手のひらにロケットを、ロッカーにはコインを
定期便のエコノミークラス、隣に座った人は幸いな事に小柄な女性だった。それは決して僕の好みがどうという訳ではなく、座席スペースの問題。何せこの間乗った時は大柄な男のせいで料金分の肘掛の恩恵にあずかれなかったのだ、今日は少しだけのせて頬杖がつける。有難い。
小柄な彼女はキョロキョロと辺りを見回し、最近はコーラ一本程度のオプション料金がかかる紙のチケットと座席番号を再確認。僕に小さく会釈して、そのままシートにゆっくり座ったのが少し前。安全のしおりを熱心に熟読してから、一息ついて足元の前の座席に小物が入るぐらいの小さなポーチを入れたのだけれど。
「あ」
思わず僕は声を漏らした。すると彼女はビクッと体を震わせて、恐る恐る僕を見た。このままでは不審者か意地悪な奴と思われるので釈明しないといけないだろう。
「えーっと……飛行機と違って、そこに荷物置いたら駄目なんですよ。そういうのは座席の下のロッカーに入れるんです。自分の席のね」
というわけで説明する。昔無重力時間におばさんの香水がぶちまけられ、あまりの臭さに化学兵器と勘違いした添乗員が船を止めたなんてよくあるジョーク。
「え、あ、ごめんなさい! 私ロケットって初めてなんです!」
彼女は急いでポーチを握りしめ、何度も僕に頭を下げる。日に焼けた褐色の肌に黒色の長い髪を後ろで束ねたポニーテールと今時珍しいイヤリングタイプの自動翻訳機が揺れて思わず僕はその動きを目で追ってしまった。
ちなみにロケットじゃなくてシャトルね、という言葉は飲み込む。機械の違いを女にわからせるのは男に化粧品の違いをわからせるようなものだというのもアレックス談。もし説明するならそいつは1秒でも早く離れ離れになりたい女に言うんだな、との有難いお言葉を思い出し、少なくとも半日は隣に座る彼女に嫌われたく無かったのだ。
「なるほどぉ、確かに無重力だとどこか行ってしまいますもんね」
「そうそう、ちなみにそこのロッカーなんだけどね」
彼女は自分の座席の下に手を伸ばし、箱のレバーを軽く握る。が、動かないしその理由はだいたいわかる。
「有料なんだ」
エコノミークラスなんて単語はまだ地球の一周に一日近く揺られていた時代の産物だけれど、なるほど確かに良くできている。金のない人のために最低限のサービスをご提供しません。お客様はビジネスと名のつく座席からで、お前らは手足の生えた荷物みたいなもの。それでもあろうかとかバックパック以外の荷物を持ち込みたい場合は余計に金を払ってくれよと。
潔い。最近は緊急避難器具の説明がホログラムじゃなくなるのはファーストクラスからなところ、ビジネスとそうでない境界線も僕はそんなに嫌いじゃなかった。
「えーっと、その……ではお聞きしたいんですけど」
「うん」
「どこにコイン入れるんですか?」
その言葉に僕は思わず椅子からずり落ちそうになる。そうならなかったのはひとえに四点式ハーネスを先に締めていたおかげであり、彼女がポケットから取り出した年代物のコインを見てもその効力は絶大だった。
「えっと、私の住んでるところだとこういうロッカーはコインを入れるんですけど」
「もしかしてプリカもない?」
「プリ……」
近所のお年寄りですら持っているチャージ式のプリカも持ってないとは、いよいよ彼女は地球の辺境どころかマントルあたりからやって来たらしい。大丈夫かなこの子、火星で現金って使えたかな。
「とりあえずオリンポスに着いたらまずプリカ買った方がいいかな……」
「なるほどぉ、流石火星は違いますね」
いや地球も同じようなものだとはもちろん言わない。余計な事を僕が口から出さないのは人一倍お喋りで失言の多いアレックスの教育の賜物だろう。ゴシップ記者の間にはネタがなくなったら彼と飲みに行けというジョークだってあるぐらいだ。
「とりあえず僕のところ使う? 少し空いてるからそのカバンぐらいは入るんじゃないかな」
「良いんですか?」
「まぁ友達同士ならよくやるし、良いんじゃないかな」
「そうなんですか、友達あまりいないのでよくわからなくて……もう近所はお年寄りばっかり」
はははと彼女がそう笑えば、つられて僕も笑い返す。それからポーチを受け取って丁寧に小さな箱に入れた。せいぜい僕が入れているのは菓子や飲み物の類だったのでまだまだ詰められる余裕がある。
「他に身につけてる物とか……翻訳機は大丈夫だとして、アクセサリーとかないかな? あったらついでに入れておいた方がいいらしいよ。指輪とかむくんで痛くなるらしいし、ネックレスも無重力で顔に当たったり」
「じゃあ……これもですね」
そう言って彼女は首の後ろに手を伸ばし、パチンと金属の弾ける音を響かせて一つのアクセサリーをその小さな手のひらにのせた。
「これまた珍しい物持ってるね」
ロケット。シンプルな銀色のそれは少し擦れて傷ついているあたり彼女の年齢以上に年季を感じさせる。僕が反応したことがうれしかったのか、彼女は小さなボタンを押して小さな蓋が開かれる。
「お守りなんです。家族の写真が入っていて……ほら見てください。これがおじいちゃん、お父さんお母さんに兄と妹に」
親指の爪ほどしかない紙の写真には無数の人が映っていた。どれが誰だかわからないが、少なくとも大家族だというのはわかる。
「すごいね、うちは母親一人だからなぁ」
「あ、その……ごめんなさい」
「謝るような事はないよ。ちょっと勘違いしてるかも」
一瞬彼女は言葉を詰まらせるが、僕は苦笑いを返す。彼女の思っているような後ろ暗い事情はなく、初めから僕の家族は母親一人だ。
「母が子供が欲しくなった時に精子バンクを利用してね。父親はいるけど父親って言った事はないかな……」
僕と精子提供者のアレックスとの関係は、友人や年の離れた兄のようなものが近いだろう。といっても顔を合わせる事は滅多に無く、基本は月に一、二回ある程度のビデオ通話ぐらい。
「ちょうど大学の夏休みで暇だったから、会いに行くつもりなんだ」
もっとも今日火星行きのシャトルの座席に腰をかけているのは、彼に招待されたからだ。
「へー、なんだか宇宙規模の家族ですねぇ」
そう言われても実感がない。別にアレックスも普段から火星に住んでいるわけじゃなく、あくまで今回は仕事で言っているの話。
「そういう君は何で火星まで」
「はい、一世一代のわがままとして……ロックバンドのライブに行くんです! アストロノーツってバンド知ってますか!?」
世間話を振ってみれば、返ってきたのはアレックスの仕事の件についてだった。もちろん知っているが言わないでおこう。
「ってごめんなさい、ロケットしまった方が良いんでしたよね」
大好きなロックバンドの話になって少し興奮した彼女が、照れ笑いを浮かべて僕にロケットを手渡してきた。それをゆっくりとロッカーにしまえば、彼女は小さく首を傾げる。
「そういえばなんでこれロケットって言うんでしょうね。今乗ってる物と同じ名前で……飛んで行くような感じもしないし」
彼女の言葉に一瞬戸惑う。RocketとLocketの違いなんて誰でもわかるような、と思ったがその古い自動翻訳機が目について納得する。彼女の母国語ではこの二つのニュアンスが微妙に伝わらないのだろう。
「ロックされてるからだよ」
「ギター弾くんですか?」
そっちもうまく伝わらないみたい。
「そっちじゃなくて鍵の方のロック。コインロッカーってさっき君が言ってた方」
「ああ、なるほど!」
ぽんと小さく手を叩く彼女。きっと長年の疑問が解消されたからだろう。
「確かにこんな小さいロケットじゃどこにも行けなさそうですね」
「わからないよ? もしかしたらロケットに収まるサイズのロケットが出来るかも」
先の事はわからない。例えばこうやって宇宙船で火星に旅行だなんて少し前の夢物語だ。だから彼女の気づかなかった言葉の違いも、もしかしたら無くなるかもしれない。
「そうですかね?」
「まぁここのロッカーが有料なのは多分変わらないけれどね」
ついでにエコノミークラスの座席が広くならないことだけは絶対にないだろうと断言できる。
「じゃあコイン、そこのロッカーのお礼に受け取ってください」
彼女はポケットから一枚のコインを取り出し、僕に手渡してきてくれた。100と書かれたその銀色のコインは
「いいの、貴重な物じゃない?」
「まさか、お風呂のロッカーに放り込む奴ですよ?」
「まあ確かに」
これがどれだけ金銭的価値があるのか僕にはよくわからないけど、少なくともこういう珍しいものを喜びそうな男を僕は一人知っている。
「ロッカーへの手土産に良さそうだね」
彼に会ったらこの少女の話をしよう。きっとコインを入れられたロッカーは、料金以上のロックを響かせてくれるだろうから。




