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015 甲斐武田宗家継承

 


 俺の目の前には目が眩むほどの金塊が置かれている。

 俺としては、このまま懐に入れて自室に戻って頬ずりをしたいくらいだ。


「黒川金山より産出した金にございます」

「ご苦労だった。今後もしっかりと頼む」

「は、ありがたきお言葉」


 元々黒川金山の周囲では砂金がとれていた。だが、黒川衆によって本格的に採掘が始まったことで目の前の黄金がこの武田宗家に納められたわけだ。


 元は流れの山師だったのを黒川衆として、武田家の家臣に引き上げた。

 山師は金だけではなく、鉄や銅、銀など色々な地下資源を世に送り出す集団だが、その地位は低い。だから家臣にすることは今までは契約社員だったのが正社員になれたようなもので、皆喜んで黒川金山を開発してくれている。


 黒川金山の開発が軌道に乗ったので、俺の家臣の中で金山を管理する金山奉行のような役職を作ろうか迷っている。

 金山奉行は武田の経済力の一端を担う大事な仕事なので、誰でも任せられるわけではない。そのため、今のところ適任者が思い当たらないのだ。

 とりあえず、金山奉行の件は保留だな……。


 ▽▽▽


 栗原信友と目が合った。俺の行動を監視しているんじゃないかと思うほど俺を見てくるんだ。言っておくが、俺に衆道(そっち)の気はないぞ。

 小姓なら何人もいるから、そろそろ信友にも役目を与えないとな。


「信友」

「はっ」


 反応がいい。俺をジッと見ているから、その反応も納得だ。


「そろそろ甘利宗信がくる頃だな」

「はい、そろそろかと……お越しになられたようです」


 ドスドスという足音が近づいてくる。あれが甘利宗信の足音だとどうして分かったんだろうか?


「甘利宗信様がお越しです」


 本当に甘利宗信だった。

 俺が信友に頷いて甘利宗信を部屋に入れるように指示すると、信友は障子を開けた。


「甘利宗信にございます」


 俺の前でどかりと腰を降ろした甘利宗信が頭を下げてきた。


「宗信、ご苦労だった。信恵叔父上はどうであったか」

「はっ。殿のご期待に添えず申し訳なく」


 甘利宗信は頭を下げたままそう話した。


「そうか、叔父上はあくまでも反抗するのだな……」

「某の力不足にて」

「いや、分かっていたことだ。宗信が悪いわけでも、無能なわけでもない」

「ありがたきお言葉」

「宗信、頭を上げよ。それでは話しづらい」


 俺の言葉で甘利宗信は頭を上げた。


「叔父上のことはもういい。それより、宗信に頼みがあるのだ」

「なんでございましょうや」


 俺は今でもできることなら叔父信恵を殺したくはない。身内を殺すのは後味が悪すぎる。だから甘利宗信に頼むことにした。


「甘いと思うだろうが、できればで構わぬので頼めぬか」


 俺自身、本当に甘ちゃんだと思う。

 天下を望んだからには、そんな甘いことではと思わないではないが、家族って大事だと思うんだ。特に武田家は家族で争うことを続けてきたわけで、敵対したからと言って家族を簡単に殺していけないような気が最近してきた。

 これも武田家の家督を継いだ自覚なのかもしれないけど、殺さなくても隠居させたっていいと思う。もちろん、戦いの中で叔父信恵が死を選ぶこともあるかもしれない。そうなったら諦めもつくが、捕縛できるものであれば、そうしたい。

 おっと、もう勝った気でいるが、俺が殺されないことが一番優先だから、気を引き締めていこう。


「承知いたしました。某にできる範囲でよろしければ、努力いたしましょう」

「すまぬ」


 バカな身内を持つと本当に苦労する。捕らえたら二、三発殴ってやる。


 ▽▽▽


 永正五年四月。


 騒がしかった京の騒動もかなり落ちついたようだ。

 一〇代将軍だった足利義材(今は足利義尹と名乗っている)は大内義興の支援を受けて上洛を果たし、一一代将軍足利義澄は近江に逃げた。

 夏になれば、足利義尹が将軍になって、名前を足利義稙に改めることだろう。この時に一二代将軍ではなく、一〇代将軍に逆行しているところが俺的にアホらしいと思う。

 しばらくはこの足利義稙が将軍を続けることになるが、俺には本当にどうでもいいことだ。


 ▽▽▽


 永正五年九月。


 今年はありがたいことに不作は免れたようだ。

 移植栽培が功を奏したところもあるが、今年は日照りや洪水もなく昨年に比べると二倍近い収穫量になると予想されている。

 もちろん、俺の直轄地や家臣の領地の多くで移植栽培を行っているので、俺の家臣ではない土地では今まで通りだ。それでも収穫量は去年より多いはずだ。

 近年にない収穫量なので皆が喜んでいるが、油断できないのが天気の悪辣なところだ。


 霞堤も順調に工事が進んでいるが、秋の刈り入れが終わったら叔父信恵が動くだろう。

 その日が近づくにつれて気が重くなってくる。やっぱり他人と身内ではどうしても心にかかる負担が大きくなってしまうようだ。

 しかし、他人はいいけど身内は殺したくないなんて、俺もクソだな。


 そんなある日、朝廷から使者がやってきた。

 勧修寺尚顕(かじゅうじひさあき)様は三〇歳くらいのマロである。この暑い中、白粉もしっかりと塗りたくっていて、バ●殿に見えてしまう。


「勧修寺様には遠路はるばるこのような山国までようこそおいでくださいました。何もござりませんが、心ばかりのおもてなしをさせていただきます」

「左少将殿、世話をかけますな。ほほほ」


 左少将というのは左近衛少将のことで、今の俺の官職である。

 目の前にいる勧修寺尚顕様は今年の正月に参議に叙せられていて、俺も叔父の信賢を通じてお祝いの品を贈った記憶がある。


 さて、この勧修寺尚顕様がわざわざ甲斐まできた理由だが、どうも将軍争いに関係しているようだ。

 叔父信賢からは足利義尹が将軍に復権し名を義稙に改め、管領も 細川澄元を下した細川高国が任官されたとあった。

 その際に、少なからず京も荒れてしまったので、復権した足利義稙と細川高国にその復興を頼んだらしい。そしてその返答が「今はできない」というものだった。

 そこで目をつけられたのが、俺である。朝廷は叔父信賢に復興資金を出してくれないかと相談を持ちかけた。さすがの叔父信賢でも京の復興資金を俺の許可なく出すわけにはいかないので俺にそのことを報告してきて、朝廷も頼む立場なので武家伝奏の勧修寺尚顕様を遣わしたわけだ。


「しかし、甲斐の夏は京の夏に負けず劣らず暑いのぉ」


 この石和館は甲府盆地にあるので、熱がこもりやすいのは否定しない。だけど、令和の四〇度近いアホみたいな夏を経験している俺にしてみれば、避暑地とまでは言わないが涼しい。

 京も盆地なので暑いとは思うが、俺が思うに、勧修寺尚顕様が着ているその直衣(のうし)が暑いんだと思う。

 俺も勧修寺尚顕様の訪問を受けたので正装の直垂(ひたたれ)を着たが、暑くて仕方がない。できることならもう少し涼しくなってからきてほしかった。


「夏は暑いものでございます。夏が涼しかったら米も育たぬゆえ、困ってしまいますから受け入れるしかございません」

「なるほど、たしかにその通りですな」


 さて、世間話もそろそろ終わると思うので、本題だ。


「左少将殿、実は京が将軍家の争いによって荒れてしもうた。なんとか復興させたいと思うが、協力をしてはくれまいか」


 なるほど、銭を出せとはっきり言わず、協力と言ってきたか。しかし、京を復興してもまたすぐに荒れてしまうぞ。

 足利将軍家と細川京兆家を巡った戦いは永正八年に起こる船岡山の戦いで決着がつくまで何度か発生する。その度に京は戦火に見舞われることになる。


 それに二年後の永正七年には永正大地震が河内と摂津辺りで発生する。京は直撃ではないが、河内と摂津は京が置かれている山城の横の国だから京にも被害があるはずだ。


 つまり、今、京の復興を開始してもすぐに荒れてしまうのだ。


「京の復興にご協力するのはこの武田信直にとっても望むところにございます」

「では―――」

「されど、将軍家と細川京兆家の争いが終わらぬことには復興もままなりませぬ」


 俺は勧修寺尚顕様の声を遮ると、勧修寺尚顕様の顔がどんどん曇っていく。


「京を復興する前に争いの元をどうにかせねば意味がありません」

「………」


 そんなことは言われなくても分かっていると言いたげな顔だな。


「残念ながら今の武田家には将軍家と細川京兆家を止める手立てがないのが正直なところでございます」

「では、復興に協力はできぬと申されるか」

「さにあらず」


 勧修寺尚顕様はどういうことかと俺の顔をまじまじと見てくる。


「京は最低限の復興をさせましょう。そのうえで、皆様には戦乱が落ちつくまでこの甲斐へ下向されてはいかがでしょうか」


 すでに京の戦乱を嫌った公家が駿河に下向している実績がある。だったら、甲斐に下向したっていいわけだ。

 海のものは駿河には勝てないが、できるだけの歓待をするつもりでいる。

 これは、俺が天下を望めるほどに大きくなった時の布石で、必要経費だと割り切って公家たちを受け入れよう。


「駿河には三条様を始めとした高貴な方々が下向していると聞き及んでいます。甲斐もその一端を担うことにしましょう」

「なんと、左少将殿はそこまでわらわたちのことを考えてくれているのか……」


 勧修寺尚顕様は目を大きく開いて驚いたふりをした。多分だけど、これが狙いだったと俺は思っている。

 九条家のように京のそばに荘園を持っている公家はそこにいくだろうが、公家の荘園は横領されていることが多いので、九条家のようにはいかないのも事実。

 公家たちも京を離れたくはないだろうが、戦乱が続く京にいてはいつ殺されるかわからないとビクビクして暮らさなければならない。

 それだったら、田舎でも安心してくらせる場所へいきたいと思う公家もそれなりの数がいるはずだ。史実ではそれが今川家の駿河だった。


「甲斐への下向をお考えの皆様にはその旅費も援助します」

「そこまでしてくりゃるのか」


 おっと、急に変な京言葉が出てきた。多分、嬉しくて思わず出たんじゃないかな。


「今の某にできることは、そのくらいでございます。心苦しい限りではありますが、甲斐へ下向された皆様にはできるかぎりのことをさせていただきます」


 勧修寺尚顕様は満足して京へ帰っていった。

 実のところ、これから甲斐も戦乱の中心になるのだけど、それは言わぬが花だろう。

 さて、公家たちを受け入れる準備をしなければな。


 

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[気になる点] 叔父を家族って言うのが違和感ある リアルでも一緒に住んでるでもなければ叔父って親戚って感じで家族ではないと思う人が大半では? この時代で言えば武田の一族の一人というだけで家族といわれる…
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