引き金
綺麗だと思った。落ちていく肉だまりが、彼女達のうめき声が、飛び散る血潮が顔を濡らして感じた事もないような快楽へと変わる。右目は見開き、左目はうっすらと開く。それは人間というよりも化け物に近いような表情でいびつだ。
不気味にも見えるのに、私はその男を見て悦を感じた。鏡に映る男は私が見た事もない風貌の男だ。黒い服を着ているのに、顔中には血化粧をしている、奇妙で美しい存在だった。
「君は誰だい?」
鏡の向こうに語り掛けてみるけど、ニヤリと笑うだけで答えようともしない様子が伺える。不思議に思いながら首を傾げた私を見かねたようで、少し移動する。自分の背後が見えるように、私の瞳に焼き付けるように。
「……」
懐かしい匂いがする。お香の香りだ。私の心臓はその匂いを嗅ぐ度に浮遊感を感じてしまう。自分の体と精神が分離していくような感覚で夢を見ているみたいだった。初めての感覚に包まれながらも、彼の方を見る。
よく見ると、背後には見覚えのある人物の首つり死体がゆらゆらと揺れている。振り子時計のように、何度も何度も。
彼は私の驚いた表情を見ながら、ニヤリと口角をあげ、聞こえない声で口を動かした。以心伝心、まるで私と彼が繋がっているように伝わってくる色々な情景が走馬灯のように走る。頭痛も吐き気もしない。全ては宝石のように輝くのだ。
「お前も来い」
口をゆっくりと動かしながら私の心へ言葉を落とす。目を瞑ると生臭い匂いと肉を切る音が響く。全ては幻想なのかもしれないが、その光景を瞼の裏で楽しんでいる自分がいる。
驚くを通り越して喚起に震えた。それが引き金になったのかもしれない、今思えば……。
彼の言葉に引き寄せられるように口を開き、言葉を作っていく。本来の自分ならこんな言葉言わないだろうに、どうしてそんな言葉を口にしたのか理解する脳はない。
「私も混ぜてくれ」
混ざるのは思考、体、心、魂。その中のどれをさしているのか、はたまた仲間に入れてほしいと言う意味なのか、それは心の奥底に眠る真実の私と彼にしか理解出来ないだろう。
くすくす鳴り響くのは誰の声? 私か彼かそんな事を不思議に思いながら徐々に景色は暗闇に染まっていく。そしてポツリと残されたのは行き場のない私と鏡だけだった。
微かに光っている鏡に右手を伸ばしてみる。彼が何者なのか分かるかもしれない、自分の求めるものがそこにあるように思えて、なぞっていく。
指先に残るのは何かが焼けた跡のような煤と私だけだった。