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019 駿河乱入

 


 永正七年九月一〇日。


 永正地震が発生し、浜名湖が海と繋がったと報告があった。その報告を聞いて俺は家臣を集めた。


「今日、皆に集まってもらったのは、我が名を改めることにしたからだ。俺は本日ただいまより、信虎と名乗る」


 皆が平伏して、俺の改名に祝辞を述べた。が、これは世を欺くイベントである。

 俺の本当の狙いは……。


「そして、駿河を攻める。まずは俺の常備軍が五日後に先発する。皆は刈り入れが終わり次第、駿河へ向かってほしい」

「殿、お待ちください。何も今攻めずとも半月もすれば、刈り入れも終わります」


 俺を止めたのは秋山光任だ。家老衆の中では慎重な意見を言う人物である。意外と外見は穏健な甘利宗信が、好戦派なんだよ。


「秋山光任か。今回は時間との勝負だ。今すぐ出陣し、最低でも駿河の半分は得なければならぬ。これは決定事項であるぞ、光任」

「うっ……。承知しました」


 ここで光任が引き下がらなくても手討ちにはしないぞ。そんな暴君の信虎は今世にはいないのだ。

 家臣の意見は意見として聞き、判断を下す賢君が俺である。自分で賢君とか言っても説得力はないけどね。


「殿、某は殿について参る!」


 油川信守。俺の従兄で叔父信恵の油川家を継いだ若者だ。

 油川家は油川郷を召し上げているので、今は俺が三〇〇貫文で雇用している。だから領地は関係ない。


「信守か、ついて参れ!」

「はっ!」

「領地持ちは刈り入れ後、それ以外の者は俺についてこい!」

「「「おおおぉぉぉっ!」」」


 常備軍一万を動かした俺は、富士川を船で下った。

 残念なことに信泰はここにはいない。もし信泰がいたら船の上で川に撒き餌をしていることだろう。あいつは本当に船に弱いのだ。


「殿、真篠城が見えてきましたぞ」


 真篠城は甲斐と駿河の国境近くにある城で、信泰はそこで城代をしている。だから、今回の富士川下りに信泰がいないのだ。


「殿! やっとですな!」

「おう! 信泰、一気にいくぞ!」

「はっ!」


 真篠城はこのために改修をして、兵を常に三〇〇〇も置いていたのだ。ただし、この三〇〇〇の兵は輜重部隊(補給部隊)なので、真篠城を起点に駿河に攻め込んだ俺たちに武器と兵糧を補給する部隊だ。


 真篠城を出た俺は一万の兵を率いて、休む間もなく駿河に攻め入った。一気に横山城、庵原山城、北矢部砦、向山砦などを落として清水湊を確保した。


「殿、敵は戦わずに逃げ出してばかりで、面白みがないですな」

「十郎兵衛、油断するなよ。そういう隙が戦では命とりだ」


 しかし、ここまで抵抗らしい抵抗がないと拍子抜けしてしまう。


 清水湊を手に入れた俺は、部隊を三つに分けることにした。

 第一軍は叔父岩手縄美が率いる四〇〇〇。ここには小畠虎盛が副将としてついて富士川から東側を攻めている。

 第二軍は板垣信泰が率いる四〇〇〇。ここには青木信種、栗原信友が副将についている。この第二軍が横山城、庵原山城、北矢部砦、向山砦を落としている。

 第三軍が俺が率いる二〇〇〇だ。これは手に入れた横山城を拠点にして、後詰を行う部隊である。


 信泰の軍が駿府へ向かう。さすがに駿府では大きな抵抗にあうと思っていたが、すんなりと駿府を占領できてしまった。

 どうやら今川氏親は戦力を集めきれなかったようで、安部川を渡って府中へ後退したようだ。

 本拠地をこのように放棄するのはよくあることだ。府中は政治と文化の中心地なので防衛には向かない土地だが、なぜ府中に退いたのだろうか。まさか公家を盾にする気か?


 駿河侵攻も五日もすると敵の抵抗も激しくなり、特に信泰の第二部隊は安部川の西側の丸子城と持舟城を落として、今川軍とにらみ合っている。

 さすがは今川、たった五日で体勢を整えて対抗してきた。だが、第一軍の叔父岩手縄美は順調に東部を平らげていった。

 懸念だった伊勢家は相模で扇谷上杉家と戦っているので、こっちに戦力を割く余裕がない。扇谷上杉家と伊勢家が和睦して、伊勢家がこちらに戦力を向けるまでが勝負だ。

 なんせ、あいつら(扇谷上杉家と伊勢家)は戦いが好きなくせに、すぐに和睦して中途半端に遺恨を残すの好きな奴らだからな。


 一五日目にして、富士川から東の駿河は叔父岩手縄美がほぼ平らげてくれた。

 伊豆と相模の抑えとして叔父岩手縄美をそのまま東駿河に置き、俺は西駿河に戦力を集中させる。

 だが、今川も駿河と遠江の戦力をかき集めて、俺に対抗する。


「そろそろ今川の全てが集まりましたかな」

「うむ、そうだな。もういいだろう」


 俺は信泰の言葉にそう返した。何がいいかと言えば、炸裂雷筒を解禁するのだ。

 こういうのは相手が多ければ多いほど、武田信虎は木花之佐久夜毘売命の加護を得ていて、神の力を使うという噂が流れるのだ。


「信泰、攻めるぞ。俺は持船城から海岸沿いに、信泰は丸子城から進軍しろ」

「はっ!」


 俺は安倍川河口の西側の持舟城から沿岸沿いに進軍を始め、丸子城の信泰は山間部の宇津ノ谷峠を通って進軍する。

 俺のほうは海岸沿いだが、進軍速度はそれほど速くない。なぜなら俺のほうには大斧隊がいるからどうしても進軍速度が遅くなるのだ。一方、信泰のほうは山間部だが、進軍速度はむしろ俺の第三軍よりも速いかもしれない。


「殿、敵軍です」


 花沢にさしかかった辺りで今川軍が現れた。花沢城に詰めていた軍だと思う。


「弓隊前へ! 木花之佐久夜毘売命様の加護を得た武田家に抵抗するということは、木花之佐久夜毘売命様に仇なすと同義である! 木花之佐久夜毘売命様に成り代わり、我らが今川を討つ!」


 敵に聞こえるように大声で口上を述べる信方は、芝居がかっていて普段の真面目腐った信方と違う一面を見た気がする。


 手際よく矢を弓に番えた弓隊は、信方の合図を待つ。

 今川軍は一気呵成に攻め立てるつもりなのか、槍を持った足軽たちが必死の形相で駆け寄ってくる。


「撃て!」


 信方の合図で矢が一気に射られる。山なりに矢が飛んでいくと、今川軍に降り注ぐ。


「次、撃て!」


 第二射を射ると弓隊を後方に下げた信方、今度は炸裂雷筒隊を出した。

 今川軍は先ほどの矢の掃射で一〇〇人ほどが減った感じだが、まだ多い。多分、五〇〇〇くらいはいると思われる。よくもここまでの数を集めたと思う。


「着火!」


 その合図で皆が炸裂雷筒の導火線に火をつけると、スリングを回転させた。


「放て!」


 信方がタイミングを計り、スリングから炸裂雷筒が放たれた。

 これが世界を取る炸裂雷筒だぁぁぁっ! なんちゃって。

 今川の足軽が炸裂雷筒の爆発で吹き飛び、駆け寄ってきた足軽の足が止まった。

 あんな爆発が近くで起きたら怖いよな。炸裂雷筒のことを知っている俺だって逃げ出したくなるのに、今川の足軽にはまさに神の怒りにも思えるはずだ。


「放て!」


 すでに第二射を用意していた信方が容赦なく、炸裂雷筒を放った。

 その爆発と轟音で恐慌状態に陥った足軽が逃げ出し始めた。

 前回の今井・大井戦の時に使った以降は使ってなかったが、やはり炸裂雷筒が敵の精神に与えるダメージは大きい。

 だが、これを多用すれば、敵も慣れてしまって効果が薄れるかもしれない。でも、それならそれで運用を変えてしまえばいいのだから、ここぞという時には惜しまず使うとしよう。


 俺たちは悠々と花沢城を囲んだ。多分、花沢城に戻った兵はそれほど多くない。開戦時には五〇〇〇ほどいた兵のほとんどは炸裂雷筒の爆発を木花之佐久夜毘売命の怒りだと思って逃げ出しているからだ。


「某は甲斐武田家家臣板垣信方である! 花沢城にこもる今川の武将に告ぐ! 降伏するなら木花之佐久夜毘売命様もお赦しになるであろう! ただちに城門を開き、降伏せよ!」


 さて、どうなるか。降伏してくれれば楽でいいが、この状態で五〇〇〇もの兵を率いていた今川の武将だからそれなりに大物な気がする。

 大物なら、城を枕に討ち死にすることを選ぶ気がする。できれば、討ち死になんて無駄なことは止めてほしいものだ。


 しばらく待って花沢城にこもる今川の武将の回答を待つと、城門が開き数人が出てきた。

 俺は花沢城から弓矢が届かない場所に陣取っているので分からないが、信方がその数人と話をして一緒にこっちへやってくる。どうやら使者のようだ。

 信方が俺の前に跪いた。


「今川の武将、朝比奈俊永殿にございます」

「朝比奈俊永……」


 今川氏親の家臣の中でも重鎮と言える人物だ。うろ覚えだが、朝比奈俊永と言えば、朝比奈元長の父親だったはずで、朝比奈元長は今川義元に従って上洛しようとして、桶狭間で織田信長の奇襲にあった人物だ。


「今川家家臣、朝比奈俊永にござる」

「武田甲斐守信虎である」


 一瞬、朝比奈俊永は誰だという顔をした。どうやら改名したのが伝わっていなかったらしい。

 出陣前に家臣を集めたのは、俺の改名のためだという偽装工作をしたのに、それが意味をなしていなかったようだ。


「朝比奈殿。甲斐武田宗家、武田甲斐守信直様は名を改められ、今は信虎様と名乗られておいでである」

「そうであったか、これは失礼仕った」


 信方が俺の改名のことを説明して朝比奈俊永が納得した。ちょっと悲しい。


「某、総大将であられる瀬名氏貞殿の名代として参りました」


 瀬名氏貞は今川家の支流の今川一門で、俺とほとんど年齢が変わらないはずだ。

 俺の記憶が確かなら、この瀬名家から分かれた関口氏から徳川家康の正室になった築山殿が出ているはずだ。

 一門の瀬名氏貞を総大将にして、重鎮の朝比奈俊永が補佐をするというわけか。それなら五〇〇〇もの大軍を率いていたのも納得だ。

 ただし、ここで瀬名氏貞が総大将を務めているということは、信泰のほうが当たり(今川氏親)だったようだ。まあ、今川氏親が出陣するとは限らないけど。


「それで俊永はどのような要件でここにきたのだ」

「は、さればでござります」


 さて、何を言ってくるのか。


「某の首を差し出しますゆえ、瀬名氏貞殿始め、城兵の命をお助け願いたい」


 そうきたか。さすがは武で知られた朝比奈だ。自分の命を差し出して主家の一門を逃がすか。

 こういう義理堅い武将が俺の家臣に何人いるだろうか? 信方は俺のために死んでくれるだろうか? 虎盛は、十郎兵衛は、信種は、皆、俺のために死んでくれるだろうか……。


「主家の一門を逃がすために死ぬというのだな」

「それが家臣のあるべき姿と心得ております」

「そうか。だが、それは許さん」

「なれば―――」


 俺は朝比奈俊永を手で制した。


「早とちりをするでない。瀬名氏貞、そして朝比奈俊永、城兵の全てを助ける。すぐに城を退去しろ」

「されど……」

「なんだ、そんなに死にたいのか。俺は無抵抗な者を殺す気はない。死にたいのであれば、勝手にすればいい。だが、お前が死んでもなんの意味もないぞ」

「………」

「俺に降る気がないのであれば、すぐに立ち去れ」


 城に向かって歩いていく朝比奈俊永の背中を見送って、俺はにんまりほくそ笑む。


「あの御仁をこのまま帰してもよろしいのですか」

「構わん。生き証人は多いほうが木花之佐久夜毘売命様の怒りを広めてくれるというものだ」

「なるほど」


 朝比奈俊永が俺の家臣になってくれたらと思うが、それ以前に武田が木花之佐久夜毘売命の加護を得ていると広めてほしいのだ。

 そうすれば、これからの戦いが楽になるはずだ。なんといっても駿河も富士山のお膝元だからな。


 

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