6話
少女がゆっくりと店の裏側を覗き込むと、そこは表とは全くもって異なる光景が視界一杯に広がった。表からでは闇が覆い尽くし、全くその形相は不明であったが、今現在ならばはっきりと分かる。裏方は物置のような造りとなっており、目の前には梱包された白い粉が山積みに。更に右奥を除くと、この町には恐ろしい程に相応しくない、羽化したての蝶のような、それはとてもとても美しい一着のドレスが先程とは違う、小綺麗で透き通った透明なガラスのショーケースに飾り掛けてあった。この店が仕立て屋の皮を被った別のなにかであることは少女でさえ容易に理解することが出来た。山積みにされたクスリに過保護なまでに丁重な保存が施されたドレス。この場所は何らかの組織が表では扱えないような物を保管するための、そして流通させるための一時的な隠れ蓑として機能していたのだろう。エリザベータは断片的ではあるが、その事実を見抜いた。拳銃の安全装置がかかっていないことを確認し、シリンダーから先程発砲した薬莢と新しい弾薬を交換すると、ショーケースに向かって一歩づつ、確実に歩み進んだ。
ケースに近づいた少女はそれに手を掛け、かつて青年が少女に発した言葉を思い出し
た。
「こんな場所じゃあまずお目にかかれねえ上物だ。こいつを着た俺をあいつが見たらなんって言ってただろうな」
少しばかり青年と過ごした時間の欠片を思い出しながら、ガラスの向こうに神々しく飾り立っているドレスを眺める。ガラスに多少反射した見惚れ顔の自分を見て、自らに対して少しの嫌悪感を抱いていると、ちらりとガラス越しに反射した少女の背後にある脅威に気がついた。それは頭全体を何かで覆い隠しており、刃物のようなものを握りしめた右手が大きく振り上げられていた。
刻は一瞬、間一髪。刃物が振り下ろされたと同時に少女は体を捻り反らし、銃弾を一撃、放った。少女の背中を一線、ミシッ、という鋭い痛覚が稲妻のごとく走り抜けた。
「あっぶねえなクソ野郎!背中攣っちまったじゃねえかボケ!……ってえな」
身体を反らした角度から放たれた銃弾は少女を殺そうとしたそれの大きく振り上げた右肩に着弾した。目の部分をくり抜いた頭陀袋のようなものを被った人型のそれは、流血した右腕を力なくだらりと垂らし、左手で痙攣する右肩を押さえながら、少女を睨み付けている。
「小娘……見やがったな……」
「ああ、この店が仕立て屋じゃなく、てめえのブツみてえにちっちぇえ皮被ったナニかだったっつー事実をな」
唸るような声で絞り出された声は、表で聞いた店主のそれであった。痛みが広がってきたのか、震える右腕と同じ様に膝も笑い出し、寒さに凍えているようにも見えた。店主にもう一撃を振るう力は残っておらず、手に持っていた刃物をごとりと落とした。
「ずっと立ってて辛くねえか?ほれ、寝かせてやるよ」
エリザベータは店主の生まれたての子鹿のような膝を蹴りつけ、少女を殺そうとした者は勢いよく床に倒れ込んだ。少女は殺人未遂者の手から落ちたそれを拾い上げ、ニタリと笑った。
「こりゃまたご立派なモノを。タクティカルトマホークってやつか?だめじゃねえか、こんな危ねえもん持ってちゃ、なあ?」
横たわる店主の右肩を踏みつけ、悲痛な声を聞いた後、少女は再びドレスの元へと駆け寄った。
「ささ、この可愛子ちゃんを頂いて、御暇するとしようか。ありがとな、糞溜め。タダでくれるたあ太っ腹だぜ」
「ふ、ふざけるな……!それは、マフィアの令嬢に引き渡す、貴重な、もんなんだ……」
「ほう、ゴミの阿婆擦れにくれてやる服か。なら益々俺にピッタリじゃあねえか」
斧でガラスを叩き割り、ハンガーからドレスを引き剥がし、降り掛かったガラスをばさばさと振り落とす。ドレスの下には編み上げブーツが隠されていた。ドレスだけかと思っていたところに思わぬ収穫が重なり、少し機嫌を良くする少女。ショーケースの場所から更に奥、暗く深い闇に囚われた空間から見つけたひび割れた姿鏡を引っ張り出し、美しき毒蛾の脱皮が始まろうとしていた。
「おいディックフェイス。うら若き乙女が今からお着替えって時に何息してやがんだ。一生そこで床にこびりついたクソでも舐めてろドサンピンが」
着替えようと思っていた矢先、店主にまだ息があることを思い出す。ついでに物は試しと、先程奪った斧の切れ味を確かめるべく、手に持った斧をゆらゆらと上下に弄んだ後、勢いよく哀れな殺人犯の頭に叩きつける。刃は頭部に深く食い込み、少女に敗北を喫した愚者は遂にその身体機能を停止した。死体を踏みつけて頭蓋骨に引っかかった斧を引き抜くと、どばっと鮮血が吹き出し、汚れた床板を真紅に彩った。刃に付着した血を振り落とすと、また一段と鮮やかに模様を咲かす。
「さ、念願のお着替えタイムだ」
今度こそ毒蛾の幼虫は美しい成虫へと姿を変える。薄汚れたパジャマとズックを脱ぎ捨て、菫色のロリータドレスと、黒褐色のブーツで身なりを整える。
「ふふん、エイヴェルのやつ、言うもんじゃねえか。今の俺、最高にイカしてるぜ」
鏡に映った見違える自分の姿に黄金の復讐鬼はご満悦。
右手には拳銃、左手には斧。毒の鱗粉を身に纏い、美しき蛾は今、その大きな翅を広げる。
「よおし、お待ちかねのお礼参りと洒落込もうじゃあねえか――」