001 逆行転生
この世界では摩訶不思議なことが時に起きる。
何が摩訶不思議かというと、令和日本でただの公務員だった俺が、明応の世に生まれ変わったことだ。
何をバカなことを言っているのかと思うだろうが、これがまた冗談のような本当の話なのだ。
逆行転生後の話はこの後にするとして、今は簡単に転生前の俺のことをおさらいしようと思う。
まず、俺は山梨県甲州市に生まれて高校卒業までは山梨県で育った。大学は東京都の有名私立大学で四年間過ごして、大学卒業後は家が地元の名士だということもあるが、有名私立大学の名前もあって山梨県庁に就職できて死ぬまで働いていた。
俺の家は武田信玄の子孫を名乗っていて、地元ではそれなりに知られた家だった。そんな俺は三〇歳の時に父が他界したことで家を相続したが、俺自身も三九歳で交通事故で他界してしまった。
そして、今、俺は明応の世に生まれ変わったのだ。
明応七年(西暦一四九八年)、この年の正月に生まれたのが、俺だ。今の俺の名前は五郎。明応から文亀を経て、今は永正元年なので数え年で七歳になる。令和の世なら六歳の子供だ。
令和であれば、こんな子供が世の中の心配をする必要はないが、この時代はそう簡単な時代ではない。
そして、今の俺は非常にマズイ状態にある。実を言うと、今の俺の父親は祖父と喧嘩状態にある。この時代の喧嘩というのは簡単にいうと戦争なのだ。
ただし、名目上今は休戦状態だ。それは明応七年八月に発生した明応地震の被害があったからで、地震がなければ今でも骨肉の戦いを繰り広げていたかもしれない。
この喧嘩の発端は祖父信昌が嫡男であり俺の父親の信縄に家督を譲った後に、何を思ったか信縄の弟である信恵に家督を譲ると言い出したことだ。
明応元年に父信縄は正式に家督を相続しているので、当然のことながら祖父信昌の言葉を聞くわけがない。そうなれば戦争ってわけで、祖父・叔父対父親の構図で戦っていたわけだ。
「はぁ……。生まれついた家が悪かった……わけでもないか」
俺が生まれたのは甲斐国の守護大名である武田宗家だ。つまり、俺は図らずもご先祖様の家に生まれ落ちたのである。
武田信縄の子で嫡男を示す五郎、そして明応の生まれ。ここから考えつくのは、武田信玄……ではなく、武田信虎である。
武田信虎は武田信玄の父親であり、若き日の信玄に追放された男である。追放の原因は家臣を何人も手討ちにしている暴君だからだと思うが、本当のところは信玄に聞いてみないと分からない。
「まさか晴信(若き日の信玄の名前)ではなく、その父親のほうかよ……」
たしかに、武田信玄の子孫ってことは、武田信虎の子孫でもあるわけだが、「そっちかーーーっ」と叫んだのは記憶に新しい。
希望としては異世界転生で魔法とか錬金術とか俺TUEEEしてみたかったけど、ないものねだりだ。
さて、このまま歳月が過ぎると、三年後の永正四年二月に父親の信縄が他界するはずなので、俺は甲斐武田宗家の家督を継ぐことになる。そうなると、叔父信恵と骨肉の争いが再び起きることになるのだ。
俺が家督を継ぐまで、あと三年しかない。叔父との戦争が回避できるのが一番いいことだが、おそらく叔父信恵と戦わなければならないだろう。
俺はこの若さで死にたくもなければ、隠棲する気もないので叔父信恵に武田宗家を名乗らせる気はない。
「最悪を考えて動かなければならないか……」
戦争回避ができなかった場合(高い確率で回避できないと思う)、叔父信恵と戦い、そして勝つ。そのためにも今のうちから準備しておこうと思う。
戦いになった時に一番必要なのは兵士だ。そして、兵士を養うには銭と米が必要になる。
前世の記憶を元に銭を稼ぐのはいいとして、問題は米だ。この甲斐国は令和では山梨県だが、米を作るにはあまり適していない土地柄で飢餓がよく起きる国でもある。信玄も飢餓には頭を悩まされていて、そのために信濃に進出した経緯がある。
最悪は銭で米を買うことも考えなければならないが、それだけの銭を用意するのが大変だ。
銭の話だが、現代知識を活用して稼ぐとして、なにをどうするかだ。日本酒や焼酎を造るのもいいが、米や麦を酒にするなら食べるほうに回せと言われるだろうな。
石鹸はこの時代の文化レベルで石鹸の効果を説明するのはかなり難しい気がする。が、自分のために作るつもりでいる。衛生環境はバカにしてはいけないのだ。
武器や防具は軍事物資なので売りたくない。
だけど、火薬の製造はしなければいけない。これは売り物ではなく、武器として戦争で圧倒的な勝利を得るための切り札だ。
そのためには硝石の生産だが、まぁ、当分は厩や厠の下の土を集めて硝石を抽出するとしよう。
さて、ここは甲斐国、甲斐国と言えば信玄、信玄と言えば信玄堤……ではなく、甲州金だ!
この甲斐国にはいくつかの金の鉱脈がある。その鉱脈のある土地を俺の直轄にして、金を掘る。
もちろん、金の精錬についてもできるだけ最新の技術で行うつもりだが、これは俺が当主になってから開発することになるだろう。
他には米の生産量を増やすこともしなければならないから移植栽培に苗の移植時の間隔、そして肥料の開発をしよう。
娯楽や生活物資でいいものはないだろうか?
……そうか!
陶器を作って売ろう。甲斐国ではあまり有名な窯はないけど、窯がないわけではない。土本来の温かみがあったり、荒々しさのある陶器がある。
やることが多いが、やらないと晴信(信玄)に追放されてしまって、ハードモードな人生を送ることになりそうで怖い。
武田信虎は暴君として有名だけど、内戦状態だった甲斐国を再統一した傑物でもある。俺はその傑物だけを残し、暴君の部分を削除してこの甲斐国を、戦国の世を生きていこうと思う。
そうだな、どうせなら天下を取るのもいいかもしれない。せっかくの逆行転生なんだから、俺の天下を望んだっていいと思うんだ。
眼下に広がる甲府盆地を眺めれば、美しく長閑な風景が広がっている。
この甲府盆地には俺に敵対することになる国人や一族がいる。俺はそういった敵を潰し、あるいは懐柔してこの甲斐を統一していかなければならない。
信虎にできたことだが、俺にできるのか?
いや、できるできないではなく、やるやらないなんだ。だからやろうと思う。やってダメなら二回目の人生がそこで終わるだけだ。もしかしたら三回目があるかもしれないし、ないかもしれない。やるだけやってやるさ。
「父上、某に領地をくだされ」
「なんじゃと? 気でも触れたか、五郎」
居館に戻り、さっそく父である武田信縄に領地がほしいと申し出たら、信縄おやじ殿はギロリと俺を睨んだ。
「某は武田宗家の嫡男でございます。武家の名門武田宗家を継ぐ某ですから、某の兵を育てとうございます」
「何、五郎の兵だと……?」
信縄おやじ殿は自分が父親と仲が悪いせいか、俺を可愛がってくれている。だけど、そんな親バカ信縄おやじ殿に、ただ領地や兵士をくれと言ってもくれるわけがない。
だったら、武田宗家の嫡男として自立心のあるところを見せて領地をもらおうと思ったわけだ。これで俺の思惑に乗ってくれたらいいのだが……。
「よく言ったぞ五郎! うむ、お前に領地をやろう!」
上手くいった!? まさかここまで簡単に乗ってくるとは思ってもいなかったので、とても嬉しいことだ。そして、信縄おやじ殿は本当の親バカのようだ!
「そうだな……。五郎には……」
ドキドキワクワクと、どんな領地をくれるのか期待した目で信縄おやじ殿を見つめる。
「五郎には府中を与えようぞ」
府中……。あぁ、躑躅ヶ崎館があった辺りか。あったという言い方はおかしいな、この時代ではまだ躑躅ヶ崎館はないのだから。
その府中の北には、たしか要害山があったよな? それと積翠寺温泉もあの辺りだったはずだ。
今の甲斐武田家は石和館と言われる館を居館にしている。この石和館のそばにも温泉はあるはずだけど、この時代は毎日風呂に入る習慣がないから俺には厳しいのだ。
だからせっかく自分の領地がもらえるのだから、屋敷には風呂(できれば温泉)を造りたい。
「ありがとうございます。父上」
「うむ。そうじゃ、これを機に名を改めよ。そうじゃな……信直、うむ信直と名乗るがよいぞ」
「はい、五郎はこれより信直と名乗ります!」
「うむ、武田五郎信直! よい名じゃ! はーっははは!」
信縄おやじ殿は親バカ全開で笑い声をあげて、本当に嬉しそうだ。
▽▽▽
「信泰、そちの働きに期待するぞ」
「は、若の御為、身命を賭して働きまする」
この男は板垣信泰という名前で、武田家の家臣であるとともに甲斐源氏武田家の支流の板垣家の者だ。
今は兄の板垣備州が板垣家の当主をしているが、板垣で有名なのは板垣信方だと思う。あの武田信玄の傅役だった人物と言われている信方は、信玄が信虎を追い出すと家臣筆頭のポジションについたことで知られているが、信方の父親が今俺の目の前で傅いている信泰だ。
信泰はこの時代では大柄で、多分五尺八寸(一七五センチ)くらいあって、顔もかなり怖い。世紀末にいそうな感じの顔だ。
俺の父である信縄は五尺二寸(一五七センチ)ほどで、叔父信恵は五尺三寸(一六〇センチ)くらいだから、俺もそれほど背の高さは期待できないかもしれない。
よし、肉を食うぞ!