013 甲斐武田宗家継承
今井・大井を下したと言ってもまだ甲斐を統一したわけではない。
甲斐武田宗家に反抗する筆頭は叔父の信恵と小山田弥太郎。他にも穴山などの国人が複数いる。
国人に関しては、日和見を決め込んでいる家もあるので、それらを含めてあと四年以内に甲斐を完全統一したい。
「望月虎益を呼んでくれ」
「はっ」
栗原昌種の子である栗原信友がそばに控えていたので、虎益を呼ぶように命じた。
今は栗原信友は俺の小姓をしている。俺よりもかなり年上だけど、俺のやりかたを見せるためにそばに置いている。
溜まっていた書類の処理をした頃、虎益がやってきた。
乱波だけあって足音がしないし、気配も他の家臣よりも薄い。それでいて目の前に座る虎益の存在感はなかなかのものだ。
「若がお呼びと聞き、参じましてございます」
虎益は頭を下げ俺に挨拶をした。無駄のない動きだ。
「うむ、例の件のことを聞こうと思って呼んだ」
俺が声をかけると、虎益は頭を上げて俺をまっすぐ見た。
「穴山信懸は今川へ帰属する姿勢を変えることはないでしょう」
穴山信懸は甲斐の国人で、武田の支流である穴山家の当主だ。穴山信懸はもうお爺ちゃんなので、息子の穴山信風と二頭政治みたいなことをやっている。
穴山と言えば、武田二四将の穴山梅雪が有名だが、梅雪が生まれるまでにはまだ二〇年以上ある。
そして、今の穴山家は今川に臣従している。敵である。
まだ十数年後の話だが、史実での穴山信風は今川家の福島正成が大軍を擁して押し寄せてきた時に、今川側として武田と戦っている。
戦国期ではこうした一族や分家が宗家を潰そうとするのは珍しくない。
史実の信虎は、巧みな婚姻と調略、そして戦術で甲斐を統一したのだから傑物だと言える。それで気が大きくなってしまって家臣を何人も手討ちにしなければ、武田宗家の当主として長く生きたかもしれない人物だ。
「ふむ……。それは武田宗家が甲斐を統一するどころか、内紛を抱えているからか?」
「そう考えている部分もありますが、今は今川に勢いがありますゆえ」
「そうか、穴山については分かった」
俺はそう話を切って、箱の中から書状を取り出した。
「読んでくれ」
「………」
書状を虎益に手渡すと、虎益は書状を開き読み進める。
「小山田が……」
その書状は小山田からのものだ。ただし、当主の小山田弥太郎ではなく、その息子の小山田孫三郎のほうである。
その内容は、俺につきたいが父親の弥太郎がうんと言わない。弥太郎とたもとを分かつ決心をしたので、支援してほしいというものだ。
「どう思う?」
「なんとも申せませぬな……」
この内容が本当であれば、弥太郎を隠居させれば小山田家は俺側につくということである。だが、これが罠であったら、俺を誘い込んで亡き者にしようとしているのかもしれない。
史実の小山田家は信虎にとってかなり面倒な家だった。それは代替わりした信玄の頃も同じであり、武田宗家としてかなり気を遣う家であり家臣だった。
その小山田からの手紙が罠の可能性は否定できない。しかし、史実では孫三郎に信虎の妹が嫁いでいるはずなので、本心で弥太郎と決別する気なのかもしれない。
「俺は話にのることにする。孫三郎を探ってくれ」
「承知しました」
頭の痛い話が多い中で、小山田孫三郎が本当に俺についてくれれば嬉しいのだが……。
▽▽▽
叔父信賢より書状がきた。それによると、近衛尚通の娘を俺の嫁にどうかと言ってきているのだ。
俺はすでに九条経子姫と婚約をしているのに、そこに同じ摂関家の近衛家の姫をねじ込んでくるとは、思ってもいなかった。
この頃の九条家と近衛家はお世辞にも仲がいいとは言えない。
九条尚経の父である九条政基の関白時代の話だが、次の関白は近衛政家に内定していた。だが、九条政基が関白を辞任しないということが起きた。
関白は、摂関家が持ち回りのような形で就任と辞任を繰り返しているので、九条政基が辞任しないというのはそれなりの騒動になった。
近衛政家は時の将軍家を動かして九条政基を辞任させようとしたが、九条政基はそれを跳ねのけたのだ。
すったもんだがあり、とうとう当時の帝であった後土御門天皇が出てくる騒動にまで発展して、ようやく九条政基は関白を辞任した。
こんな嫌がらせをされた近衛家は九条家を嫌っていても不思議はないと思うが、政治の世界は好き嫌いだけでは立ちゆかない。場合によっては親の仇とだって手を結ぶのが政治の世界なのだ。
今は九条政基の子の九条尚経、近衛政家の子の近衛尚通の代になっているが、両家の仲はいいとは言えない。
摂関家は元々『九条流』と『近衛流』に例えられることがあって、九条流からは九条家、二条家、一条家が出て、近衛流からは近衛家と鷹司家がある。だからこの二家はちょっとしたことでも反目しあっているのかもしれない。
その近衛家からの嫁入りの話である。
「ははは! もてる男はつらいですな、若」
信泰は気楽に言ってくれる。
書状には九条経子姫が正室でいいと言ってきている。ここまで言われて断れば、近衛との関係が悪化するのは目に見えている。
だが、文面を鵜呑みにして近衛家の姫を側室扱いしたら、大変な目にあいそうだ。困った。
「殿がしっかりとお二人の手綱を握って、争いのないようにするしかありませんな」
虎盛め、簡単に言ってくれる。
そんなに簡単に九条と近衛の姫を御し得るなら、俺は前世で独身ではなかったぞ!
「どの道、九条家と近衛家の姫を娶るのは確定路線なんだから、二人とも分け隔てなく可愛がってやればいいのですよ、若」
十郎兵衛は軽いな。こいつなら女の二人や三人は一度に愛せるんだろうな。
「しかし、九条の姫を正室にして、近衛の姫を側室では、家格的にマズくないですかな?」
信方の言う通りだ。近衛も口では側室でいいと言っても、心の中では絶対に正室になりたいと思っているはずだ。
「近衛としても側室という言葉を出しているのですから、後に退く気はないでしょう。つまり近衛家の姫を娶るのは既定路線になっているわけですが、さすがに側室というわけにはいかぬでしょうから、娶るのであれば九条家の経子姫と同じように正室としてお迎えすべきでしょう。そのためには、関白九条尚経様と経子姫に近衛の姫のことを認めてもらわなければなりませんぞ、若」
最年長の栗原昌種が苦笑いしながら発言した。
正室というのは一つしかないわけではない。俺が二人とも正室と言えば、二人は正室なのだ。
「しかし、男の子をお生みになった場合の優劣は決めておきませんと、お二人を正室だからといって、武田家を二人の子に継がすことはできませんからな」
信泰が真面目腐った顔で発言した。
「しかし、それでは九条家と近衛家に差をつけることになりますぞ」
昌種の言う通りで、結局のところは優劣がついてしまう。どうしたものか……。
「二人が男の子を生むとは限らぬが、生まれた順番で長子継承にするしかないだろう。ただ、ここで俺たちが話し合っていても、関白様がどう仰るかが問題だ。信賢叔父上には九条家の交渉で苦労をかけることになるが、近衛家との確執を作るわけにもいかぬから、穏便に済むようにしてもらうしかない」
俺がそう結論づけたら、皆が頷いた。
しかし、嫡子の問題は武田家にとことんつきまとうようだ。
信縄おやじ殿は弟と、信玄も弟に家督を継がせようとした信虎を追いだしている。そして、さらに信玄は嫡男の義信ではなく勝頼を後継者にしようとして、義信の謀反騒動になった。
こうして考えると、武田家って親子関係が悪すぎじゃね?
数日後、再び叔父信賢から書状が届いた。
内容は九条尚経様が近衛家の姫を同列に扱うことを了承したという内容だ。
多分、俺の書状はまだ京には届いていないので、叔父信賢が考えて行動したんだろう。俺の指示を待たずに動けて、よい交渉をしてくれる叔父信賢に感謝しないといけない。俺はよい外交官を得たものだ。
さて、今度は近衛家に結納の品々を贈らねばならぬ。九条家と同じものでは角が立つし、差が出ればこれも角が立つ。
「面倒くせー」
「若、何か?」
「いや、なんでもない」
思わず声が漏れたしまったようで、信種がこちらをジッと見ていた。
大体だな、俺は女性に対してそんなにマメじゃないんだ。だから、前世は独身だったのだから、そこんところを汲んでくれないかな? などと愚痴るわけにもいかないか……。
天下を目指したけど、なんだか女性のことで苦労しそうな予感がする。
しかし、前世で独身だった俺が、今世では婚約者が二人もできてしまった。嬉しいことなのか、悲しいことなのか、微妙なラインだな。
「信種、お前には妻がいたな?」
「はい、子も二人おります」
「そうか、妻とは仲睦まじいのか?」
「某には過ぎた女房でございます」
「ほう、お前にそこまで言わせる女房殿か。……妻を娶るのは悪くないのか?」
「どうでしょうか? 若の場合は、摂関家の姫がお二人もですから……」
「嫌なことを言うな……」
「申しわけございません」
俺と信種は顔を見あい、苦笑いをした。