5.口汚い少年と遭遇しました
セレンディーナとシュゼットが仲良くなるのはあっという間だった。親交を深めていくうちにセレナと愛称で呼ぶようになり、口調も砕けたものに変わっていく。
刺繍を教えてもらったり、花を愛でながらお茶したり。他愛もない話をして二人で過ごす時間がただ楽しくて、心休まった。
未来を変えることばかりに囚われて、現在を楽しむことをすっかり忘れていたのだなと痛感した。歩みを止めるつもりはないが、ほんの少しだけ休憩しよう。茶会などへの参加も控え、つかの間の穏やかなひと時を噛み締める。
そんなときだった、セレナから一通の招待状を受け取ったのは。
「誕生会?」
ヒルシャー家の印籠が押された封筒。中にはセレナの9歳の誕生会が開かれる旨が記されたカード。
「シュゼット様にはぜひ来ていただきたくて……」
「もちろん参加させてもらうわ。招待してくれてありがとう、セレナ」
「ありがとうございます」
弾けるような笑顔を浮かべるセレナにシュゼットは首を傾げる。
「なんだか嬉しそうね」
「その、誕生会に友達を呼ぶのが初めてで……」
子息令嬢の交流という名目で行われる茶会や誕生会。それには大人達の思案や計略が大いに含まれている。要は己にとって利となる家と繋がりを結ぶ手段の一つであり、招待する相手に子どもの意思などほとんど反映されない。もちろん、参加の有無についても同義だ。
「ふふ、それなら美味しいお菓子と紅茶を期待しているわ」
「はい! とびっきりのものを用意しますね」
パーティーにあまりいい思い出がないだろうセレナが無邪気にはしゃぐ姿にシュゼットも嬉しくなる。
もっと喜んでもらえる方法はないだろうかとクッキーを一口頬張った。
綺麗に並んだ料理やお菓子。美しい雰囲気を彩る生花。美味しく上質な紅茶。楽しげな歓談。和やかな空気に包まれた大広間。
『つまんねぇ。さすがは成り上がり下位貴族のパーティーだな』
やけによく響く声が、先ほどまで賑やかだった空気が一瞬で凍らせる。注目は自然と発言主に集まった。
その視線の先にいたのは――
その日、シュゼットは街へ出るために馬車に乗っていた。理由は一つ、セレナへの贈り物を選ぶためだ。
初めての友達の誕生会。贈り物は自分で選びたいと父親に頼み、馬車を出してもらった。ゆっくりと選べるよう、上位貴族とバレない衣服に身を包んで。
暖かな陽気に当てられ、ついついふあ、と大きなあくびが漏れる。隣に座るミーシェの含んだ目がシュゼットに向けられ、慌てて片手で口を押さえて顔を窓の外に向けた。
昨日視た夢。おそらく、あれは一週間後に行われるセレナの誕生会だ。大広間に見覚えがあったし、いつもは地味とも思える服装のセレナが昨日の夢では珍しく豪華なドレスを着ていた理由もそれなら頷ける。
シュゼットの眉が苦々しく顰められる。途中までは何事もなく進んでいたのに、水を差すあの一言。なんて無礼なヤツだろうか。よりによってセレナの誕生会をぶち壊すなんて。発言した人物の顔を拝む前に夢から覚めてしまったが。
(絶対にあんなこと言わせてたまるものですか!)
必ず阻止してみせる。
暴言阻止に燃えるシュゼットを現実に引き戻すかのように、御者が目的地の到着を告げた。
「可愛いテディベア! セレナが好きそうだわ。でもこの首飾りも素敵。ねぇミーシェ、どう思う?」
「お嬢様が選んだものならセレンディーナ様はどれでもお喜びになると思います」
「それは分かっているけど、でもせっかくだもの。一番喜ぶものを贈りたいの」
貴族御用達の雑貨店。街で一番大きいだけあって、宝飾品から人形、果ては絵本まで幅広く品物が取り揃えられている。
可愛らしい品々を手に取っては戻し、目移りしつつ店内を回る。ミーシェは楽しげなシュゼットを見守りながら2歩後ろを付いていく。
「ミーシェもお店の中、好きに見てきていいわ」
「私にはお嬢様をお守りする責任があります。お側を離れる訳にはいきません」
「大丈夫よ。この店の中なら死角はないし、今はわたしたちの他に数人しかいない。そもそも入口近くに護衛の方もいるもの」
「ですが、」
「それにミーシェにもセレナへの贈り物、内緒にしたいの。だから、ね? お願い」
反論しかけた口を閉じ、ミーシェは渋々了解した。休日もあまり外出しない自分のための気遣いだと分かっていたからだ。
こうして一人になったシュゼットは窓際の商品棚に歩みを進める。ふと目に付いた小さめの小物入れ。蓋を開けてみるとメロディーが流れ出し、オルゴールになっているのだと気付く。
「可愛い……」
臙脂色のベルベット生地に金糸で縁取られた小物入れは派手さはないが、上品さと清楚さを兼ね揃えていて、セレナにぴったりだと思った。掌に収まる大きさも丁度いい。きっと喜んでくれる。これにしようと顔を上げたとき。
突然、背中に衝撃を受けてバランスを崩す。手にしていた小物入れを危うく落としそうになり、慌てて空中でキャッチして床に膝をつく。
どこにも傷が付いていないことを胸を撫で下ろし、そっと後ろを振り返ると。
そこには、赤みの混じった茶髪の少年が立っていた。
とても端整な顔立ちだが、それ以上に印象深いのは緋色の瞳だ。燃えるような夕焼けを思わせる“赤”が鋭い眼光でシュゼットを見据えている。
――どくん。
シュゼットの心臓が脈打つ。
会ったことはない。けれど、知っている。
この感覚は、この、少年は――――
「邪魔だ」
……。
…………。
………………。
……………………え?
何を言われたのか分からず、呆然としているシュゼットに目の前の少年はあろうことか舌打ちをかました。
そうこうしているうちにミーシェが血相を変えて駆け寄ってくる。
「聞こえなかったか? 邪魔だって言ったんだ。下位貴族ごときが俺の行く先をふさぐな」
「な、なんてことを! シュゼット様はっ」
「……ミーシェ、いいの」
少年の身なりは明らかに上位貴族のもの。事を荒立てるのは得策じゃない。ミーシェを制して立ち上がると、シュゼットは一歩下がって謝罪を口にした。
「行く手を遮ってしまい、申し訳ありませんでした」
「はっ、分かればいいんだよ」
興味は失せたとばかりに少年は踵を返し、足早に店を出て行ってしまう。戸の開閉を知らせるベルが乱暴に響き、やがて鳴り止むと店内には恐ろしいほどの静寂が訪れる。
シュゼットが息をつくのとほぼ同時にミーシェは旋毛が見えるくらい頭を下げた。
「大変申し訳ありません! わたしが側を離れたばかりに……!」
「何言ってるの。わたしがミーシェに提案したのよ」
「お怪我はありませんか? どこか痛めたりは」
「大丈夫、どこも怪我していないわ」
シュゼットの返答に安堵の息をつき、キッと扉を睨む。
「それにしてもなんなのですか、あの無礼にも程がある男は!」
「ミーシェ」
「シュゼット様にあのような失礼なこと、許せません! 帰って旦那様にお伝えしないと」
「いいの、ミーシェ。怒ってくれてありがとう」
「ですがあんなっ!」
「いいのよ。お父さまたちに心配をかけて外出厳禁になってしまう方が困るわ」
ね、とシュゼットに宥められ、ミーシェは未だ煮えたぎる思いをなんとか飲み込む。そんな侍女の様子に苦笑しているシュゼットが何も感じていないかと言えば、それはNOと言わざるをえない。
頭にきていた。それはもう物凄く。助け起こすどころか虫けらでも見るような目を寄こしてきた不遜な態度。そもそもあちらからぶつかってきたくせに邪魔とは何様だというのか。上位貴族だかなんだか知らないが、人間としてそれ以前の問題だ。
小物入れを購入したシュゼットは帰りの馬車の中、脳内で吐けるだけの愚痴を吐き出して少しだけ溜飲を下げた。
もう会うこともないのだし、運が悪かったと思って忘れてしまおう。そう自分に言い聞かせるが、なんだか嫌な予感がよぎる。
あの無愛想で気遣いの欠片もない、冷淡な声。昨日視た夢が脳裏に浮かぶ。まさか。まさかとは思うが、セレナの誕生会で暴言を吐くのは……。
「……さすがに考えすぎね」
「なにかおっしゃいましたか?」
「ううん、何でもない」
飛躍しすぎか、とシュゼットは背もたれに身体を預ける。
こんなに広い王都の雑貨店でつい昨日夢に出てきた天敵と偶然遭遇するなんて、小説でもあるまいし。正直二度とお目にかかりたくない。さっさと忘れよう。
そんなことがあった一週間後。待ちに待ったセレナの誕生会でシュゼットは絶句していた。
まさかと一蹴していた暴言少年が目の前にいるから、だけではない。
彼がずっと探していた“茶髪の青年”だったからだ。