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029 関東侵攻

 


 永正九年正月。


 年が明けて俺は飯富道悦の屋敷を訪ねた。

 これまでも二回訪問しているが、一回目は体中に包帯が巻かれてミイラ男のようになっていて、包帯に血が滲んで痛々しくて見ていられなかった。

 二回目の時は包帯はしていたが、一回目のように血が滲む場所はなくなっていた。それでも起き上がることさえできなかった。そして今回、三回目だ。


「気分はよさそうだな」

「このような姿を晒し、面目次第もございません」


 道悦は今も起きられる状態ではなかったが、包帯はもうない。

 ただし、左目が刀で斬られて完全に視力を失っている。痛々しいとしか言えない。


「某はもう戦えませぬ」

「何を気弱なことを言っているのだ。いつもの強気のお前はどこにいったんだ」


 道悦は片方しかない目を閉じて、首をゆっくりと左右に振った。哀愁がありすぎて、目が熱くなる。


「この体ではご奉公もままなりません。家督は源四郎に継がせたく」


 飯富源四郎。のちの飯富虎昌であり、信玄の嫡男であった義信の傅役になるはずの人物。

 しかし、今は八歳の子供で道悦を挟んで反対側に座っている。


「なんだ道悦はそんなに楽隠居がしたいのか」

「そのような!?」


 急に動かそうとしたのだろう、道悦はうめき声をあげて苦しがった。


「いいか、俺に仕えるのは何も槍働きだけではない。信方を見てみろ、あいつは武士でありながら職人と一緒になって産物を作っている。そして俺はそういう奴を重用する変わり者だ。道悦、書を読め。そして知をもって俺を支えろ。楽隠居はさせぬぞ」

「殿……」


 泣くなよ。俺だって泣きそうになるじゃないか。ほら、源四郎も涙を拭け。


 伊勢は守りを固めて相模も伊豆も簡単ではない。

 さすがは、『勝って兜の緒を締めよ』の名言でも知られる氏綱だ。伊勢宗瑞が死んでも伊勢は強い。

 それに比べて山内上杉、古河公方はお家騒動を起こして隙が見える。

 まるで俺に喰ってくれと言っているようだ。困ったことに伊勢が守りを固めている以上、勢力を伸ばすには上野と武蔵を治めている山内上杉に向かうか、信濃に向かうか、遠江に向かうしかない。

 山内上杉は俺が上杉憲房を抑えているので、かなり美味しそうに見えるのが事実だ。

 遠江は武衛家と今川が激しく戦っていて、武衛家からは俺に参戦してくれと使者がくる。

 信濃はやっと滋野三家の海野と望月が俺につくと返事がきた。

 海野は村上に攻められて衰退し、望月は望月虎益と同族ということもあり、俺についてくれた。残念ながら根津は諏訪との結びつきが強く調略は不発に終わっている。


「初めて御意を得ます、望月盛昌もちづきもりまさにございます」

「盛昌が息子、昌頼まさよりにございます」

望月盛時もちづきもりときにございます」


 盛昌、昌頼親子は望月の本家、そして盛時は分家になる。

 盛昌は五〇は越えていると思うので、息子の昌頼がそろそろ家督を継ぐだろう。


海野棟綱うんのむねつなにございます」


 棟綱は二五歳くらいの働き盛りだ。苦み走ったいい男である。


真田頼昌さなだよりまさにございます」


 真田は海野の分家筋で、この頼昌があの真田幸隆の父親だ。

 海野氏も真田氏も家紋は六文銭、今後俺の麾下で六文銭の旗がたなびくと考えると、気持ちが昂る。


「望月、海野、真田。皆、よくきてくれた」

「「「「「ははぁぁぁ」」」」」


 五人が平伏すると俺は頷き、顔を上げるように言う。


「今後はこの信虎の家臣として奉公してくれるそうだが、それに相違ないか」

「相違ございません」


 望月盛昌が代表して答えると、他の四人が頭を軽く下げた。最年長だからか望月と海野の力の差か、それともその両方か。


「所領は安堵。今後は武田が支援を惜しまぬ。安心せい」

「「「「「ありがたき幸せ!」」」」」


 さて、信濃だが俺は当面の間、積極的に信濃に討って出ることはない。

 だが、家臣を得るのは悪いことではないので、調略は積極的に行っていくつもりでいる。

 今回、この三家が俺の家臣になったのは、村上家の攻勢に対抗するためだ。


 ▽▽▽


 俺は静岡産の緑茶を飲んで喉を潤す。鼻に抜ける香りがいい。やっぱりお茶はいいな。

 扇子をパチリ、パチリと何度か鳴らし、試案する。

 目の前では板垣信方と小畠虎盛が俺の挙動を注視している。


「信方は伊豆を攻略するのにどれだけの兵と期間が必要と思うか」

「……さればでござる。兵員は多くてもいけませぬ。伊豆は大軍を動かすには向かぬ土地柄、奇をてらった戦いが最上でございましょう」


 奇をてらった戦いか……。土屋豊前守、貞綱親子を使うか。

 土屋親子は海賊で今川の家臣だったが、俺の家臣になった人物だ。なかなか面白い男で竜骨船の絵図面を見た時に、地面に頭を擦りつけて自分に竜骨船艦隊を指揮させてほしいと頼み込んできた。

 元々そのつもりだったからいいが、あの時はかなりドン引きした。


 土屋豊前守には今川に仕えるとかは二の次で、よい船に乗せてくれる武田に仕えるほうが優先らしい。

 欲望に忠実な奴だが、竜骨船を使わせてやれば俺に忠誠を尽くすだろう。


「水軍を動かす。駕臨船を使うぞ」

「あれを動かしますか。ならば海岸線の城を落とすのも容易かと」


 駕臨船とは竜骨船のことで、有名なガレオン船をもじって駕臨(ガリン)船と命名した。

 これまでの日ノ本の船とは造りが違って速度も出る。遠洋航海や交易用に開発した船だが、当然のことながら戦闘でも役に立つ。

 それに伊豆侵攻に水軍を使うのは、伊勢宗瑞自身がお手本を残してくれた。武田がそれをしてもいいだろう。


「土屋豊前守もそろそろ操船に慣れた頃であろう」

「左様ですな。駕臨船であれば、敵の水軍衆に負けることもありますまい」

「信方、土屋にいつでも伊豆へ討って出られるように準備をさせておけ」

「はっ」


 信方が軽く頭を下げた。


「虎盛、兵糧はどうか」

「問題ございません。甲斐、駿河の五カ所の蔵には米が唸ってございます」

「うむ、決して補給を絶やすでないぞ」

「承知しております」


 俺は満足して二度軽く頷いた。


「二人には言っておくが、伊豆が片づいたらすぐに武蔵と上野へ攻め入る。そのつもりで準備をするように」

「「はっ!」」


 伊豆が片づけばか……。片づいてくれるだろうか。

 伊勢宗瑞の二番目と三番目の子はよく分からないが、後に北条幻庵を名乗る四番目子は長きに渡って北条家を支えた人物だ。

 たしか、幻庵は俺よりも五、六歳年上でそろそろ表舞台に出てきてもおかしくないので、不安がある。

 いやいや、ここは弱気になるな。伊豆を片づけるのだ。

 それに幻庵が最初からスーパーな奴だとは限らないんだから。


 ▽▽▽


 伊豆への再侵攻は一気に方がついた。

 武田の水軍は大したことないと考えていたんだろう、海上の警戒はかなり疎かだったらしい。

 韮山城の甘利宗信の第三軍団が侵攻の気配を見せて敵の意識を引きつけたところに、水軍によって兵士を伊豆へ送った。

 後方から武田がくるとは思っていなかった伊勢軍は混乱して敗退した。


 また、上陸部隊を陸に上げた帰りに伊豆水軍(鈴木と松下)が現れたそうだが、土屋親子は駕臨船に装備してあるバリスタの矢の先端に炸裂雷筒をくくりつけて射出し、半数以上が大破、無傷の船はないくらいにコテンパンにしたそうだ。

 今後は大砲を装備させたいが、まだそこまで開発が進んでいないので、信方と職人たちに頑張ってもらわないとな。


「よし、武蔵に攻め込むぞ!」

「「「おおおおっ!」」」


 甘利宗信の第三軍はしばらく伊豆の仕置きがあるので、動かせない。

 だから、俺は甲斐に置いて開墾や治水作業に従事させていた工兵がメインの一万を集結させ、青梅街道を東進した。

 敵は伊勢と向き合っている武田が攻めてくるとは思っていなかったようで、一気に青梅街道を駆け抜けた、わけではない。

 さすがに山道を一気に駆けることはできない。俺は馬に乗っているからまだいいが、足軽たちは徒歩だ。

 甲州街道を通らなかったのは、叔父縄信が伊勢を抑えているとは言え、伊勢に背中を見せたくなかったからだ。


 四日で青梅街道を抜けた俺たちは、かねてより内応を約束していた多摩郡の三田政定、綱秀親子他を傘下に治めることに成功している。

 そして、横田高松に兵二〇〇〇を与えて扇谷上杉の抑えにして、俺自身は三田政定の勝沼城から北上だ。


「しかし、抵抗がほとんどないな」

「殿が甲斐、駿河、伊豆の三カ国の主となられたからでしょう」


 俺の横を並歩する旗本母衣衆の油川信守は俺の従兄で、今年で一六歳になる。

 俺が一五歳なので一歳年上で、最初は俺の機嫌を損ねないように戦々恐々としていたが、今では男らしい顔つきになってきた。

 油川の家を継いで初陣も果たしていることから、油川家の当主として自覚が出てきたのかもしれない。


「信守、伊豆はまだ俺の支配を受け入れたわけではないであろう」

「されど、関東諸侯には殿の武威が轟いております。しかも、殿は上杉憲房殿を奉じていますので、大義もあります」


 大義ねぇ……。家を没落させる家督争いをしている奴を奉じたからと言って大義があるのかと思うが、この時代では血統は大事なんだよな。

 あの腐った足利将軍家でさえ、血統があったから一五代も続いたんだ。

 将軍という地位に座っていられることに満足していればよかったが、血統だけの無能は権力を弄びたいと思うようになり、結局は信長に追放されてしまった。

 信長が今までの権力者のように足利将軍家を奉じるつもりがなかったために、足利の世は終わりを迎えてしまったわけだ。

 相手を選んで駄々をこねればよかったが、そういった人を見る目や時流を見る目があったら、足利の世は乱れていないよな。


「まあいい。せいぜいその大義を利用させてもらう」

「殿、どこに目耳があるか分かりませぬ」

「分かっている」


 ここまでに行った戦闘は一回だけ。ハッキリ言って拍子抜けだが、これも調略と武田家の武威、そして上杉憲房のネームバリューのおかげだろう。


 北上して根古屋城から永田城に入ったところで、忍城主の成田親泰、天神山城主の藤田虎寿丸、高月城主の大石定重、下野国勧農城主の長尾景長、上野国金山城主の岩松昌純とその重臣である横瀬景繁がやってきた。

 すると、上杉顕実は足利高基に助けを求めたのだ。たしかに高基は顕実の甥にあたるが、史実では敵対した相手だ。歴史の改変が進んでいる……。


 山内上杉家臣の五割がこちらにつき、二割が上杉顕実についた。

 三割くらいは日和見である。だが、このくらいでいい。二割を潰し、三割は領地の半分くらいを奪える。そして五割は領地を保証してやれば、武田家の支配地域がかなり多くなる。


 

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