

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