1話
少しづつに区切り、読みやすくしてみました。
この腐った街、中でもとりわけ最悪な貧民街でエリザベータ・ラウランは育った。アルコールに溺れた父と薬物に染まった母の間に生まれた彼女は両親の愛情と言うものを知らない。所謂ネグレクトを受けて育ってきた彼女は、娘という存在それ以前に使い走り、小間使い、便利屋という立ち位置で扱われてきた。一般的な観点からであれば子は他者に助けを求めないのか、と疑問を持つことであろう。しかし、このような状況でも虐待を受けている子は親を庇うのである。『迷惑をかけたくないから。嫌われたくないから』という心理が働くのである。中には自分を責めてしまう子供さえ居るという。
正に幼少期の彼女がそれであった。母に罵詈雑言を浴びせられようとも、父に暴力を振るわれようとも、それは自分の至らなさが原因であり、役に立たない自分が両親をこの様にさせているのだと、本当に信じていた。だから彼女は少しでも両親を怒らせないよう、満足させられるよう、酒を盗み、街を隠れ蓑にしているギャング共から薬物を買い、両親に与えていた。それで怒られないのなら、暴力を振るわれないのなら、それが正解なのだと。信じていた。
これだけ尽くしておきながら、両親の娘に対する扱いは依然としてほぼ変わらず、食事は満足に与えず、夜になればゴミと寝たくないからと家から追い出した。エリザべータは仕方なく雨風の凌げる路地裏で虫を食べ、鼠を齧り、泥水を啜って命を繋いだ。これがラウラン家の(・)一般的な生活サイクルであった。
そんな悪夢のような年が十回ほども続いたある日、エリザベータの人生に転機が訪れる。それはいつものように酒を盗み出そうとしていた時の事であった。
「おい、何してんだ。そこのガキ」
急に声をかけられ、ビクつく酒泥棒の後ろには自分よりも一際背の高い、腕を組んだ青年が立っていた。
「ガキが酒飲んで良いわけねえだろ。しかも盗んでまで。ちょっと来い」
強引に腕を掴まれ、どこかへ連れて行かれる。盗みを見られたということよりも、早く酒を持っていかないと父に怒られる。という恐怖感が未だ少女には覆いかぶさっていた。
空き地へ連れてこられたエリザベータ。人はだれも居ない。青いビニールシートが被された木材や石材が散見される程度で、稀に厳つい男が前を通る程度だ。だが男たちは二人のことなど気にも止めない。青年はシートが被された木材に少女を座らせると、前に立ち。説教を始めた。
「あのな、ガキが酒のんじゃダメなの。分かる?見た感じボロッボロのズックに泥だらけのパジャマ。その青い瞳だって濁ってるし、生白い肌や長い金髪も砂や埃でボッサボサ。いくらここらがスラムだからって、流石にひどすぎ。……なんかワケあんだろ?言ってみな」
随分と自分に詮索してくる人だ、面倒くさい。帰りたい。という感情が先行していたが、自分よりもうんと大きい男に前に立たれては逃げることもままならないので、仕方なく今までの自分の生活を話した。
「は?はあ!?完全に虐待じゃねえかそんなもん!逃げろよ!助け求めろよ!」
「違うの!これはわたしが良くなくて、悪い子だから、お父さんとお母さんが怒るだけなの」
「それただの虐待されてるガキの心理だから。お前はそいつらに便利なロボットとしか思われてねえよ」
青年の正論から必死で両親を庇おうとするエリザベータ。埒が明かないと判断した青年はため息を一つつき、少女の頭をぽんと軽く叩いた。
「明日から暇があったら今日みたいな夕方にここに来い。俺が正しい景色を、生き方を教えてやる」
「あの、どうして、そこまでわたしに関わろうとするの?あなたは誰なの?」
「こんな世界でも、正直に生きたい。ただのお前に一目惚れしたマセガキさ」
最期に、エイヴェルだ。と一言だけ名乗り、去っていった。
日が沈み始め、辺りが暗くなりつつある。エリザベータは両親のことを思い出し、大急ぎで家路へ走った。酒やクスリのことなど、とうに忘れていた。
恐る恐る玄関のドアを開ける。居間には大量のゴミ袋をクッション代わりに、酒瓶を口にする父の姿があった。犬が唸るような低い声で、父が娘に声を掛ける。
「おいクソガキ、酒はどうした」
「え?あ……忘れて、た」
激昂した父が酒瓶を投げつける。瓶の角が娘の額に直撃し、ゴンっと鈍い音を立てた後、地面に激突しガシャンと割れた。額がじんわりと熱くなっていくのが分かる。出血したようだ。
「忘れただと?そんな言い訳が通用すると思ってんのか!ゴミはゴミらしく言われたことをやってりゃいんだ!もう良い出て行け!酒がまずくなる」
台所から母の奇声が聞こえたが、何を言っているのかよくわからなかった。この日も路地裏で虫を食べ、泥水を啜った。エイヴェルに言われたことが忘れられなくて、眠れなかった。