025 信虎の嫁とり国盗り
永正八年五月二日。
京から関白九条尚経様の姫である経子姫と、近衛尚通様の姫の春子姫が甲斐へやってきた。
九条家と近衛家は政敵ともいえるくらい険悪な間柄だが、なぜか姫を俺に嫁がせることに関しては仲がいい。
今後、近衛家は近衛尚通の娘が足利義晴に嫁いで、近衛尚通の息子の近衛稙家の娘が足利義輝に嫁ぐはずだ。
つまり足利将軍家と縁が深くなることから本当は近衛家とは深くつき合いたくないのが正直な気持ちだ。だから資金援助だけして、何かあった時だけ動いてもらおうと思う。
ちなみに、俺に嫁いできた近衛春子は足利義晴に嫁ぐことになる慶寿院の姉になる。なんといっても足利義晴は今年生まれる予定なので、慶寿院が嫁ぐまでに一〇年や一五年はあるだろう。
今回の九条家と近衛家が武田家と縁を結ぶことになったので朝廷からは祝いなんだろうな、俺は正五位上を贈られた。
叔父信賢によると数年のうちに従四位下近衛中将が贈られるんじゃないかと言ってきた。まあ、五摂家のうち二家の婿になるのだから、それなりの官位官職というところなんだろうな。
それに俺は朝廷に色々な品を献上しているし、九条家と近衛家以外の公家にも援助をしている。
パトロンが援助を打ち切らないように徐々に官位官職を上げていこうという公家の思惑が透けて見える。
「すまぬな。今は戦の最中ゆえ、家中の者は出払っているのだ」
俺は二人と婚儀を同時に挙げて、今は二人と一緒に部屋にいる。
九条経子姫は可愛い系の顔立ちで幼さをまだ残している。
近衛春子姫は美人系の顔立ちをしていて、切れ長の目が印象的だ。
二人とも同じ年で俺の二つ下になる。
「殿はご出陣あそばさないのですか」
九条経子姫とは何度か言葉を交わしたことがあるが、顔をちゃんと見て話したのはこれが初めてだ。相変わらず可愛らしいよい声をしている。
「俺が出ると、家臣たちの武功を取ってしまうからな。今回は家臣たちに任せている」
「殿は戦上手とお聞きしました。そのお年で四度の戦に出陣して、全て大勝されておられるとお聞きしました」
近衛春子姫の声はとても耳に心地よい。近衛ということを除けば将来は俺好みの美人になると思う。
「たまたまだ」
「たまたまで駿河国を得られましょうか。ねぇ、経子さん」
「はい。京では、殿は軍神の生まれ変わりと言われています」
おいおい、俺は上杉謙信じゃないんだぞ。誰だよ軍神って、冗談じゃない。
「そのように京で噂されているとは、思ってもいなかった」
俺ははにかんで頭をかいた。二人はそんな俺を見て袖で口を隠して笑った。
「俺のことは置いておいて、これからの二人について話がしたい。いいかな」
「「どうぞ」」
どうも美少女二人を前にいつもの調子が出ないので、話を変える。
「なれば、まず二人は期せずして同じ年であり、今年で一二歳」
「「はい」」
「俺は二人が一五歳になるまでは同床せぬ」
「まあ、私たちにご不満でも」
「春子姫、それはない。もちろん、経子姫にも不満はない」
「では何ゆえにございましょうや」
二人が慌てて俺に詰め寄ってきた。
多分、共に早く子供をなして武田との縁を深めろとでも言われてきたのだろうな。
九条尚経様なら嫡男を産めとプレッシャーをかけていても不思議はない。近衛尚通様はお会いしたことないが、まあ同じだろう。
娘の嫁入りに関して仲がいいと思っていたら、見えないところで足を蹴りあっているようだ。困った人たちである。
「女性に子供を産んでもらうのは何も公家だけではなく、我ら武家も同じだ。だが、まだ大人になり切れていない体で子供を産むのは母体にとってとても危険なことだ。だから二人の体が大人になるまで、同床しない」
「「………」」
「俺も子供はほしいが、二人には子供と共に健やかに暮らしてほしいのだ」
初潮がきていたら小学生や中学生だって子供が産める。
だが、小学生や中学生に子供を産ませるのは俺の倫理観ではアウトだ。
数えで一五でも本当はアウトだが、あまり待たせるのも二人に悪い。多分、九条家と近衛家から催促がきて二人も肩身の狭い思いをすることになる。
まあ、同床してもあれをしなければ問題ないわけだが、俺が我慢できるかが問題になる。
だってこんな美少女と一緒に寝て手を出すなってほうが無理があると思わないか。俺の意思は砂山に立てた棒のように脆くも倒れてしまうだろう。その自信だったらあるぞ。
「また、俺は二人を分け隔てなく愛するが、子供は授かりものだ。先に生まれた男子を嫡男にするつもりでいる。だが、その子が武田家の嫡男としてふさわしくないと判断した場合は、廃嫡することもある。生まれる前からこんな話をすることを許してほしい」
「お話は分かりました。殿のよいようにしてください」
「私も経子さんと同じ意見です」
「二人ともありがとう」
物分かりがいいのは俺の不興を買わないためか。それとも二人の本心か……。どちらにしろ、俺は二人に後ろめたい気持ちがある。
俺も今年で数えで一四歳になる。この年齢になると女性に興味を持つのは仕方がないことだと思うんだ。だから侍女に手を出すこともある。いや、手あたり次第ではないぞ。相手は一人だし、ちゃんと妻に迎えるつもりだ。
だけど、今はダメだ。今は経子姫と春子姫を嫁にしたばかりだ。それに同床しないのだから、二人の気持ちを考えて他の妻のことは秘密にしたい。いや、俺のためだな、これは……。
▽▽▽
えーっと、なんで俺のところにきた? いや、まぁ、理由は分かるけどさ……。
昨年(永正七年)、山内上杉家の上杉顕定は越後の長尾為景との戦いで敗死した。
この山内上杉家は関東管領家なので、当然、誰かが上杉顕定の後を継いで山内上杉家と関東管領を継ぐことになる。
ここで問題がある。言わずとも分かるだろうが、それは跡目問題だ。
上杉顕定には二人の子がいる。二人とも養子で、一人は上杉顕実、古河公方足利成氏の次男。もう一人は上杉憲房、八代目の関東管領上杉憲実の孫になる。
上杉顕定亡き後、山内上杉家を継いだのは古河公方の息子である上杉顕実だ。もちろん、上杉憲房は納得いかなかった。だから俺の目の前にいるんだろう。
「俺を関東管領に押し上げてほしい。そして、養父顕定の仇を俺に討たせてほしい」
素直だなと思った。ここまで素直に頼まれると上杉憲房に応えてやりたいと思う。わけがない!
大体、山内上杉家の家督争いは古河公方家を巻き込んだ山内上杉家の内紛に発展する。
俺がこの内紛で弱体化した山内上杉家を信虎が喰おうとするのは数年先の予定だった。それなのに、この時期に山内上杉家の内紛に完全に巻き込まれる形になってしまった。
「お話は分かりました。されど、この甲斐守、利のない戦はしません」
義理とか人情で戦争なんかできるか。やるなら利益を追求する。
「ははは、甲斐守殿は聞いていた通り、面白き男であるな」
どんなことを聞いているのか知らないが、どうせ碌な噂ではないだろう。
「俺を関東管領に押し上げてくれたら武蔵半国を割譲しよう。さらに養父顕定の仇を討たせてくれたら上野の碓氷郡、吾妻郡、甘楽郡、多胡郡を割譲する」
これはまた奮発したな。そんなことで山内上杉を保てるのか?
「ただし、そこに根ざす国人たちは受け入れてやってほしい」
なるほど、割譲すると言っても国人はついてくるんだな。しかも、国人が俺に従わなければ争いの種が燻るわけだ。
「随分と気前がよろしいですな、それでいいのですか」
「関東管領上杉憲房とならねば、何もない。そのていどの出血は覚悟すべきではないか」
覚悟を持った交渉ってわけか。いいだろう、その提案に乗ってやろう。
「分かりもうした、憲房殿を関東管領に押し上げてみせましょうぞ」
「ありがたい。よしなに頼みますぞ」
「されど、今、我が家は伊勢家との戦いの真っ最中でござれば、当面は軍を動かすことができません」
「それについては承知しておる。伊勢家との争いにケリがついてからでよい」
上杉憲房は四五歳くらいだったと思うが、まだ一四歳の俺に頭を下げてきた。
関東管領の血筋だからかなりプライドが高いと思いきや、なかなか礼儀を弁えている。
いずれは武蔵と上野に出兵するつもりだったが、それはかなり後の予定だった。
少なくとも伊勢家と扇谷上杉家を喰らってからにするつもりだったんだがな。まあ、憲房のおかげで山内上杉家の内紛に介入する理由ができたし、越後の長尾家と戦う理由もできた。
あとは古河公方も上手くいけば潰せるはずだ。カモがネギを背負ってくるとはこのことだな。
しかし、かなり関東の歴史が変わってきたようだ。
俺の甲斐統一から駿河侵攻の流れが歴史を変えたのは間違いないと思うが、この余波はどこまで届くのかな。
バタフライ効果なんてのもあるくらいだから、もしかしたら明や朝鮮、もっと遠い天竺や南蛮までささやかな変化があるのかもしれない。
「では、しばらくはこの甲斐でごゆるりと過ごしてくだされ」
「忝い」
これで関東進出の大義名目ができた。上杉憲房を利用すれば、関東を平らげることもできる。
予定にはない行動だが、方針を修正して対応するとしよう。
憲房との面会を終えた俺は、一人でにまにましていたと思う。
「誰かある」
「は、お呼びでしょうか」
俺の声に応えて進み出てきたのは甘利虎泰、俺と同じように成長著しい大柄の人物で武田二四将の一人である。
「風間出羽守を呼んでくれ」
「承知いたしました」
甘利虎泰が頭を下げて部屋を出ていった。
伊豆と相模のほうが優先なのは変わらないが、今から山内上杉家、古河公方家の情報を集めたい。




