2.ひたすら情報収集に努めます
あの夜の決意から数ヶ月。記したメモを元に、本を調べたり周囲に聞いたりしながらシュゼットは情報を集めた。どれだけ小さなものでも徹底して拾い続けた。
せっかくテラス席にいるというのに、景色に目もくれず筆記帳と睨めっこをしている幼い令嬢にミーシェは小さく溜め息をつく。ここ最近で見慣れた姿だが、放っておくといつまでもあのままなのも折り込み済みなので、休憩を促すべく彼女は進み出た。
かちゃり。目の前に置かれたカップの音にシュゼットが顔を上げると、何か言いたげな侍女と目が合う。これだけ近くにいて気付かないほど考え込んでいたのかと苦笑を漏らしつつも礼を言い、筆記帳を閉じた。
「また考え事ですか?」
「うん、ちょっと……」
「ここのところずっとですね」
「すごく大切なことだから」
「でも睡眠を疎かにするのは駄目ですよ。シュゼット様、ひどいを顔しています」
指摘され、また苦笑いが浮かぶ。シュゼット自身にも自覚があったからだ。誤魔化すようにカップに口を付ける。アールグレイのいい香りと優しい口当たりが重たい頭を少しだけ和らげてくれた。
寝ていないのではない。寝た気がしないのだ、あの悪夢を視た晩は。
内容は様々だった。金髪の青年に未来の自分が何やら言い募っていたり、黒髪の少女を茶髪の青年が壁際に追いつめていたり。とても大きな場所でたくさんの人が食事をしているというなんの変哲もない日常もあれば、未来の自分が黒髪の少女に泥水をかぶせているおぞましい一幕だってあった。
そんな夢を視る度にシュゼットは夜中に飛び起きる。そして夢の内容を筆記帳に書き付けるの繰り返し。3日に一度は訪れる悪夢のおかげで情報収集が捗るというのだから、皮肉にも程があるだろう。
なにより夢に視るということはつまり、自分の最期が変わっていない何よりの証拠。その事実がよりシュゼットを疲弊させた。
「ごめんね、ちゃんと眠るわ」
「旦那様や奥様も心配されていましたよ。元気な顔を見せてさしあげて下さいね」
「うん。ミーシェもありがとう、紅茶もすごく美味しい」
いいえ、とようやく目元を綻ばせたミーシェ。心配させていたんだな、とシュゼットは申し訳なく思う。
4つほどしか違わない彼女とは年が近い分、他のメイドよりも仲が良く、シュゼットにとって姉のような存在でもあった。そんな彼女に嘘をつくのは心苦しかったが、背に腹は変えられない。今はとにかくあの夢の全容を明らかにすることが最優先事項なのだ。
シュゼットだって一時も早く、安心して眠れるようになりたかった。あんなに楽しみだった夜が、今では最も憂鬱な時間だなんて嫌だった。そのためにも今は苦しくても寝不足でも、頑張らなくてはいけない。
気合を入れ直すため、シュゼットはカップの紅茶を一気に飲み干した。
(とりあえず、今分かっていることを整理してみよう)
自室に戻り、びっしりと書き込まれた筆記帳をテーブルに広げる。
1つめ。夢に出てくる場所は王立レイアール学園だということ。
皆が同じ服、つまり制服を着て過ごす場を学校と呼ぶのだと知り、夏休みに丁度帰省していた9つ上の兄にそれとなく学校の話を振ってみたのだ。年の離れた妹を溺愛する兄は、嬉しそうにあらゆる話をしてくれた。それらに夢の景色がちらつく度、シュゼットの動悸が止まらなかった。
決定打は友人が描いてくれたという絵。そこに描かれる制服はまさに夢の中で未来の自分や他の登場人物が着ていたものだった。おまけに背景の中庭は黒髪の少女に嫌がらせしていた場所だったもんだから、目眩すら覚えた。
2つめ。夢の中の自分は18歳だということ。
そもそもレイアール学園は貴族の子息子女が通う高等学校。よってシュゼットだけでなく、他の登場人物達も必然的に年齢は16歳から18歳の間に絞られる。では何故、18歳と断言できるのか。それは兄からの情報だった。
『レイアール学園では学年毎にリボンやネクタイの色が決められているんだ。1年は赤、2年は緑、3年は青、といったようにね』
未来の自分達が身に着けていたのは青色。つまりは3年生ということになる。
夢で視た最期まであと十年……。ぞわりと悪寒が身体を駆け抜ける。両頬を叩き、呑み込まれそうな意識を強引に引き上げて次の情報に目を落とす。
3つめ。未来の自分はお邪魔虫な立場らしいということ。
今までの夢を総括するに、金髪の青年と黒髪の少女が恋仲なのは明らかだった。にも関わらず未来の自分は金髪の青年の気を引こうと躍起になり、黒髪の少女を親の仇のごとく虐げる。挙げ句、諌めようとする周囲の人を突っぱねて傲慢に当たり散らす。8歳のシュゼットから見ても、嫌われ疎まれ孤立するのは当たり前のように思えた。
「どうしてこんな馬鹿みたいなこと……」
思わず漏れた呟き。他人事みたいな響きだが、その“馬鹿みたいなこと”が自身を破滅へと追いやっていくのだから、シュゼットにとっては笑い話にもならない。
4つめ。お邪魔虫はもう一人いるということ。
赤みのかかった茶髪の青年。彼はどうやら黒髪の少女に恋しているらしく、夢の中でも迫っている場面をよく視た。が、強引で思いやりの欠片もない態度に黒髪の少女は示すのは拒絶ばかり。それが余計に彼の自尊心を煽ったのか、少女に対する行動はもはや執着だった。それがエスカレートしていき、最後には身を滅ぼす。その姿は未来のシュゼットと重なる部分があった。
しかしまあ、やってきたことを考えれば同情の余地はないけれど。
ぱたん、と筆記帳を閉じる。今はっきりと分かっているのはこの程度。後は不明瞭過ぎて形が掴めないものや、理解が及ばないものばかり。
「……困ったわ…………」
溜め息と共に机に突っ伏す。もっと情報が欲しい。特に他の登場人物達の情報が。せめて夢の中の会話が聞こえれば名前くらいは分かっただろうに、何故だかあの未来に限ってはほとんどが無声。分かっているのは十年後の顔だけ。名前も家柄も分からないのでは取っ掛かりさえ掴めない。たった8歳の子どもには出来ないことの方が圧倒的に多いのだ。
両親に相談……即座に却下する。そんなこと出来るわけが無い。頭の心配をされ、医者にかかるのがオチだ。もう一度溜め息を吐く。早く早くと気持ちばかりが焦って、前へ進めないことがもどかしい。
(誰か一人でもいい。どうか夢に出てきて……)
寝不足も相まって、うつらうつらしていた瞼が下がりきるのに時間はかからなかった。
そうしてシュゼットは夢を視る。神に願いが届いたのか、金髪の青年の夢だった。
美しい薔薇が咲き誇る、昼下がりの庭園。そこに2人は居た。
薔薇を愛でていた少年がゆっくりと振り返る。陽を反射させたブロンドがきらきらと輝き、端正な容姿をより神々しく彩った。見惚れている少女と目が合い、少年は柔らかく微笑む。
『初めまして、僕はヴィンセント・ニカロス。君の名前は?』
『も、申し遅れました、シュゼット・アウディガナと申します』
『シュゼットか、いい名前だね』
『恐れ多いお言葉、光栄の極みに存じます』
深々と頭を下げた少女に、少年は少しばかり眉を下げる。
『そんなに畏まらないで。シュゼットは今日から僕の、
婚約者になるんだよ』
「――――っ!」
気付けば椅子から転げ落ちていた。顔だけを動かして周囲を確認し、ここが自室であることに安堵する。
心臓が早鐘を打っている。息が荒く、ぐっしょりと汗を掻いていて気持ち悪い。
けれど、そんなことよりも。
少年が未来の青年だということは、瞬時に理解した。せざるを得なかった。繰り返し視てきた面影がそのままだったから。しかし問題はそこではない。
「うそ、でしょう……」
シュゼットの未来の婚約者。
ヴィンセント・ニカロス。少年は確かにそう名乗った。
とんでもない発覚にシュゼットは顔を両手で覆う。
よりにもよって、王太子が相手だなんて。