8.勝負と参りましょうか
セレナの誕生会の翌々日にはレオガルドからの手紙が届いた。内容は『さっさと答えを教えろ』の一点張り。
手紙を寄越してくる速さに少々面食らったものの、予想はしていたので待機を促す文面を綴って返信しておいた、のだが……。
「シュゼット様、レオガルド様からお手紙が届いております」
「…………ありがとう」
「また?」と言いかけそうになった言葉を飲み込み、ミーシェから差し出された手紙を受け取る。
表面的に目を通すが、文章は頭を素通りしていく。どうせ内容は代わり映えしないのだ。途中でそれすら面倒になって便箋をたたみ、封筒に戻す。
「ここのところ毎日のようにレオガルド様から手紙が届きますね」
「そうね」
「よほどシュゼット様に心奪われたのでしょう」
何故だが誇らしげなミーシェには悪いが、そんな甘ったるい部類のものでは一切ない。
2日に一度の頻度で届くレオガルドからの催促状。丁寧な言葉選びと遠回しな嘆願に代筆の方の苦労がありありと浮かぶ。どれだけ堪え性がないんだと呆れるばかりである。
実際のところ返事を引き延ばしにしているのは焦らしたいとか意趣返ししたいとか、そういった意味合いだけではない。その意図が全くないと言ったら嘘になるが、根本的にまだ材料が揃っていないのだ。レオガルドと取引するための準備が。
シュゼットとしても大一番の勝負になる。中途半端な手役は無意味。備えられるだけ備え、万全を期して臨みたい。
「旦那様もシュゼット様に頻繁に手紙が届いていることにそわそわしていらっしゃいましたよ」
「お父様が?」
「そのうち婚約の申し出が来るんじゃないか、と心配そうなご様子でした」
「ふふ、お父様ったら」
お父様ごめんなさい、そうなる方向に娘は頑張っています。
頭の中で優しい父に謝罪し、心配が現実となるようにシュゼットは気合を入れ直すのであった。
シトシトと、雨が降る。髪をタオルで拭いてもらいながら窓硝子を伝う水滴を見つめる少女。遠方の空はすでに明るくなり始め、もうすぐ雨が上がるだろう兆しが見えている。侍女はタオルからブラシに持ち替え、主の柔らかな銀髪を梳く。
『せっかくのピクニックでしたのに残念でしたね』
『雨だもの、仕方ないわ』
出掛け先で見舞われた、突然の通り雨。母や妹と前々から約束していただけあってさぞや残念がっているかと思いきや、少女の声は存外明るい。
不思議そうな侍女に気付いた少女は明るく微笑む。
『むしろ待っていたの』
この日、この瞬間を。
目を開けると部屋は朝の訪れを示すほのかな明るさを帯びていた。ベッドの縁に腰掛け、小さくガッツポーズを作る。自然と持ち上がった口角からは喜びが溢れ出す。
扉を2回ノックする音に拳を解き、返答する。
「おはようございます、シュゼット様」
「おはようミーシェ。いい朝ね」
「なんだか嬉しそうなご様子ですね」
「うん、とびきりいい夢を視たの」
寝間着から洋服に着替え、髪を整える。サイドで編んだ髪を後ろで一つにまとめ、最後はリボンで飾る。毎日行われている習慣とはいえ、手際のよさと出来栄えに「さすがミーシェだわ」と感嘆が漏れた。
一時期、ずいぶん夢に魘されている姿を目の当たりにしてきたこともあり、今こうして主が相好を崩していることにミーシェは胸を撫で下ろす。
「ところでミーシェにお願いがあるのだけど」
「なんなりと」
テーブルに歩み寄り、置いてあったトランプの一番上のカードをめくる。姿を表したのは玉乗りする道化師、ジョーカー。最後の切り札だ。
「レオガルド様に手紙を書くわ。出来る限り急いで届けてほしいの」
確固たる意志を携えてシュゼットは前を見据える。
おそらくチャンスは一度きり。だからこそ絶対に勝ち取ってみせる、最悪な結末を回避する道を。
シュゼットとレオガルドが再会を果たしたのは、それから十日後のこと。ローグウェル家を訪れたシュゼットは中庭のテラス席に通された。
麗らかな午後、2人は約一ヶ月ぶりに対面していた。出された紅茶にシュゼットは優雅に口を付ける。落ち着き払った彼女の物腰とは対照的に、向かいに座るレオガルドは目の前の少女を睨みつけている。腕を組み、カップには見向きもせず、ただ真っ直ぐに。
警戒心が剥き出しなのは予想通り、むしろシュゼットにとっては好都合。何故ならその態度こそがあの言葉を気にしているという証拠に他ならないからだ。
バレないように深呼吸をし、カップをソーサーに戻す。
――いざ、勝負。
「さすがローグウェル家の紅茶ですね、とても美味しいです」
「んなことどうでもいい。よくもこの俺をこんなに待たせやがったな」
「お待たせしてしまって申し訳ありません。ですがまさか、レオガルド様がわたくしなんぞの言葉をそこまで気にされているとは……」
「べ、別に気にしてた訳じゃねぇ! お前がはっきりしないから気持ち悪かっただけだ」
結局は気にしてたって言ってますけど。
ツッコミは心の中に仕舞い、微笑むに留めておく。
「本題に入りましょうか」
「そうだ、あの言葉……いや、回避する方法っつうのは、」
「その前に一つ謝らなくてはいけないことがあります」
「あ?」
「あの日レオガルド様に見せたカード当て。あれ実は、魔法ではないんです」
「はぁあ!?」
思いの外信じていたらしい。身を乗り出した際、腕に当たったカップがぐわんぐわんと揺れる。
「魔法でなく手品というものです。技術を磨けば誰にでも行えます」
「だが俺は確かに自分の手でカードを何度も切ったぞ」
「本日もトランプを持ってきましたので、気になるのなら後で種明かししますよ」
「……お、お前がしたいなら、許可してやる」
てっきり跳ね除けるかと思いきや、案外素直な返答に目を丸くする。よほど驚いたのだろうか。興味があるものは探究する性質なのかもしれない。
「それでは改めまして本題に入りましょう」
「そうだった! さっさと白状し……いや待てよ、魔法が嘘だっつうことはあれも嘘……なのか!?」
「嘘ではありません。あの日申し上げた通り、このままならレオガルド様の未来は破滅を辿ります」
「何を根拠にそんなことが言える!」
「わたしだから言えるんです」
レオガルドが目を見張る。シュゼットの雰囲気の変化を感じ取り、ぞわりと悪寒が背中を走った。
まただ、と彼は思う。全てを見透かすようなあの瞳。あれに見つめられると心の内まで覗かれている気がして、言うべき何かを見失ってしまう。
「わたしはあいにく魔法は持ち合わせていませんが、別の力を持っています」
「別の力?」
「はい」
誰にも言ったことのない、言うつもりもなかった秘密。
シュゼットの今までを支え、未来への警鐘を鳴らす不思議な力。
一つ息を吐いて、レオガルドと目を合わせる。
「予知夢です」
「よ……?」
「現実で起こることが夢に表れる、というものです」
瞬きを繰り返すレオガルドはやがて、鼻で笑った。
「魔法の次は予知夢か。ずいぶん俺もなめられたもんだな」
「信じられないのは無理もないですが、これは本当のことです」
「その証拠は? 本当だっつうんなら見せてみろよ」
こう来ると思った。シュゼットは目を閉じ、頭の中で筆記帳を開く。お望み通り見せてやろうじゃないか、証拠を。
「3週間ほど前、レオガルド様の朝食にキッシュが出ましたね。ポテトとひき肉が入ったものです。どうやら好物のようですね。2回目ほどおかわりされています。
2週間と少し前、剣技の訓練中に靴紐が切れました。左足側の下から4段目。その後わざわざ街まで新しいものを買いに行かれています。ああ、靴以外に訓練用の手袋もいくつか購入されていますね。
そういえばレオガルド様は外国の硬貨を収集されているようですね。街へよく出掛けるのはそのためでしょう?先日は偶然珍しい硬貨を入手されたようで。でもまさか本の中が空洞になった隠し箱を収納に利用されているなんて思いもしませんでしたわ」
どうしてそれを。レオガルドは思わず立ち上がった。前の2つはともかく、硬貨の収集どころか隠し場所について誰にも話したことはない。見られないよう細心の注意を払っていた。それなのに、何故。
まさか本当に力が? そんな考えがよぎり、慌てて頭を振る。馬鹿馬鹿しい、そんなもの有り得る訳がない。
レオガルドは腰を椅子に落ち着かせ、小馬鹿にするような笑みを作る。精一杯の虚勢を張るために。
「……そんなの誰かに調べさせれば誰にでも分かることだ。証拠にはならないな」
「そうですね、レオガルド様ならそうおっしゃると思いました」
言いながらシュゼットは立ち上がる。そして、不審げを己を見上げる少年に自信に満ちた笑みを向けた。
「付いてきてください」
「はぁ? どこに、」
「わたしの力を証明いたしましょう」
返事を待たず、彼女は歩き出す。ぶつくさ言いつつ付いてくる彼の気配を確認しながら。
感触は悪くない。大丈夫、きっと上手くやれる。そう自分に言い聞かせながら、前へ進む。
一歩ずつ、自分が求める未来へ。