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031 越後征伐

 


 永正九年七月八日。


 京から勧修寺尚顕様がやってきて俺に官位官職をくれた。いや、朝廷がくれたんだけど。


「従四位下左近衛中将ご就任、おめでとうございます」

「おめでとうございます」


 可愛い二人の妻に祝辞を述べられると、なんだか誇らしく思えるから不思議だ。

 今回の官位は従四位下だが、官職は左近衛中将の他に左京大夫をいただいた。

 そろそろ甲斐守を名乗るのを止めてもいいだろう。俺が甲斐を支配しているというのは関東だけではなく京にも届いている。


「これから武田左京大夫と名乗ろうと思う」


 左京大夫は京の警備をする官職なので、今後は関東で二〇〇万石を達成してから上洛を目指そうと思う。

 現在の石高は甲斐が二七万石、駿河二〇万石、伊豆六万石、相模六万石、武蔵三〇万石、上野一二万石なので、合わせて一〇一万石くらいか。まだまだ先は長い。

 武蔵と上野を完全に支配下におけば一五五万石くらいで、あとは相模を完全に支配して一七〇万石いくかどうかだから三〇万石足りない。だが、開墾や治水を進めて、それと移植栽培に変えれば二〇〇万石に届くだろう。

 それと俺は兵を銭で雇うから石高だけではダメだ。産業も増やしていかないと兵を維持できない。やることがいっぱいだ。


 上杉憲房は関東管領に就任した。俺に役職はないが、関東管領上杉憲房の補佐をすることになった。それに役職なんて足かせにしかならないから、正直言って要らない。

 関東管領の任命権は足利将軍家にあるので、気に入らないが京の将軍家に献金して憲房を関東管領に任じてもらった。通常は古河公方が推薦して将軍家が補任する段取りだが、今回は古河公方をすっ飛ばしているので、献金もそれなりの金額になった。ムカつくが、銭で買えるのだからまだマシだ。


 憲房が関東管領として最初に行ったのは、私闘禁止の施行状の発行である。これは俺も連名で署名していて、関東の各大名や国人たちに送った。

 この施行状というのは関東管領からの命令書のようなものだが、これに対して古河公方は「憲房は関東管領ではないので命令を聞く必要はない」と各家に書状を送っている。


 そこで俺は憲房に古河公方の所業を京にいる将軍へ上申させた。大金を使ったのだから、そのアフターケアもしてもらおうじゃないか。使えるものは気に入らなくても使う。

 憲房に『関東管領は将軍家が認める役職であるのにも関わらず、古河公方は私を関東管領ではないから私闘禁止令を無視するように関東諸侯を煽っている。これは将軍家に対する謀反に等しく決して許せるものではない』といった感じの内容だ。

 将軍家に介入する力はないが、権威はある。今回は将軍家の権威を古河公方が傷つけたという名目なので、将軍家を使ってやった。まだ将軍家の権威や影響力はあるので、それなりの効果を出すだろう。


 そろそろ叔父信賢から将軍家がどんな反応をしたのか報告があるだろう。

 これを放置したら、将軍足利義稙は古河公方にバカにされていると噂を流してやろう。その場合、義稙がどんな顔をするのか見られないのが残念だ。

 もし、義稙が古河公方について憲房に討伐令を出せば、それはそれでこっちのものだ。どっちに転んでも古河公方と将軍家のどちらかに嫌がらせができる。こういうのは楽しいね。


 信濃の望月、海野、真田が俺の家臣になったことを公表した。上野から繋がったので、直接兵を送り込めるようになったので、隠す必要がなくなったからだ。

 すると、高遠満継、頼継親子が俺に臣従したいと言ってきた。

 高遠家は諏訪頼満と争っていて、旗色が悪い。今回、信濃三家が俺に臣従したことで、俺を頼る決心がついたそうだ。

 高遠家の領地は甲斐と隣接しているが険しい山の向こうだ。でも、俺は「いいよ」と返事をした。高遠まで俺についたとなれば、信濃の他の国人たちも俺に従いやすいだろう。


 今度は大井行満、行真親子が臣従を申し入れてきた。信濃の調略も順調だ。

 この大井行満には板垣の家の者が嫁いでいて、その縁でこちらに臣従をしてくれるというのだ。

 史実で大井家と武田家はかなり激しく争うことになるが、今世ではそういうこともなく臣従してきた。

 もちろん、色々と調略の手を伸ばした結果でもあるが、大井家は伴野貞祥と争っているので俺の庇護を求めたのだろう。

 大井家は信濃守護代の家柄で、伴野家と大井家は共に守護職である小笠原家の血筋だ。

 その伴野家との争いは、永正六年に将軍足利義尹(まだ義稙でない頃)が関東管領上杉顕定(死亡)に命じて停戦させている。だが、不仲は続いていて最近の伴野は村上家にすり寄っているため、大井家が俺を頼ってきたわけだ。史実では逆なんだけどね。


 とりあえず、しばらくは大人しく調略と領地の開発をメインにするけど、関東管領上杉憲房を隠れ蓑にしてあっちこっちの紛争に介入しながら勢力を伸ばしていければと思っている。

 本当は利根川の治水事業を始めたかったが、扇谷上杉などが邪魔でまだできない。だからとにかく開墾しまくろうと思う。

 上野と武蔵に得た領地に工兵を投入して開墾しながら、有事の際は戦力として使えばいいだろう。

 そうと決まったら評定で諮ってすぐにでも実行しようと思う。


 ▽▽▽


 永正九年一二月。


 俺は平穏な日々を送っている。

 武蔵と上野、そして信濃のほうも順調に調略が進んでいる。諏訪はなかなか上手くいかないが、佐久郡は完全に俺についた。

 ただ、どうしても諏訪は手に入れたい。この諏訪は甲斐をメインに通っている甲州街道の拠点なんだ。佐久郡へは佐久往還があっていけるが、それだけでは足りない。甲州街道は物流の観点からも抑えるのは当然だ。


 武蔵と上野のほうもかなり浸食が進んでいる。

 山内上杉の家臣たちの取り込みは八割がた終わっているし、上杉憲房も大人しい。

 俺がこうしたいと言うと大概は素直に受け入れる。嫌と言うこともあるが、重要度の低いことが多いので、憲房の顔を立てるためにも譲歩することもある。上手くつき合っていると思う。


 伊豆もかなり支配が確立できている。

 俺の支配地域は関を廃止して税は四公六民だ。後北条は四公六民で民に対する善政で有名だが、今の伊勢の治世ではそんなことはない。だから税が軽くなったと民に喜ばれているのだ。

 これは俺に臣従してきた信濃、武蔵、上野、相模でも同じことをしている。

 あとは道を整備しているので、物や人の往来がかなり頻繁になったと思う。物流がよくなると、経済が活性化するので商人に喜ばれ、さらに経済が向上する。好循環だ。

 甲斐と駿河だけだとここまで経済が活性化しなかったが、甲斐、駿河、伊豆、相模、武蔵、上野、信濃という広範囲の関のない経済圏ができたことで本当に経済が活性化している。

 それと石鹸が意外と売れている。堺でバカ売れらしい。どうやら博多に持っていって、博多から輸出しているらしい。地道に作り続けていた甲斐があった。


 その他に目を向けると、古河公方、扇谷上杉、宇都宮、伊勢の調略も順調だ。特に古河公方のところはこちらに内応する人物が多くて、調略をしかけている俺自身もビックリしている。


 ▽▽▽


 永正一〇年正月。


 家臣たちの挨拶を受けてささやかな宴会をした後、ほろ酔いの俺が部屋で休んでいたら望月虎益がやってきて報告を受けた。

 正月なのに忙しく働いている虎益や風間出羽守には感謝しかないな。


 虎益は信濃の望月家から虎益の下で働きたい希望者を召し抱えて人員を確保し、諜報活動に幅がでてきた。

 すると、堺の下条春兼と組んで東北から九州まで幅広く店を展開して、その店を拠点に情報活動を手広くしようということになった。

 すでに京、近江、越前、越後、尾張、摂津、博多、下総、上総、下野、常陸に店を出している。もちろん、俺の領内にも店はある。行動力がすごい。

 この出店ラッシュのおかげで全国とまで言わないが、情報が集まる。

 なんせ、戦をするには米が必要になるから、どこの家が米を多く買い入れているかで戦の準備をしているのか分かるのだ。


 その虎益からの報告は、昨年阿波国で津波があったのだが、その被害状況について聞いた。

 俺が上洛する時、阿波はとても重要な場所だ。なんと言っても阿波は三好家の本拠地だからな。

 バカな細川京兆家の争いに三好家が巻き込まれていく。まあ、三好家は細川の被官だから巻き込まれるのは仕方がないかもしれないが、史実の三好家は京の周辺に大きな勢力を築くことになる。


「阿波は細川と縁が深い土地だ。今後も注視してくれ」

「はっ!」


 この世界(時代)で天下を望むなら、三好は避けて通れない気がする。

 三好は決して軽く見ていい相手ではないが、三好は古き時代のルールの中に生きている家だから必要以上に恐れる必要もない。

 これが織田信長が相手だったら、かなり警戒をしなければいけないと思うが、信長が生まれるまでまだ二〇年ある。その頃に父親の織田信秀が生きているかも分からないのだから。


 兵糧方評定衆の小畠虎盛と飯富道悦が物流について話している。


「道を整備したおかげでものの動きがさらに活発になりましたな」

「うむ、ものが動けば銭も動く。伊豆、武蔵、上野、信濃の国人はまだ完全に恩恵を受けておらぬが、今年は恩恵に預かるだろう。そうすれば、殿へ感謝し離れることはないであろう」


 道悦は起き出せるようになったので、俺の相談役に任命した。相談役は評定にも顔を出して発言することが許されているが、特別に権限があるわけでも部下がいるわけでもない。

 残念なことに道悦は杖なしでは歩けないし、片目が潰れているので戦働きはできない。それでも夜も寝ずに書を読み、俺の経済政策について勉強し、俺を補佐するために必死で努力してくれた。

 こういう奴を重用すれば、戦働きができなくなった奴でも働く場を与えてもらえると、色々なことを勉強するだろう。

 そうすれば、武に偏っていた甲斐の家臣団も文をバカにしないし、偏見を持たなくなるはずだ。


「道を整備すると荷を運ぶのには便利になりますが、逆に敵軍の進軍速度を上げてしまう。そういった意味では国人たちから抵抗はありましたからな」

「敵の進軍速度が上がるということは、味方の援軍も早くくるということだ。それに今の武田に攻め込んでくる者がいるとも思えぬ」


 道悦の言う通り、敵軍の移動速度が速くなったのは間違いない。だが、そんなものは銭で兵を抱える武田にとってデメリットにはならない。

 それに米の動きを掴んでいると、兵を集めて戦の準備をしている家が近くにいるのかすぐに分かる。

 もし米を買ってなくても兵を集めているかどうかくらいは分かる。

 戦の準備というのは秘密裏に行うのは非常に難しい。そしてその難しいことを可能にするのは、常に兵を養い米を備蓄している家だけで、それが今の武田なのだ。


 

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[気になる点] 作中頻繁に出てくる「甲州街道」とは、どこからどこへの道のことを指しているのでしょう? 現代語訳された「甲州街道」と理解してよいのでしょうか? それがどの程度あるのかは非常に怪しいところ…
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