31.敵を作る天才ですか、知ってましたとも
さて、まずはアデルバードの思考原理を探るとしよう。
己と異なる言い分を否定し、潰すだけならアデルバードとやっていることは変わらない。
真正面から論破するためにも彼がレオガルドをここまで嫌う理由を、彼に根差す基盤を知っておく必要がある。
「アデルバード様の仰ることも分かりますわ。貴族として庶民の規範となることも義務であり責任ですものね」
「その通りです。無責任なことは許されない」
「レオガルド様と親交がおありなのですか」
シュゼットの言葉に、少年は忌々しげに眼鏡を押し上げた。
「あり得ません。以前仕合で見かけたぐらいです」
「仕合?」
「王城での御前仕合にたまたま彼が出ていたんです」
2年前、父に連れられて登城したときに偶然行われていた剣の御前仕合。将来有望とされる少年達が集められ、剣技を競い合っていた。
王の御前で剣を振る機会など早々ない。上手くいけば王や騎士団の上層部に目が留まり、名を覚えてもらえる絶好の機会に彼らの士気は否応なく高まっていた。
しかしそんな思惑を嘲笑うように、脚光を浴びたのはただ一人。当時まだ十歳のレオガルド・ローグウェルだった。
元々騎士団長の嫡男という肩書きをもつ時点で他とは注目の度合いが異なっていたが、それ以上に周囲を驚愕させたのはその圧倒的なまでの剣技の才だ。相手を完全に支配下に置きながら剣を手足のごとく操る姿は舞っているかのような優雅さすら漂っていて。戦神と謳われるルイズを彷彿とさせる剣さばきは見るものを夢中にさせた。
他ならぬアデルバードも同様だった。同い年の少年が次々と対戦相手を撃破していく様はあまりにも眩しくて、感動すら覚えた。剣という彼にとって未知の領域を初めて間近で目にした興奮も手伝い、仕合後に話しかけてしまった。
長話をする気はなく、ただ優勝を祝福したかっただけだ。しかし呼び止められた少年はアデルバードを一瞥し、不審げに眉をひそめた。
釈明のため名を名乗って父親が城に仕える文官であることを明かすと、レオガルドはルビーの瞳にありありと侮蔑を浮かべ、形の良い唇に嘲笑をたたえた。
『ああ、頭でっかちで数だけ無駄に多い文官の息子か。この俺に何の用だ?』
あまりの物言いに絶句したアデルバードだが、すぐに反論に転じた。
『なんという失礼な物言いだ、今のは侮辱罪に当たるぞ!』
『はっ、そうやってすぐに罪だなんだと言い出す辺りが文官サマのガキって感じだよな』
『父への発言、今すぐ取り消してもらおう! 文官として立派に勤め上げる父を侮辱するなんて、いくらローグウェル家の嫡子だろうが許せない!!』
ローグウェルの名を出したことでレオガルドの眼光は鋭さを増す。
幼いながらも他を飲み込まんとする威圧感にアデルバードは怯みそうになる自身をどうにか奮い立たせる。
『ごちゃごちゃうるせえな。代えが利く分際で』
『な……っ!』
『仮にお前の父親がいなくなったら王家は困るか? 国を回せなくなるのか?』
言葉に詰まってしまったのは断言できなかったからだ。いかに父の優秀さを理解しているアデルバードと言えど、そこまで幼くも馬鹿でもない。王城は文武に優れた人材が一斉に集う場であり、父と同等かそれ以上の頭脳を持つ者はごろごろしている。
それと同時に、目の前の横暴な少年の言いたいことを察して唇を噛む。アデルバードの父は代わり利いてもレオガルドの父であるルイズは代えが利かない。なにせ史上最年少で騎士団団長を拝命した国内外で最強と名高い騎士なのだ。彼に代わる人材など容易く見つかる訳がない。
『理解したか雑魚が。お前と俺じゃ土台が違うんだよ』
『き、君とルイズ卿は違、――!』
瞬く間に突き付けられた剣先に息を飲む。暗闇に浮かび上がるような緋の炎がアデルバードをひたりと見据えていることに気付き、後退りすることもできずにただただ身を強張らせる。
口角を歪に吊り上げたレオガルドは剣を鞘にしまうと振り返ることもなく去っていった。残された少年は震える身体を手で押さえ込みなだら荒い呼吸を繰り返し、歯を食い縛る。瞳に尊敬する父と己をも侮辱した男への憎悪を滾らせながら。
「私だけならまだしも、父まで馬鹿にするなど……! 目上に対する敬意すら払えない不届き者め!」
怒りを露わにするアデルバードにシュゼットは眩暈がしそうだった。今の気持ちを言葉にするなら「あちゃー」以上に適切な単語はないだろう。
何処かでやらかしているだろうとは思っていたが、やっぱりやらかしていた。しかもフォローできない方向で。
アデルバードはやや神経質過ぎるきらいもあるが、真面目で規律正しい少年だ。礼に反し尊敬する父親を蔑ろにしたレオガルドを毛嫌いし、その責任を両親に求めたとしても致し方ないことだろう。
しかしレオガルドもローグウェル家の家訓『力こそ全て』に則っただけの言動であることもシュゼットには理解できていた。
知力、権力、話力――世の中に様々な力が存在する中でレオガルドにとっての“力”とは武力のみ。生まれ落ちたときから武力の最高峰とも言える存在が身近にいて、自身も剣の才能によって我が儘をすべて許容され、称賛を浴びながら生きてきた。
彼を形成する環境のすべてが武力によって肯定された世界であるが故に少年は捻じ曲がり、武力以外の力を認めず、武力を持たない人間を見下す習性を生み出した。
その一方で天性の勘の良さなのか、敵に回してはいけない人間は本能的に嗅ぎ分ける力も備わっている。シュゼットの父親に対して礼儀を欠くことがないように本当の意味で愚かでも馬鹿でもないところがまた厄介と言えるだろう。
(性格はかなり悪いけど悪意があるわけじゃないのよね。世界の中心が自分で回ってる考え無しなだけで)
シュゼットが冷静に分析できるのも彼の人となりを理解しようと刻んできた年数があるからであって、初対面で横暴な態度を取られて彼を好意的に捉えようとする聖人は殆どいないだろう。そもそもレオガルドに非があるのは明らかなのだから。
彼はまだまだ幼く、世界が狭い。自分を正しいと信じて疑わないから体裁を保つ手段も知りえず、本音と建て前を使い分ける理由すら理解しようとしない。それを教えるべき周囲が口を閉ざしてしまったことが根本的な問題なのだ。
かと言って、ロザリナやルイズを責めても現状が変わるわけでもない。とりあえずは婚約者としてレオガルドのフォローを、と口を開きかけたときだった。
「大体彼だって才能に胡坐を掻いているだけじゃないか。あんな傍若無人な人間が努力なんかしている筈がない。たまたま武の名門の血を色濃く受け継いだだけだ。それをあんな偉そうに……!」
ふと過った針の穴のように小さな違和感。
何故だかシュゼットはそれを知っている気がした。
「そもそも私を馬鹿にできるほどあの男は偉いのか!? 何も為していないくせに、自分だけが特別みたいな顔をして腹が立つ! どうせあんな男、自らの力に溺れて破滅するに決まっている!!」
ヒートアップしていくアデルバードにセレナが口を挟もうとするが、溜まりに溜まった憤りは止まることなく溢れていく。
「自分がこの世で一番優れていると信じて疑わないあの歪んだ性格。なんの努力もしていないくせに、思い上がりも甚だしい。私の方があの男の何百倍も努力をしている! ちょっと剣の扱いが上手いくらいで今まで散々ちやほやされてきたんでしょうね。なにせ侯爵様だ、周りが手を抜いて持ち上げられた可能性だってあり得る。もしかしたらあの御前試合だって――」
ガチャン。
突如響き渡った陶器の音にアデルバードの言葉が途切れる。
広がった琥珀色の海に映る令嬢から表情が読めず、顔を上げると彼女は困ったように眉を下げていた。
「まあ、申し訳ありません、わたくしったらなんて粗相を」
「お召し物は汚れていませんか?」
「ええ、大丈夫。ごめんなさいねセレナ」
「すぐに片づけさせます」
セレナはすぐに侍女を呼ぶ。倒れたカップはソーサーごと回収され、テーブルもあっという間に従来の輝きを見せた。
静けさを取り戻した空間に新しい紅茶が3つが用意された。熱くなっていた己を省みて、アデルバードは誤魔化すように咳ばらいを落とす。
セレナはほっとし、新しい話題を提供しようと本棚に目をやった。差し込まれた真新しい背表紙はついこの間新しく刊行されたシリーズものの続き。シュゼットもアデルバードも読んでいることを知っていたから、丁度いいと思ったのだ。
しかしそれより一瞬早く、シュゼットは窓の外へと目配せした。その意図を明確に汲み取ったセレナは上げようとした腰を再びソファに沈ませる。
「今日はとてもいいお天気ですわね。雲一つなく、風も穏やかで」
「そうだ、先日庭の花がとても綺麗に咲いたんです。よければご覧になりませんか」
「嬉しいわ。アデルバード様、参りましょう」
「そうですね、行きましょうか」
庭園には色とりどりの花が鮮やかな色彩を放っていた。木々や植え込みは丁寧に整えられ、中央に配置された噴水が柔らかな水の音を奏でている。
セレナに連れられて辿り着いた一画には小ぶりな白い花が慎ましやかに咲き誇っている。花弁の先が薄黄色になっていて、瑞々しく甘やかな匂いがほのかに香ってくる。
「こちらが特に見頃かと」
「まあ、とても綺麗。アデルバード様もご覧になってください」
「本当ですね。プランリウムとは珍しい」
アデルバードはプランリウムの花にそっと触れる。
つい先ほどまで怒りに燃えていた瞳が凪いだ海のように穏やかだった。
「プランリウムはリンドヴィヘム公国の国花なんです。春から夏にかけて盛りを迎え、気候の変化に弱く虫もつきやすい花ですが、その分花を咲かせた姿は儚げで美しいと近年は貴族にも人気が高まりつつあります。気候的に二カロスで育てるのは難しい花ですが、庭師はいい腕をお持ちだ」
「有難うございます、そう伝えておきますね」
「こっちのナライシュやスーデもリンドヴィヘムのものですね。赤とピンクが流通していますが、珍しい黄色や紫もあるとは実に素晴らしい」
セレナに彼は花が好きなのかと耳打ちすると、「初耳です」と少々驚いたように返される。
リンドヴィヘム公国は小国ながら緑と花の美しさで有名だ。周辺諸国ということもあって二カロス王国とも昔から交流があり、国内ではあまり見かけない花も多数輸入されている。
庶民にも名が知れた花も多いが今アデルバードが名前を挙げた花は比較的最近輸入が始まった種類のため、貴族ご用達でまだ店頭には出回っていない。貴族間では珍しい花を植えることは一種のステータスとされる傾向があるが、一般教養として習う範囲からははみ出ている。
「しかしスーデは心なしか元気がないような……」
「そうなんです。庭師も気にしていました。けれど新しく入荷したばかりの花で詳しい情報もあまりないようで」
「なるほど」
あらゆる角度からスーデを観察し、最後に土を一つまみする。それを指の腹で擦り合わせたアデルバードは眼鏡の縁を軽く押し上げた。
「土の養分が合っていないのかもしれません」
「養分?」
「スーデは花としては珍しくアルカリ性に近い土を好みます。土の成分を調べさせ、酸性が強いようならアルカリ性の養分を与えてみるといいでしょう」
「そうなのですか。ありがとうございます、すぐ庭師に伝えます」
嬉しそうにお礼を述べるセレナを横目にシュゼットはひとつの確信を得ていた。
そして、先ほど覚えた違和感の正体も。
思考原理。根底に根差す心理。彼にとっての“正義”。様々なピースが連なり合って、アデルバードを構築するものが見えてくる。
(なるほどね。そういうことなの)
分かってしまえばそう難しいことではなかった。むしろ単純とも言えるだろう。
なんだって殿方はこう自尊心が高いのか。小さく溜め息をこぼしながらも次なる手のためセレナに合図し、少女は服に花粉がついたという体で着替えのために席を外した。
庭園に残されたアデルバードとシュゼットはもう少し先に進もうと、ゆっくりと歩き出す。
「この赤い花はとても甘い匂いがするわ」
「アレスナと言って、香水の材料にもなる花ですね。最近はハーブティにも使われるようになってきて眼精疲労に効くそうです」
「アデルバード様は博識でいらっしゃるのね」
「いえ、そんなことは」
「こちらは何という花ですか? ぜひご教授くださいませ」
暖かな日差しが降り注ぐ中、少年のはつらつとした声と少女の控えめな笑い声が風に乗って流れていく。
緑と色鮮やかな花の前に佇む男女は遠くから見ればまるで一枚の絵画のような美しさだった。
アデルバードは目の前で無邪気に微笑む少女について考える。
名門侯爵家であるアウディガナ家の長女。理知的で銀髪が美しい少女だという噂を耳にしたことはあったが、まともな神経であの男の婚約者が務まるとは思えなかった。
しかし言葉を交わしてみれば至ってまともで、予想以上に賢い少女だった。礼節を弁えた立ち振る舞いに良識と知識に裏付けられた会話、加えて場の空気を読むのも上手く頭の回転も速い。間違いなく貴族の中でも上位に名を連なる令嬢となるだろう。
だからこそ尚更分からないのだ、どうしてレオガルドの婚約者なんかとして収まっているのか。望めばより条件のいい相手など山ほどいるだろうに。
一番に思い出すのは緋色の、まるで燃え盛る炎のような瞳だ。
絶対的な自信と圧倒的な力を滾らせた瞳孔がギラギラとこちらの急所を見据えていた。冷たく鋭利な感触を思い出し、首に手を当てる。
彼は強者だ。人の上に立つ才能と存在感を生まれながらに持ち合わせた、向こう側の人間。凡人がどんなに努力しても決して辿り着けない境地に容易く踏み入ることができる選ばれた特別な存在。どれだけ血反吐を飲んだところで有象無象の一人でしかない自分とは違う。
けれど力に溺れて他者を貶しめるような男だ、どうせいつか破滅するに決まっている。そんなヤツに言われたことなど気にするだけ時間の無駄。そうやって自身を落ち着かせようとしても突如蘇る記憶は悪夢のように呪詛のようにアデルバードを蝕み続ける。
ギリリと首に爪を立てる。鎮火した筈の怒りがまた再燃し、じりじりとアデルバードの内側を焼いていく。
「シュゼット嬢、やはり彼とは婚約を解消すべきだ。貴女ならもっといい相手がいるはずです」
「……」
「例えば王太子であるヴィンセント様だって――」
「アデルバード様」




