呼び方
いつもの日常から少しずつ変わっていく、それはまるで人生のように、儚くて美味で美しい一コマのように。私は弟と名乗るヒスという男と同棲する事になった。九条家は私の知らない所で色々な隠し種を仕込んでいるようだ。
姿見に映る自分の表情がなんだか汚れているような気がして吐き気がこみあげてくる。父の言葉だけで信用できる訳がなかった。きっと父にはそんな私の不安も読み取っていたんだろう。秘書の村山がこの家に来ると、書類を取り出し、証拠になる資料を提出してきた。まるで他人事のように遠目で私と村山の様子をうかがうヒスをチラリと見ると、怪しい笑みで微笑んできた。
(あいつ、まるで他人事だな)
そんな呆れにもにた感情は窓から吹き荒れる風とともに飛んでいく。ヒスの瞳は汚い大人を見るような目で観察しているように感じた。まるで自分が学生時代に戻ったような感覚に陥ると、ふうとため息を吐き、さっさと話を終わらして村山を家から追い出す結果になったのだ。
「で、君はここに住むつもりかい?」
無言を貫くヒスを伺うように、落ち着いた口調で問いただす。まずは彼の考えが分からないとどうしようもないと考えたからだ。いくら父の要望と言っても、私の方が上になる。双子なのだから、たいして変わりがないような気もするが、ここは兄としてではなく一人の人間として向き合いたかった。
昔の自分に少し似ているからかもしれない。私が抱えていた問題をヒスも抱え込んでいるような気がしたからだ。トスンと壁に背を預けると、すんなりと空間は受け入れてくれる。包み込まれるように流れに身を任せている自分がいる。
ジィッと見つめると、彼は慣れていないのか視線を逸らした。恥ずかしがっているだけだとも考えたが、直観はそう語らない。まるでドッペルゲンガーを見ているようだ。
「父さんの言った通りにするつもりだよ、兄さん」
「……」
初対面なのに兄と言うヒス。自分も相当変わっているが、彼は少し違う。何もかも投げ出しているような感情の一端が節々に見えるからだ。
私もそうだ、自分で決めたとはいえ自由を憧れていた人間。年齢は同じなのにあどけなく、幼く見えるヒスに対してかわいらしいと感じてしまう自分が少し恥ずかしい。
「無理して兄と呼ばなくてもいい、君の好きなように呼べばいい」
「……貴方こそ僕の事を好きなふうに呼んでいいですよ」
「「……」」
お互いひねくれている所があるみたい。自分自身に話しかけているようだ。
「ヒス、よろしく」
「蒼、よろしく」
それくらいの言葉しか思いつかない、今は。