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028 関東侵攻

 


 今川が動いた。と言っても万の兵を動かしてはいない。

 一〇月の後半になって二〇〇〇ほどの今川軍が大井川を渡ろうとした。

 だが、板垣信泰は素早く軍を動かし、今川軍と大井川を挟んで対峙した。

 すると今川軍は一一月に入ってすぐに軍を退いた。


「今川の動き、どう見るか」


 俺は今川が軍を出した意図を家臣たちに聞いてみた。

 俺の考えは大井川を守っている板垣信泰のフットワークを見たのだと思う。たった二〇〇〇という兵数を考えるとしっくりくる。


「左様ですな……。おそらくは様子見ではないでしょうか」


 復帰した甘利宗信が俺と同じ考えをしていることが分かる。


「様子見だと思われますが、今後数度このようなことがあれば、大掛かりな軍事行動の前兆ではないかと存じます」


 板垣信方が甘利宗信の考えを追認しながら自分の考えを主張する。俺も信方の考えに賛同する。


 韮山城を栗原昌種に任せて信方は戻した。信方はやはり俺のそばにいてもらわないと困る。

 家臣たちの考えはほとんどが様子見だった。これは大規模攻勢への伏線になり得ることなので、板垣信泰には油断せずに対応しろと命じることにした。


 京では八月に船岡山の戦いが起こった。これは史実にあったものなので、問題ない。

 そして、その船岡山の戦いの前に足利義澄が死んでいる。病死らしいが、京を追われてやけ酒が過ぎて肝臓がやられたんじゃないか。

 今回の船岡山の戦いで勝った将軍足利義稙は再び京に入ったが、本当に足利の治世は混乱していると分かる。

 これは足利将軍家のだらしなさもあるが、細川京兆家の権力欲のためでもある。

 細川京兆家は今後もバカらしいことを続けることになるが、足利将軍家を潰したのは織田信長ではなく細川京兆家の権力欲と愚かさなのかもしれない。

 あそこまで足利将軍家をボロボロにしたのは細川京兆家だけではないが、大きな要因だろう。


 この後の歴史を知っている俺としては、細川京兆家が足利という家に巣くうシロアリに見えてしまう。

 見えないように柱を食い散らかし、気づいたらどうにもならないほど柱がスカスカだったということになる。

 俺の家臣からは細川京兆家のようなシロアリを出さないように気をつけようと思う。もちろん、そのためには俺が君主として家臣を教育する必要がある。


 しかし、足利義稙もしぶといな、一度は将軍職を追われ、復帰したら刺客を差し向けられ、戦火があって(今ここ)、重臣たちともめて甲賀に逃げて病気になって、京に戻っても再び細川京兆家の管領細川高国と反目して京を追われて死ぬのか。

 それでも二度目の将軍在位は一三年くらいになったはずだから、義稙にとっては幸せだったんだろう。俺なら絶対にそんな人生は嫌だけどな。


 今年は干ばつがあって米の収穫が予想よりも少なかった。

 溜池や用水路のおかげで被害は最小限だったが、米はいくらあっても足りないので買い入れはするが、米の価格はやや高い。困ったものだ。


「殿、伊豆をもう一度攻めさせてくだされ」


 現在は評定の真っ最中で、原友胤が伊豆への侵攻を訴えてきた。

 友胤にしてみれば、このまま引き下がっていては気が収まらないのだろう。


「伊豆は盗る。だが、今は待て」


 俺が不機嫌そうにそう言うと、友胤はそれ以上は食い下がってこなかった。俺が不機嫌なのは友胤のせいではなく米相場のせいだ。

 自分が不機嫌だと気付いた俺だが、皆が俺の顔を見ていた。

 いかんな、主君たるもの不機嫌な顔をすれば、家臣がそれを見て動く。反省しなければ。


「まず、武田家の組織改革を行う。これにより、指揮命令系統の明確化を図る」


 甘利宗信と秋山信任は知っているが、他の家臣たちは寝耳に水で、組織改革というのがなんなのかさっぱりといった様子だ。


「信任、説明を」

「はっ」


 秋山信任が俺の斜め前に進み出て、家臣たちのほうを向いた。

 そして懐から折りたたんであった紙を取り出して広げ、読み上げる。内容は以前の草稿から大きく変わっていない。


 一)評定衆の制定。評定衆は武田宗家の直轄組織である。国内の政治を統括するもので、下部組織に裁判方、外交方、財務方、開拓方、生産方、兵糧方を置き、それぞれの長を評定衆とする。

 裁判方は領民、家臣のもめごとを解決する部署である。外交方は諸外国、朝廷などの国外との折衝、交渉を行う部署である。財務方は産物の売買と税を管理し、財政を管理する部署である。開拓方は国内の開墾、開拓を管理する部署である。生産方は産物の開発と生産、兵器の開発と生産を行う部署である。兵糧方は平時より兵糧の管理を行い、戦時においては補給を行う部署である。


 二)軍団長の制定。軍団長は武田宗家直轄軍の長である。軍団長は武田宗家より与えられた目標を遂行するための軍事力を保有する。常備軍五〇〇〇から一万を与え、指定された土地の領主は軍団長が指揮できるものとする。

 軍団長を監視するための軍監を置き、軍監は武田宗家の直轄として軍団長は軍監への指揮命令権はない。逆に軍監も軍団長と軍団長が指揮する軍に対する指揮命令権はない。


 三)旗本衆の制定。旗本衆は武田宗家の直轄組織である。母衣(ほろ)衆、馬廻(うままわり)衆、小姓、祐筆を置くものである。母衣衆は武田宗家の命令を家臣に伝える組織、馬廻衆は戦時において武田宗家の護衛を行う部署、小姓は武田宗家および来客の身の回りの世話をする組織、祐筆は武田宗家の代筆、書記、公文書の管理を行う部署である。


 秋山信任が読み上げた内容にほとんどの家臣がぽかんとしているので、俺が口を開くことにしよう。


「これより武田家はこの組織によって運営を行う。これは決定事項であるが、実際に運用して不備があるところは随時改善する。不満がある者は名乗り出るがよい」


 こう言って名乗り出る奴がいるとは思えないが、後からとやかく言わせないためのものだ。


「お聞きしてもよろしゅうござるか」


 金丸筑前守だ。今年で三六歳だったか、衆道の気があるんじゃないかと思うような中性的な雰囲気を纏っている男だ。

 しかし、金丸家は武田家の支流であり、譜代家老衆でもある。

 最初は武田二四将の土屋昌続つちやまさつぐの父親の金丸筑前守かと思ったが、年齢的に土屋昌続は孫にあたると思う。つまり、この筑前守の息子も筑前守を名乗ったと思われる。よくある話だ。


「申せ」

「軍団長ですが、軍団長は評定衆の下ではなく、殿の直轄ということですかな?」

「その通りだ。ただし目標の制定に関しては評定衆とも相談をして決めることになるだろう」

「ふむ……。して、評定衆や軍団長の人事はすでに決まっておられるのでしょうか」


 いいことを聞いてくる。すでに人事は決めてある。俺は秋山信任に視線を送り頷いた。


「さればでござる。これより各人事を発表させてもらう」


 全員の視線が秋山信任に集中する。自分がどのポジションなのか気になるだろうな。


 裁判方、栗原昌種。

 外交方、松尾信賢(ただし、代理として望月虎益)。

 財務方、秋山信任。

 開拓方、青木信種。

 生産方、板垣信方。

 兵糧方、小畠虎盛。

 第一軍団長、武田縄信。副団長、金丸筑前守。兵員七〇〇〇人、相模方面担当。

 第二軍団長、板垣信泰。副団長、工藤虎豊。兵員五〇〇〇人、遠江方面担当。

 第三軍団長、甘利宗信。副団長、原友胤。兵員五〇〇〇人、伊豆方面担当。


 ▽▽▽


 夜、真っ暗な中、「殿」と聞こえたので起き上がって敷き布団の上で胡坐をかく。俺の許可で入ってきたのは望月虎益だった。


「何事だ」

「古河公方足利政氏が高基に殺されました」


 急なことで考えが追いつかない。足利政氏と高基が不仲なのは誰もが知っていることだが、史実では足利政氏は享禄年間まで生きていたはずだから、あと二〇年くらいは生きるはずだ。

 これも俺が歴史を改変したせいか……。


「……それで高基はどうしているんだ」

「古河城に入って北関東の家々に両上杉を討つために集えと檄文を送っております」


 上杉憲房を擁立して上杉顕実を倒し、上野や武蔵を平らげるつもりだったが……。ふむ、足利高基に荒らしてもらってから乗り出すか。


 しかし、高基は何を血迷って父親を殺したんだ? そうか、下野の宇都宮氏の宇都宮成綱が後ろで糸を引いているのか。

 高基の妻は宇都宮成綱の娘だ。今回の永正の乱のキーマンの一人だ。


 高基は弟の義明が小弓公方として独立して焦っていたのかもしれないな。

 自分は父親に頭を押さえられていて息苦しいのに、弟は上総で好き放題している。


 小弓公方と言えば上総、上総と言えば武田家である。

 上総の武田家は甲斐武田家の分家筋だ。その上総武田は小弓公方を迎え入れたことで上総管領を自称している。

 何が上総管領だ、アホかってぇんだ。今は真里谷姓を名乗っているらしいが、そのまま二度と武田を名乗るなと言いたい。


 両上杉と古河公方の仲が悪いのは、永享一〇年(一四三八年)にまで遡る。

 鎌倉公方足利持氏は六代目の足利将軍を狙っていた。しかし、足利義教が将軍になってしまった。まあ、足利義教自身もくじ引きで将軍になったのだから、グレて歯向かった奴には容赦しない将軍になってしまったのかもしれない。


 足利義教は当時の関東管領上杉憲実と手を組んで足利持氏を締め上げ、さらには朝廷に足利持氏討伐の勅令を出させた。

 ボコボコにされた足利持氏は足利義教に恭順の意を示したが、足利義教は許さず自害するまで追い込んだ。

 しかも、足利持氏の三人の子供を京に送らせながら、春王丸(当時一二歳)、安王丸(当時一〇歳)を道中で殺した。

 永寿王丸(当時四歳)は助けたようだが、足利義教が生きている間は罪人の子供として幽閉されていた。


 将軍足利義教が暗殺されると永寿王丸は赦免されて鎌倉に戻り、第五代鎌倉公方足利成氏を名乗った。

 しかし、山内上杉家の家宰であった長尾景仲は、扇谷上杉家当主上杉持朝と共謀して足利成氏を攻め滅ぼそうとした。

 これは失敗して山内上杉家の当主であった関東管領上杉憲忠は、家臣の責任を負う形で蟄居した。

 そんなわけで、古河公方の前身であった鎌倉公方と上杉家とは、因縁が深いわけだ。


「北関東の家々はどのような反応をしているのだ」

「小田、宇都宮、那須が高基に同調しております」


 そこら辺は史実と変わらないか。

 さて、俺はどう動くのがベストだ? 今まで通り伊勢家を攻めるか? それとも古河公方、山内上杉、扇谷上杉の争いに参加するか。

 静観するという手もあるが、史実とは違った歴史を紡ぐ今世ではどこかの勢力が全部平らげてしまう可能性もある。

 どの家も英傑と言えるような武将はいないからな。やっぱ伊勢家が人材では頭一つ抜けているか。


 

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