002 逆行転生
板垣信泰の斜め後ろでは武田四名臣として有名な板垣信方が座っている。
武田家には武田四天王と武田四名臣という八人の名将がいて、武田四天王として有名なのは信玄の時代の馬場信春、内藤昌豊、山県昌景、高坂昌信だ。それに対して信虎時代には目の前にいる板垣信方を始めとした甘利虎泰、飯富虎昌、小山田昌辰が武田四名臣として挙げられている。
現在、信方は一五歳くらいで、この信泰が俺の直臣になったので、息子の信方も元服して一緒に挨拶にきているわけだ。
「信方、その方の働きにも期待しているぞ」
「は、若様に誠心誠意尽くす所存でございます」
俺は二人を前に、満足そうに頷いた。
「俺は府中に居を移す。二人もついて参れ」
「「はっ!」」
本来は俺が武田宗家の当主になって甲斐国を統一してから府中に躑躅ヶ崎館を建てて居館を移すが、この時期に俺の領地になったのだから、これも運命だろう。
現在の武田宗家の居館である石和館より北西へ向かう。この石和館が今の守護所である。
俺に従うのは板垣親子と足軽が一五人ほど。武田宗家の嫡男の一行としてはかなり数が少ないと思うが、父信縄は叔父信恵に備えているので、あまり多くの人員を割けないという理由がある。
もっとも、あまり多くの人員を動かすと、叔父信恵が触発されて動き出す可能性もあるので、下手なことはできない。微妙なパワーバランスでささやかな平和を保っているのだ。
石和館から一里半ほどで府中に到着した。そんなに遠くないが三時間半ほどかかった。荷車に荷物を載せているので、移動速度が遅いのだ。
府中では急ピッチで俺の館が建てられているわけもなく、古い屋敷があったので、それを少し改修しただけの屋敷に入った。
今後、この府中に俺が躑躅ヶ崎館を建てれば、ここが守護所になるのだが、さらに数十年後には新府城に本拠地が移されて、令和の世では躑躅ヶ崎館の跡地は武田神社になっている。
まぁ、俺が躑躅ヶ崎館を築いて本拠地を置かなければそうなることもないだろうけど。
「信泰」
「はっ!」
「鍛冶師と大工を呼んでくれ。それと農家の子で家を継げない子を集めてほしい」
「鍛冶師と大工はともかく、農家の子はどうされるのですか?」
信泰は不思議そうな顔で聞いてきた。世紀末キャラなのに首を傾げる仕草をするな、笑えてくる。
「将来有望な者を取り立てる」
「将来有望ですか……?」
農家の子というのが気に入らないという顔をしている。
「俺には人材が必要だ。武士の中にも優秀な者は多いが、農家にだって有能な者は多い」
「しかし、あの者たちは碌に読み書きもできませぬぞ」
「読み書きできないのは、武士の子と違って誰も教えてくれないからだ。だったら教えればいいと思わないか?」
「そうですが……」
「ふ、彼らに戦働きを期待しているわけではない」
俺がそう言うと、信泰は驚いたような顔をした。俺が信泰の考えていることが分からないとでも思っていたようだ。
信泰のような武士というか武人は農民にその領分を侵されるのを嫌う。だから、農民を武士として取り立てるわけではないと教えてやればいい。この甲斐では多くの優秀な武将が現れる土地だから、武将はこれから武家の者で揃えていけばいい。俺がほしいのは優秀な職人なのだ。
「ただし、武辺者はいくらでも欲しい。信泰の目にとまる者がいれば、お前が鍛えてやってほしい」
戦働きができるのであれば、武家に拘る必要はない。先ほどは職人がほしいといったが、基本的にどんな人材でも有能な者はほしいのだ。
武田四名臣と言われた板垣信方を育てた信泰であれば、優秀な者を育ててくれるだろう。
「承知いたしました」
「頼んだぞ」
信泰は足音をどすどすと響かせて下がっていった。
この時代の家や屋敷は板の間が多い。てか、まず板の間だ。畳はあることはあるが、武家屋敷では滅多にお目にかかれない。なぜかと言うと、足が汚いからだ。
この時代は下駄か草鞋、もしくは裸足で舗装もされていない地面を歩くので足が汚れるんだ。それに戦の時は草鞋のまま家の中に入る。俗に言う土足で家の中に入るので、畳のような高価な敷物は一般的ではないというわけだ。というのが俺の持論であるので、本当かどうかは知らない。
翌朝、鍛冶師と大工、それに農家の子供が屋敷の庭に集められた。皆、戦々恐々として頭を下げている。
「皆の者、面を上げよ」
俺の斜め前の縁側で座っている信泰が声をかけると、皆が恐る恐ると頭を上げた。特に農家の子はこれからどうなるのか、多くがかなり心配そうな顔をしている。
「俺は武田五郎信直だ。わざわざきてもらって、すまぬな」
「め、めっそうもございません!」
一番前の列の真中に正座している白髪混じりの初老の男が俺の声に答えた。この中ではこの人物が一番目上なんだろう。
俺はこの初老の男を観察してみた。背丈はそれほど高くないが、腕は筋肉質で逞しく、顔は日焼けを通りこして赤茶けている。多分、鍛冶師だと思う。
「その方の名は、なんと言うのだ」
「へ、へい。あっしは吉兵衛にございます」
「ふむ、吉兵衛は鍛冶師だな」
「へい、左様でございます」
答える度に頭を地面に擦りつけるのは止めてくれ。話しづらい。
「信泰、これを吉兵衛に」
俺は懐から紙を出して信泰に手渡して、信泰が吉兵衛にその紙を渡した。
「吉兵衛にはその紙に描いてあるものを作ってほしい」
「へ、へい。拝見します」
吉兵衛が四つ折りにしていた紙を開けて描いてある内容に目を通した。
文字が読めないといけないので、できるだけ絵で描いた内容は鉄砲と大砲の中間のようなものだ。名付けて中砲。
この中砲は直径五センチくらいの空洞に肉厚の砲身で、弾は五センチをやや小さくしたものだ。火薬も作っていないのに、中砲なんか作ったって意味がないと思うかもしれないが、火薬を作るよりも中砲を作るほうがよっぽど時間がかかると俺は思っている。
中砲作りは一年や二年で完成したら御の字で、俺はもっと長い時間がかかると思っているから、できるだけ早く中砲作りを開始したいと思っている。
「おそれながら、これはなんでしょうや」
「それは武器だ。それだけでは効果はないが、他のものと組み合わせて使うことで、恐ろしい武器になる」
「そ、そうなのですか……」
あんな絵ではあれがどんな武器なのか、まったく分からないだろうな。
「先日、俺の枕元に木花之佐久夜毘売命様がお立ちになり、その武器のことを教えてくださったのだ」
木花之佐久夜毘売命様とは、富士山本宮浅間大社に祭られている女神様のことで、富士山本宮浅間大社は駿河国にあるので、甲斐国では一宮浅間神社があって信仰を集めているのだ。
「そ、そんな大事なことをあっしのような者に……」
「今すぐ作れるとは思っていない。しかし、吉兵衛であれば必ず成し遂げてくれると信じているぞ」
「へへぇーーー」
吉兵衛は平伏した。
これで中砲のほうは大丈夫だろう。俺が作るわけではないので、信じて待つしかないというのが本当のところだけど。
「次、大工の代表者はおるか?」
「へ、へい。あっしです」
二列目の真ん中の働き盛りといった男が答えた。先ほどの吉兵衛は火に焼けた顔をしていたが、こっちは日焼けの顔だ。
「名はなんと言うのだ」
「へい、六蔵と申します」
「うむ。信泰、六蔵にこれを」
再び懐から紙を出して信泰に渡し、信泰が六蔵に渡した。
「拝見します」
六蔵はやや震える手で四つ折りの紙を広げる。
「それも木花之佐久夜毘売命様にお教えいただいたものである。六蔵にはそれを作ってもらいたい」
六蔵に渡したのは、聖牛の絵図だ。
甲斐国の中心地である甲府盆地には二つの川が流れている。この二つの川は笛吹川と釜無川というのだが、この二つの川が洪水を起こして多くの被害をこの甲斐国にもたらしている。
今すぐ霞堤のような堤防を築ければいいが、簡単ではない。だから増水時の川の流れの勢いを弱める効果が期待できる聖牛を作って少しでも被害を小さくしたいと思っている。
「へい、一生懸命作らせてもらいます」
「うむ、頼んだぞ」
さて、最後は農家の子供たちだ。
年齢的には二五歳くらいを筆頭に下は一二歳くらいまで幅広い年齢層だ。
「そのほうらの中で農家を続けたいという者は立ち去ってもよい。だが、俺の下で働きたいと思う者はここに残ってくれ。立ち去っても決して罰したりはしないので、安心してくれ」
農家の子供たちは顔を見あわせてどうしようかと考えを巡らせている。