014 甲斐武田宗家継承
永正三年一二月四日。
年の瀬も迫ったある日、信縄おやじ殿が倒れた。もう長くはないだろう。
「信直……」
「はい、ここにおります」
信縄おやじ殿がやせ細った手を上げて俺の手を取った。
「家督を信直に譲る。武田宗家を盛り立ててくれ」
「父上、何を仰いますか!? 父上はまだお若いのですから、こんな病などすぐに快癒します」
信縄おやじ殿は力なく笑顔を作った。自分でも死期を悟っているような顔だ。
「岩下……」
「ここにおりますよ」
信縄おやじ殿が母を呼んで、首だけをゆっくりと向けた。
「信直の重荷にだけはなるでないぞ」
「分かっております。表向きのことに口出しはいたしません」
すごいな、こんな状態でも武田の紛争を危惧している。
これも祖父信昌と叔父信恵に悩まされたからなんだろうけど、そんなことを思って死んでいくのは悲しいことだ。
クソ爺とクソ叔父が信縄おやじ殿の命を縮めたのかもしれないな……。
「次郎……」
「はい」
俺の弟である次郎は唇をキュッと結び、涙をこらえているように見える。
「兄の言うことをよく聞き、よく助け、兄信直を敬うのだぞ」
「はい」
信縄おやじ殿は次郎にウンウンと頷き笑顔を向ける。
「信直、起こしてくれ」
「しかし」
「これだけは皆に言っておかねばならぬ。起こせ」
「はい」
俺は信縄おやじ殿の背中を支え体を起こした。信縄おやじ殿は首だけを動かし集まった家臣たちを見やった。
「皆の者」
「「「はっ!」」」
力ない声だが、室内は静まり返っているので、皆にも声が届いた。
「本日ただ今より、甲斐武田宗家の当主は信直である。皆で信直を盛り立ててやってくれ」
「「「ははぁぁぁ」」」
皆が平服して信縄おやじ殿の遺言とも言うべき言葉を聞いた。
それに満足した信縄おやじ殿は横になった。
▽▽▽
永正四年正月。
年が明けると信縄おやじ殿はかなり具合が悪く、目を開けている時間がかなり少なくなった。
新当主として俺は、石和館で家臣たちから新年の挨拶を受けて、家臣たちを集めての所信表明演説的なことでもやってみようと思う。
残念ながら叔父信恵は挨拶にこなかったし、小山田弥太郎も同じだ。他にも穴山もこなかったが、小山田孫三郎からは書状で挨拶を受けた。
「甲斐国内では関所を廃止する」
俺がそう言うと家臣たちが騒然となった。この反応は分かっていたことだが、抵抗は激しそうだ。
「皆、関所からの税をあてにしているのであろうが、そのようなものはなくてもやっていけるようにしてやる。府中を見ろ。府中は潤っているぞ。皆にも府中のような恩恵を与えてやる。それが嫌なら関を続けてもいいし、俺の元を去って構わん」
俺は一息に言い切った。なかなかの啖呵だと思う。
「某は殿のご指示に従いましょう」
「宗信か、よい思いをさせてやるぞ」
「はっ、楽しみにしております」
「某もご指示に従います。府中の繁栄を見れば、殿の手腕に疑いようもございません」
甘利宗信と秋山光任。二人の家老衆が俺に従ったことで、次々と同意の声があがった。まぁ、二人には事前にそうしろと話していたんだけど、こういうのは勢いでやらないとグダグダになってしまう。
「俺についてきたことを後悔はさせん。まずは農地改革から入る。米の生産量を増やすのだ」
「「「ははぁぁぁっ」」」
後に退けなくなったし、退く気もない。家臣たちを裕福にすれば誰も文句が言えなくなって俺の支配を盤石のものにする。
やることは簡単だ。移植栽培をすればそれだけで収穫量は上がる。それだけではない、肥料もこれまでのものよりもいいものを作った。
そして最近売り始めた石鹸や綿花の栽培を奨励する。綿花は望月虎益が手に入れてきた。綿は売れる。布団や服にしてもいいし、船の帆にも使える。用途はいくらでもある。
さて、富国強兵の話は尽きないが、小山田の話をしよう。望月虎益の調べでは、小山田孫三郎の寝返りは確実らしい。
小山田弥太郎のほうは、味方が軒並み俺についたことで、かなり怒っているらしいが、それでも俺に勝てると思っているらしく、叔父信恵と頻繁に連絡を取り合っているそうだ。
孫三郎は領地の安堵を願っているが、弥太郎を隠居させて小山田家が俺に忠誠を尽くすのであれば考えると返事をしてある。
ただ、小山田家の中では弥太郎の発言力は絶大で、孫三郎につくものはほとんどいない。もし小山田弥太郎が叔父信恵を奉じて挙兵するようなことになれば、最低でも領地替えは確実だ。
また、家督を譲られたことを足利将軍家と朝廷に報告し、足利将軍家から甲斐守護職、朝廷からは従五位上左近衛少将を賜り、甲斐守はそのままだった。
足利将軍家に頭を下げるのは気に入らなかったが、今はまだ守護職が必要だ。
あと、朝廷工作してくれる叔父信賢にも官位が必要だと思ったので、従五位下相模守に任官してもらった。俺がもう少し上の官位になれば、叔父信賢をもっと引き上げてやれるだろう。
そんな中、二月に信縄おやじ殿が他界した。
叔父信恵はここが挙兵のしどころだと、意気込んでいるそうだ。できれば信縄おやじ殿の一周忌が終わるまでは大人しくしておいてほしい。
▽▽▽
信縄おやじ殿の法要、初七日、四九日も終わり、夏を迎えた。
予定通りというのもおかしな話だが、管領の細川政元が暗殺された。
政元には三人の養子がいて、その三人が今後管領になる。その中に、関白九条尚経の弟である細川澄之もいるのだが、この細川澄之は三人の中で最初に管領になる。ただし、その在任期間はたったの四〇日だ。
なぜ四〇日かというと、史実では細川政元を殺した香西元長と薬師寺長忠の二人は細川澄之と繋がっていたと言われている。だから細川澄元が三好之長と近江の国人を味方につけて、細川澄之を攻めて自害に追い込まれてしまうのだ。
そうなったら関白九条尚経様はなんと言うだろうか? 他所の家に養子に出した子だからどうでもいいとは思ってないよな? 表立って何か言うことはないかもしれないが、細川澄元をぶっ飛ばしたいと思っているだろう。
さて、細川澄之の次の管領になる細川澄元だが、細川澄元も長く続かない。ここで出てくるのが細川政元の三人目の養子である細川高国だ。
この細川高国が長きに渡って京兆家当主の座に座り続けることになる。
権力闘争しかできない細川家は放置して、俺の話をしよう。
家督を継いだ俺は府中で行って成果を上げている移植栽培を推奨した。この移植栽培によって府中の米の収穫量は三割も上がったと聞いた国人たちは、こぞって移植栽培に切り替えた。
米の収穫量が三割も増えるのは劇的なことなので、今年の秋が楽しみだ。
あとは、釜無川と笛吹川の治水工事をしている。やっとこれができるようになった。
ただ、そのために二〇〇〇人からの浪人や農家の次男、三男を雇用したので、陶器で儲けた銭が一気に減った。
だから、そろそろ次の商品を市場に投入しようと思う。
次の商品は酒だ。余剰米を酒造りに使ったことで、大量の酒ができた。しかも、その酒は透明でスッキリとした飲み心地の美味しい酒になった。
酒造りを考えた当初は竈の灰を集めて濁った酒にぶち込んだものだった。それでも一晩たてば透き通った酒になり、美味さがワンランク上がった。
ただし、それでは俺が思い描く日本酒には程遠かったのだ。
次は一から酒造りをすることにした。最初の年はあまり美味い酒にはならなかったが、それでも濁った酒よりは美味かった。
そして、今年は杜氏ががんばってくれて美味しい酒になっている。まだまだ令和で美味いと言われていた酒には及ばないが、それでも濁り酒よりはるかに美味しい酒だ。
透き通っている酒を見た時、俺はあることに気がつた。
盃は濁り酒では底が見えないが、透き通った酒だと盃の底が見える。盃は木でもいいが、俺のような大名だと漆塗りのものが一般的だ。
だから豪華な漆塗りの盃を作ったらこの酒と一緒に売れるんじゃないかと思ったわけだ。
そんなわけで漆職人に豪華な盃を作ってもらった。最初は抱き合わせで売ってもいいが、あとはひとりでに売れていくだろう。
それと今後はワインも造りたいので、ブドウを生産したいと思っている。海外からブドウを輸入できないので、山ブドウを品種改良できればと思っている。これは長期的にやっていくつもりだ。
話を戻すが、二〇〇〇人を動員して霞堤(信玄堤)の工事をさせている。この二〇〇〇人は常備兵の工兵として育てていこうと思っている。
だから工兵に持たせるのは、園芸でよく使われる先の尖った木の柄がついたシャベルだ。
戦闘でもこのシャベルは役に立つし、一石二鳥のものである。
また、穴掘り用に先が二つに分かれている複式ショベルやツルハシ、そして最悪は炸裂雷筒を使って石や岩を破壊する。
このような鉄製の道具を与えているので、霞堤の工事は急ピッチで進んでいる。
そんな中、俺はある集団を庭先に呼び出した。
「これよりそのほうらは黒川衆と名乗るがよい」
そう、彼らは山師と言われる集団だ。つまり、当主になった俺は本格的に金山開発をしようと、彼らを召喚した。
「ありがたき幸せ」
彼らには甲斐最大の黒川金山を任せるが、その他にも金山は多いので黒川が安定したらあと二つか三つほど金山開発をしようと思う。
一気に全てを開発するのは無理だし、そこまで開発しないといけない状況にもしたくない。
金は掘りつくすとなくなるので、できるだけ特産品で銭を稼ぎたいと思う。
あと、甲斐には日本住血吸虫症の問題がある。甲斐(山梨県)では、西暦一九九六年に撲滅宣言がだされた厄介な病気なんだが、これ完全に排除できなくても罹患する数を減らすことはできるはずだ。
日本住血吸虫症はミヤイリガイという貝を中間宿主にしている寄生虫による病気なので、ミヤイリガイを撲滅させることで、日本住血吸虫症が収まるだろう。
だから家臣らにミヤイリガイが病の元だから積極的に駆除するようにと命じる。この時に木花之佐久夜毘売命から聞いたと言ったので、家臣たちは疑うことはあっても従っておこうという気になったはずだ。
まあ、こういった寄生虫による病気の撲滅なんてできると思わないしできないのだから、減ったと実感できるくらい減ってくれればいいかなと思う。
俺の前世の知識は万能ではないので、さすがに医者の分野までは立ち入れないのが正直なところだ。
▽▽▽
永正五年正月。
信縄おやじ殿の一周忌を前に新年の挨拶を受けた俺は、多くの家臣たちと評定を行っている。
「殿、信恵様が挙兵される前に討伐するべきです」
殿というのは俺のことだ。武田家は屋形号を有しているが、屋形号は足利将軍家の制度なので、俺は使っていない。足利との繋がりは守護職だけで十分だ。
そして、そんな俺を殿と呼んで気炎を上げたのは飯富道悦だ。この道悦は武田二四将の飯富虎昌の父親である。
本来であれば、この道悦も信虎に抗って死んでいった武将だ。だが、今世では叔父信恵からこの俺に鞍替えをして家臣として仕えている。
ちなみに飯富は『いいとみ』ではなく『おぶ』と読む。俺が言わなくても知っていたかな。
「飯富殿の申される通りでござる。信恵様が挙兵する前にこちらから攻めるべきです」
今度は秋山光任が進言してきた。秋山光任は武田二四将の一人である秋山信友の祖父にあたる。
秋山氏も武田から分かれた支流の家で、家老衆になる。
「某は信恵様を説得するべきと考える」
甘利宗信である。この甘利宗信も武田二四将の一人である甘利虎泰の父親だ。
甘利家も武田の支流で家老衆である。
「ならば、信恵様をここに呼び出し、殿に臣従するか問いただせばいい。こなければ、その時は攻めるもやむなしである」
原友胤も武田二四将の一人である原虎胤の父親だ。俺の前世記憶では原友胤と虎胤親子は下総の千葉勝胤の家臣だった。
足利義明が勢力を大きくして小弓公方を称した時、原親子は領地を追われて甲斐にやってきたはずだが、今世ではそういった経緯はないようだ。
「殿、友胤殿の申されるように信恵様を呼び出し、臣従の有無を確認するのがよろしいかと。信恵様にはこれが最後の機会であると、使者を送りましょう」
信泰が友胤の意見を支持した。
いきなり軍を出すより、最後通告をして軍を出すほうが他の家臣に与える印象も違うだろうから、俺も使者を出すことに賛成だ。
「宗信、信恵叔父上への使者に立ってくれるか」
「殿のご命令とあれば、喜んで」
俺は甘利宗信に使者を頼んだ。風貌が威圧的ではないので、叔父信恵を説得するにはいいだろうと思ってのことだ。
もっとも、俺はこの説得は失敗すると思っている。叔父信恵は自分が武田宗家に相応しいと思い込んでいて、それを唆す小山田弥太郎がいるからだ。
俺としては小山田家は潰したいと思っているが、弥太郎の息子の孫三郎が俺についているので、潰すのは難しいかもしれない。
小山田を潰したいのは、小山田家が領有している領地を直轄地にしたいのがある。小山田家の領地は郡内にあり、駿河や相模への街道がそこを通っている。
主要な街道はできるだけ抑えておきたいので、小山田家は邪魔なのだ。そして、それは穴山家も同じで、以前、俺が上洛する時に通った河内路を抑えているのが、穴山家である。
その両家ともそれなりの勢力を持っているので本当に質が悪いし、穴山家は今川に臣従しているので、今は手が出せない。
穴山家を攻める時は甲斐統一の最後になるだろう。
感想で日本住血吸虫症のことが触れられていましたが、あまり本作品内での記載はあまりありません。
すみません。