030 関東侵攻
永正九年四月三日。
今日はかなり暖かくなって、朝日が気持ちいい。そんな日に関東管領上杉顕実、古河公方足利高基、下野国宇都宮忠綱、常陸国小田政治の軍が御嶽城に集結した。
上杉顕実軍の数はおよそ二万六〇〇〇。もっと数を揃えてくるかと思ったが、このていどか。
多分、宇都宮家と古河公方家の両家に内紛があったのが響いているのだろう。
宇都宮家ではこの内紛で当主交代が起こっている。宇都宮家当主の忠綱が今年に入って父の成綱から家督を奪っているのだ。
この内紛のキーマンは宇都宮家の筆頭家老である芳賀高勝で、この芳賀高勝と前当主の成綱が対立して芳賀高勝が成綱を隠居に追い込んだ。
だから宇都宮家の実権は芳賀高勝にあって、忠綱は芳賀高勝の傀儡でしかない。
さて、ここで面白いのが、宇都宮成綱と芳賀高勝の対立が古河公方家の内紛に絡んでいるということだ。
成綱は足利高基を支持していたが、芳賀高勝は殺された足利政氏を支持していた。それなのに、今では高基と芳賀高勝が轡を並べている。こいつらは本当に節操がない。
対して俺のほうは武田軍の他に、山内上杉家の家臣団が集って総勢二万。数では不利だが、あえてこうしたのだ。
俺が上杉顕実軍より武田軍の数を少なくした理由はいたって簡単で、短期決戦を促すためだ。
俺の戦力が上杉顕実軍より多ければ、奴らは焦土戦術をとったり、籠城して決着をつけるのが遅くなる可能性があった。
だからこちらの数を少なくして奴らが出てきやすい状況を作ったのだ。
次の理由は、敵よりも少ない戦力で勝つことで、武田の強さを関東諸侯に見せつけるためだ。
もちろん、敵の兵力が増えれば増えるだけ味方が不利になる。リスクのある作戦だが、今回は本気で上杉顕実軍を叩き潰すつもりなので、兵器も色々持ってきている。
上杉顕実軍が入った御嶽城は上野と武蔵の国境付近にある城で、ここを抜ければ上野だ。
ここで勝って不本意ながら上杉憲房を関東管領に押し上げてやろう。
だが、上杉憲房を関東管領にする代わりに武蔵と上野の支配権をもらう。
憲房は、俺が憲房のために働くのは当たり前だと思っているかもしれないが、俺には憲房のために働く理由はない。
俺が憲房を奉じて武蔵、上野に攻め入ったのは自分のためだ。
この戦いが終わったら憲房はそのことに気づくだろう。
傀儡の関東管領上杉憲房、古河公方と宇都宮、そして扇谷上杉を潰すまでは大事にするが、それ以降は憲房の態度次第だ。
足利将軍家のように保護者を煙たがって俺に対抗するなら保護しないし、共存をというのであれば手を握ろう。
さて、俺たちは神流川に近い場所に陣取った。
敵も同様で御嶽城を出てこちらを迎え撃つ姿勢だ。
俺は中央に武田軍、左右に関東勢を拝して軍を布陣させた。
日が昇り始めると物見から敵が動いたと報告があり、しばらくすると左右に布陣していた関東勢が戦闘を始めたようだ。
さらに四半時ほどで爆発音がしてきた。油川信守が指揮する炸裂雷筒隊の攻撃だ。
つまり、中央の武田軍も戦闘を始めたということだ。しかし、これだけ大規模の戦いになると戦場全体を見渡せないからいかんな。
一〇分も開けずに伝令がやってきて報告していくが、どうも左翼の関東勢がかなり押されているようだ。
左翼に当たっているのは小田政治の軍だが、小田政治が強いのか、関東勢が弱いのか……。
「申し上げます」
俺の横に仁王立ちしている甘利虎泰が「許す」と鷹揚に答えた。
「栗原信友様が敵中央の部隊を突破しました」
「味方の損害は」
「ありません」
伝令が立ち去るのを見送って、俺は考えた。
このまま一気にいっちゃうの? それはそれでいいけど、新兵器を色々と持ってきたのに、また使わずに終わるのか?
そんなバカなことを考えていると、また伝令がきたので甘利虎泰が答えた。
「左翼、三田政定様の部隊が押されており、援軍を要請しております」
「ふむ……。大井信常の部隊を回せ」
「はっ」
うーん、三田は真っ先に臣従を申し入れてきたので手柄を立てる機会を与えたが、踏ん張れなかったか。
身代が小さいということもあるが、あれがまずかったか……。
まあいい、栗原信友が中央を突破したし、まだ奥の手は出していない。炸裂雷筒の爆発音もかなり右へ移動しているので油川信守は右翼の援軍に向かったはず。こちらが押していることに変わりはない。
しばらくすると、伝令がやってきて左翼はなんとか持ちこたえたと報告があった。
「殿、左翼が持ちこたえたようですが、押し返すだけの余力はないようです。膠着状態といったところでしょう」
信濃衆で唯一連れてきたのが、この真田頼昌だ。
あの真田幸隆の父親のはずだから知略に長けていると思い、兵は要らないから身一つで参陣しろと言った。
信濃は俺の影響力がないので兵を動かせないし、動かすとその隙を突かれる可能性もあるので、簡単ではない。
ただ、正直なところ人材不足が顕著だから連れてきた。
「その間に中央と右翼が敵を突破するか……。念のために今井信元の部隊を左翼の後詰に向かわせろ」
「はっ」
俺は横で床几に腰かけている上杉憲房を見た。先ほどから貧乏ゆすりをするようになったので、ハラハラドキドキしているんだろう。
こういう時、俺はドッシリと構えて動かないほうが家臣に安心感を与えると思っている。
だが、上杉憲房の気持ちはよく分かる。俺だって怖くて仕方がない。戦場では何があるか分からないし、死ぬかもしれない。準備はしたが、不安は常につきまとう。
「信虎殿、まだ決着はつかぬのか?」
「敵も必死なのです。そう簡単には勝てませぬ」
「左様か……」
上杉憲房は四六か四七歳だから何度も戦場に出たことがあると思うのだが、まるで初陣のように落ちつかない。
三〇も年下の俺を逆に励ますくらいはしてほしいものである。困ったものだ。
伝令が駆け込んできた。かなり急いでいるようだ。
「岩松昌純殿と横瀬景繁殿の軍が味方を攻撃しております!」
「分かった」
上杉憲房が立ち上がって心配そうに俺を見る。そんな不安そうな顔をするなよ。
「頼昌」
「はっ」
「兵五〇〇を与える。岩松と横瀬を俺の前に引き連れてこい」
「承知いたしました」
真田頼昌のお手並みを拝見するとしましょうかね。
実を言うと、岩松昌純と横瀬景繁が裏切るのは風間出羽守から情報があった。
それを三田に教えておいたので三田は後方を気にしながら戦うことになった。だから十全に力を発揮できなかったという経緯がある。
当然、援軍に差し向けた大井信常と今井信元もそのことを知っているし、真田頼昌も知っている。
だから、最初から大井信常と今井信元は左翼へ援軍と向かわせることが決定していたのだ。そして、そこに真田頼昌を向かわせれば、岩松昌純、横瀬景繁包囲が完成することになる。
「憲房殿、座られよ。将が動揺しては兵の士気に係わりますぞ」
「う、うむ……。大丈夫でしょうな……?」
「安心してくだされ。俺は負ける戦はしないので」
「頼もしいお言葉である。安心しましたぞ」
そんなにビクビクするなよ。
さらに伝令が何人もきて一刻ほどした頃、上杉顕実軍の本隊が敗走したと報告があった。
すると、他の部隊も次から次に敗走し、俺の本陣は一気に勝ちムードに包まれた。
「敵は御嶽城に逃げ込みました」
まだ隠し持った兵器を出していないが、出さなくても勝てるのであればそれにこしたことはない。
「真田頼昌様が帰着しました」
その声と共に真田頼昌が具足の音をガチャガチャとさせて戻ってきて、俺の前で片膝をついた。
「岩松昌純、横瀬景繁の両名を召し捕って参りました」
「さすがは頼昌だ。ご苦労であった」
「はっ」
しかし、岩松昌純と横瀬景繁ももっと待っていれば、こっちの勝ちが見えてきただろうに待ちきれなかったんだろうな。
もしくは、左翼が膠着状態だったのを自分たちの活躍で勝利に導けば高く評価されるとでも思ったのかな。
こちらが内応の情報を得ていないと思った二人は、結局は泥沼にハマっただけで失うものばかりになったわけだ。戦国の悲哀を感じるよ。
戦いの趨勢が決まると、早かった。
俺は御嶽城を包囲して、バリスタに炸裂雷筒を括りつけて使用することにした。
御嶽城は山城だが城壁付近まで届けばいいし、城門を破壊できればなおいい。そのていどの考えだったんだが、あっという間に開城して降伏してきた。
上杉顕実を上杉憲房に預けると殺されかねないが、俺が預かるなんて面倒だし、何より憲房の顔を立ててやらないといけないだろう。
上杉顕実に味方した武蔵と上野の国人領主は素直に降伏してきたから、領地の半分を召し上げることで許すことにした。
憲房は処分することを主張したが、国人領主が少なくなると山内上杉家が弱体すると言ったら素直に受け入れた。
ただし、降伏してこない国人領主はしっかりと追い立てた。
時勢を見ることができない奴は要らない。降伏すれば多少の犠牲で許されるのに降伏しないのだから、どうしようもないバカだ。多分、憲房のことが大っ嫌いなんだと思う。
今回の仕置きの後、憲房は俺との約束通り武蔵の半分と上野の四郡を割譲してきた。
山内上杉家から武田家に鞍替えした国人領主と武田が占領した土地だ。
武蔵、上野を通じて信濃の望月、海野、真田と直接領地が接した。
三家が攻められた時に直接兵を送ることができるようになったんだから、その場にいた真田頼昌は喜んでいた。
しかし、本当に領地を割譲してくるとは思ってもいなかった。ごねたりもしないし、上野の四郡は報酬の前渡しだとか言っていた。本気かよと思ったね。
宇都宮忠綱は芳賀と共に下野に逃げ帰った。
今後は今回の敗戦で地に落ちた宇都宮家の威厳や権威の回復に努めることになるだろう。それは古河公方の足利高基と小田政治も同じだが、俺がそれを手をこまねいて待っているわけがないよね。
「出羽守。宇都宮、足利、小田の国人たちに調略をしかけろ」
誰もいないはずの部屋だが、ほんのわずかに音が鳴った。風間出羽守がそばにいる証拠だ。




