022 信虎の嫁とり国盗り
俺は秋山光任と甘利宗信を呼び出した。
この二人は家老衆で、毎日館に出仕している。同じ家老衆でも信泰は遠江の今川の抑えとして駿河にいるし、一門衆筆頭と言ってもいい叔父縄信も伊勢の抑えとして駿河にいる。
「呼んだのは他でもない。二人に相談があるのだ」
「某らに相談ですか。珍しいですな」
「左様、殿は常に我らの考えの先をいっておりますからな」
二人とも嫌みが言えるようになったか。少しは俺と二人の距離が縮まったと思うべきだろう。
「そう嫌みを言うな」
「これはしたり、この甘利宗信は本当のことしか申しませぬ」
「某とて甘利殿と同じでございまする」
「分かったから、そう俺を虐めるな」
三人で笑いあった。数年前は笑顔さえ見せなかったのだから、変わったものだ。
「して、相談というのは、どのようなことでございましょうや」
甘利宗信が話を戻した。
「うむ、まずは次郎の傅役のことだ」
「なるほど、次郎様の傅役ですか。いささか遅い気もしますが、必要ですな」
甘利宗信はまだ嫌みを言う。一一歳でまだ傅役が決まっていなくても大丈夫だろ? え、ダメ? 次男でも武田宗家のなのだから、しっかり養育しなければダメ? うん、次郎にはすまないと思っているぞ。
「傅役を誰にするのか、迷っておいでなのですかな」
「光任の言うとおりだ。二人まで絞ったが、その二人のどちらにするか迷っている」
「二人の名をお聞かせください」
俺は懐から紙を取り出して二人の前に広げて置いた。
「栗原昌種、……秋山光任」
そう、二人の中には目の前にいる秋山光任の名もある。
正直言うと、文武両道の秋山光任が最も適任かと思うが、そうすると次郎が成人して独り立ちするまで秋山光任が離れられなくなる。
これからも領国を広げようというのに、秋山光任が使えなくなるのは痛い。
「ほう、秋山殿の名があるの。殿、なぜ某の名がないのですかな」
甘利宗信は悪戯っ子のような目で俺を見てくる。
「次郎は本が好きで、逆に剣はあまり好きではない。俺は次郎を文官として育ててくれる者の名を挙げたつもりだ。宗信では武に偏ってしまうからな」
「某とて書を読みますぞ」
「お前が読む書は薄い本であろう」
「それを言われると反論のしようがありませんな。はははははは」
甘利宗信は高らかに笑っているが、その横では秋山光任が真剣な目で紙に書かれた名前を見つめている。
「本来であれば光任に任せたいところだが……」
「秋山殿は一線で働いてもらいたいということですかな」
「そうだ。次郎の傅役にすると、光任が使えなくなるのが痛い」
「であれば、栗原昌種がよろしかろうと存ずる」
「ふむ、宗信は栗原昌種を推すか……。光任はどうか」
「なればでござる。某を傅役にしていただきとうござる」
光任は俺の目をまっすぐ見て答えた。しかし、次郎の傅役になれば、前線指揮はできなくなる。
傅役とは次郎が成人して独り立ちしてもそばにいる存在だ。文官として教育を施すつもりの次郎が戦場で働くこと滅多にないから、必然的に傅役も戦場に立つことはなくなる。
「それでいいのか」
「は、家督は息子信任に譲り、某は次郎様のご養育を担いとうございます」
「宗信、どう思うか」
「信任殿も優秀な若武者でござれば、秋山の家が弱体することはないでしょう」
「宗信もそう言うのであれば、光任よ、次郎をよろしく頼む」
「は、この秋山光任の命に代えましても!」
俺は光任の肩に手をおいて何度か頷いた。これで次郎のことは大丈夫だ。
「さて、次だが……」
俺は話を切り替えて、今日、二人を呼んだ本題に入ることにした。
「我が武田家は甲斐、駿河を領有した」
二人が頷いた。
「だから武田家臣団の組織を明確にしようと思う」
「組織を明確に……」
甘利宗信が呟いた。秋山光任も神妙な顔をしている。
「最初に断っておくが、これはまだ誰にも話していない。そなたら二人が初めてで、信泰にも話していない」
信泰にも話していないと聞くと、二人が少し嬉しそうにした。
今まで俺の最側近は信泰だったし、信泰は家臣の中でも一番大きな家になった。その信泰にも話していないことを二人に話すのだから、感情として嬉しくないわけがない。
俺は懐からまた紙を取り出して二人の前に広げておいた。
「これは……」
「なんと……」
「まだ草案であり、決定事項ではない。だが、基本的にはこんな感じで組織を再編したいと思っている」
二人の前に置いた紙には組織図が簡単に書かれている。まず、武田宗家が頂点なのは言うまでもないが、その下に評定衆、軍団、旗本の三つに分かれた組織がある。
「この三つの組織は横並びだ。評定衆は武田家の行政組織で方針や目標を定め、下部組織では開墾、商品や武器の開発、兵糧の管理、財務の管理などを行う部署を設ける。軍団はその名の通り、軍事組織だ。あるていどの独自裁量を持たせて拠点防衛や他国へ侵攻する組織だ。旗本は小姓、馬廻、祐筆、母衣などの組織で、基本的には宗家の直轄になる」
「「………」」
「俺はこのように組織を再編しようと思っている。二人の意見を聞かせてくれ」
二人が顔を見合わせている。さすがにいきなり前段階もなく意見を言えといっても無理か。
「さればでござる。おそらく、評定衆が今の家老衆だと思われますが、軍団と旗本が評定衆の下にないのはなぜでございましょうや」
秋元光任が指摘したことは俺も迷った。
「軍団は最前線を守っている。評定衆の下につけて何かあった時に評定衆の意見がまとまらねば、軍団を見殺しにしかねないと思った。だから横並びにしたのだ」
文民による統制は民主主義のあるべき姿かもしれないが、ここは民主主義の「み」の字さえない日ノ本の戦国期だ。
当主の判断が何よりも優先され、当主が全ての責任を負うべきだと俺は思う。
それに民主主義は天下を望む俺には不向きな政治体制だから用いない。
また、電話や通信のような情報伝達技術のないこの時代で、上の判断を待つと手遅れになる場合もある。だから、当主の代理として軍団長に裁量権を与えるのがいいと思ったのだ。
「ふむ、軍団は宗家の命令しか受けつけないのはどうかと思いますぞ」
どうも秋山光任だけではなく、甘利宗信も軍団に首輪をつけたいようだ。だが、なぜそう思うんだ。
「ふむ、では軍団長に裁量権を与えてはならぬと二人は言うのだな」
「過ぎたる権限は家中の不和を招くおそれがあります」
「宗信も同じか」
「はい」
二人が心配していることは分かる。兵力を与えた軍団長が俺に反旗を翻さないとも限らない。
だが、俺もそのことはよくよく考えた。考えた末、このような軍団を置こうと思ったのだ。
「だがな、今はいいが、今後はどうだ。駿河の次は伊豆、相模、武蔵、上野、信濃、遠江と俺は手を広げていくつもりだ。その時に俺が全ての兵を率いて西へ東へ赴くわけにはいかぬぞ」
二人は目を見開いて驚いている。俺が関東進出を考えていることは薄々気づいていたと思うが、それを二人に話したことはない。
「一々俺の指示がなければ動けぬような軍団では組織した意味がない。そうは思わぬか」
「「………」」
二人が押し黙ってしまった。関東進出と軍団の独自性を考えているのであろう。
「殿がそこまでお考えになっていたとは、この宗信、感服いたしました。この上はこれ以上何も言いませぬ。軍団のことは納得いたし申した」
「某も甘利殿と同じく、異存はございません」
「うむ、光任は傅役の件もあろうが、二人で詳細を詰めてくれ。俺に気づかないこともあろう。頼むぞ」
「「はっ!」」
その二日後には光任の息子で秋山家を継いだ秋山信任が挨拶にやってきた。
「秋山信任にございます」
秋山信任は一八歳ほどの若武者で、キリリとした目元と鼻筋の通ったいい男である。
この信任の息子が武田二四将の秋山信友になる。秋山は家老衆だが、武田の支流でもあるので、能力次第では重用したい。
「急な話で困惑したであろう」
「家督を継ぐのはもう少し後と思うておりましたが。しかし、いつでも家を継ぐ覚悟はしておりましたゆえ、それほどでもございません」
うわー、顔もイケメンだが、言うこともイケメンだな。
クールなイケメンって羨ましいぞ。俺なんか普通の顔だし、喋りも上手くないから女にはモテない。
「何か?」
「いや、なんでもない。それよりも、今後の信任の働きに期待する」
「はっ、全身全霊をもってお仕えいたしまする」
「さっそくで悪いが、信任に仕事を与える」
「はっ」
信任の力を試すのに丁度よい仕事がある。
「扇谷上杉家より使者がきた。このあと面会するが、俺はお前の意見を尊重する」
「……承知いたしました」
扇谷上杉は俺が駿河を獲ったことで、チャンスとみたのだろう。
扇谷上杉と武田で伊勢を挟み撃ちにしたいと言ってくるはずだ。さて、秋山信任はそれに対してどのような返答をするのか、楽しみだ。
場所を変えて扇谷上杉の使者と面会した。
俺が上座に座り、右に甘利宗信、左に秋山信任、以下一〇人ほどの家臣が両サイドに並んでいる。
そして、俺の正面の中央に座っているのが扇谷上杉の使者だ。年齢は三〇手前で、ひょろっとした風貌から武将というよりは文官のような感じに見える。
「上杉朝良が家臣、太田資頼と申します。以後、お見知りおきくだされ」
「武田甲斐守信虎である。遠路はるばるご苦労であった」
太田資頼と言うと、太田道灌の甥じゃなかったかな。
結構後になるけど扇谷上杉家を裏切って北条家についた人物のはずだ。
家柄だけの落ち目の扇谷上杉を裏切っても俺は責める気はない。責められるべきは家柄を笠に着て努力を怠った扇谷上杉当主のほうだと思う。
まあ、俺が裏切られたらムカつくし悲しいので、裏切られないように家臣たちの功名心をくすぐりつつ利益を与え、そして強い武田を築かねばならないと思う。