演技者
走りながら突き進む心と共に焦りも浮き彫りになる。
加速する心には冷静さなどと言うカケラなど見当たらない。
追い詰められる理委の姿は、私にしか見えない未来の予測図。
風樂は全てのカギを握る人物と言っても過言ではないだろう。
カランコロンとドアの音が鳴り響く。鈴の音が風樂が来たと言う合図でもある。
彼女はいつも大きめの鈴を鞄につけている。
お守りの一環としてね。
昔、私が彼女にプレゼントした美しい鈴を、まだ大事にしている事には驚きを隠せないけれど。
それも含め彼女は魅力的だと感じる自分がいる。
私には性別がない。
女でも男でも、もちろんその中間でもない特殊な人間と言う存在。
周りの人達が、その現実に気付く事はない。
私が気づかれないようにしているから、余計に無理だと思うよ?
性別を例えるなら、それは君達の頭の中で、妄想と言う形で、私を創ってもらいたいと願っている。
そういう提供をする事により、私は碧生として生きていく事が出来るのだから…。
幻想は果てない夢の続き。
君達の願いと共に、私は変化していく。
それが『碧生』なのだから…。
妄想の中で揺られる意識に逆らいながら、現実世界へと扉を叩き、揺り起こそうとするのは風樂だ。
彼女は、現実から逸脱した私の様子を不信がりながらも近づいてくる。
表情を見れば一発だから、唯一気づかないのは理委だけだろう。
私の正面には理委が座っている。そして理委のすぐ後ろには風樂が気配を消して、立っている。
どのタイミングで登場するべきなのかを考えているのか、私の瞳を見つめながら、目で合図を送る。
私は、理委に気付かれないように、少し目つきを変化させ、風樂を誘導する。
言葉の誘導ではなく、行動の誘導。
だから人間の瞳には力がある。行動を起こさせる程の力を持っているから。
それが『眼力』だろうと思うんだよ。
私達を包む空間が少し黒く染まりながらも、それ以上の暗闇を演出する事はない。
中途半端な空気感。それは私の為の空気の色。
ここはステージであり、私達は役者なのだから、これが出来て当然というものだろう。
『…碧生さん、どうしたんですか?』
そんな空気の変化に感受性の高い理委は身体を伝って感じ取る。
これは快楽の序章でもあり、理委が壊れ始める、破壊の音でもある。
その恐怖と現実に無意識に気づく理委を壊すのは実に勿体ない。
しかし、その感受性が時として私達の立場を崩していくのは確実。
そんな未来が簡単に見えてしまう自分は、もう狂ったサイコパスなのかもしれない。
そう思うのは私だけなのだろうか?
疑問は疑問のままで、真実を語ろうとしない。
永遠の問題なのかもしれない。
その空間を作る事により、理委の後ろに佇む、風樂の存在が際立っていく。
シナリオの形であり、個々の立場を確立させる為に、重要な土台作りでもある。
それもビジネスの土台と言ってもいいと考えている。
さて、演劇の始まりだ。
私…碧生と逃げ続ける理委、そして全てを立て直す風樂。
三人が三人とも違う演技者になる事で、物語は深みを増し、魅力的で幻想的な空間に仕上げる事が出来る。
無知な理委だけが利用されている現実が浮き彫りになるが、私達には関係のない事。
頭脳がグルグルと凄い回転で加速し、頭の中に映像を文が落ちてくる。
そして形のないシナリオが私の頭の中で形を作り出し、現実世界へと這い出てくる。
「あれ?碧生さん…それに理委さんも、久しぶりね」
そうやって理委の後ろから元気な、明るい声で呼びかけるのは風樂。
私が作り上げた重たい空間を潰す事により、風樂の存在が陽の方向へと転がり、理委はそちらに逃げ込む。
それが全ての策略とも知らずにね。
私は満面の笑みで答えるのだ。
「風樂…久しぶりだね、今君に連絡をしようとしていた所だったんですよ?」
口から走る言葉は、裏の自分の声なのかもしれない。
これで、下準備が出来た。
もう理委は、私達から逃げる事など出来ないのだから…