<九条蒼生 男視点>私の蒼、可愛い私の息子
コツコツと歩く音が無限に続く廊下の中で響いている。前進するたびに楽しかった人との思いでを捨てようとしている自分に気付く。グッと堪える痛みを涙を楽しみを全て捨て去る事は難しいかもしれない。それでも、自分の人生を選択する為には手放すものが必要なのだ。
一歩、歩けば歩くほど、宝石の一つ一つが零れていく。大切な思い出という名の宝物を。
(……これでいい、こうしないとあの場では生きていけないんだ)
幼いころの自分は簡単に捨てる事が出来なかった。それどころか余計執着して父を困らせてしまったっけ。自分は長男、蓮とは違う。逃げたくても逃げれない現実があるのだ。
本当は私も自由に生きてみたかった。女として生まれてきたのならよかったのだろうか。蓮より後に生まれてきていたら未来は変わったのかもしれない。
ボロボロと心の中が崩れていく感触を噛みしめながら修羅になる事を決めた自分。浅はかなのかもしれない。それでも父は、それでも家は、友人の存在を否定するだろう。
『お前には必要ない、自分の立場を考えなさい』
それがどれだけの呪縛の言葉であるのか父たちは気づかない、気づけない。自分達の選択するものが全て正解だと思っているから尚更。
涙なんて出ないと思った。平気なんだ、私は。慣れているはずじゃないか捨てる事なんて。そう思っていたのに、無意識に零れ落ちる涙は意識とは別物のような気がした。
拭わなきゃいけない自分で決めた事だから。なかった事にしないと、そう思う反面拭う事により自分の弱さを認めてしまう愚かな行為にも思えた。
両極端に揺れる気持ちに気付かないふりをして、前に進んでいくしか方法を知らない自分がいたのだ。
『それでいい、お前は九条家の人間なのだから』
私の前に現れたのは母だ。ゆったりとした身なりで鮮やかに笑う。とてもきれいな人だった。学校の教員の母は私に期待をしている。父よりも誰よりも。怖いほどに、恐れる程に、深い深い黒い愛情を示してくる。
「母さん」
『碧。貴方ならいつか私の気持ちを分かってくれると思っていたのよ?』
「……」
言葉が何も出てこない。口から何かが出かかっているのに、言ってはいけない言葉のような気がして飲み込んでしまう。葛藤している自分の気持ちに気付いて挑発をしている可能性が高い。私の方があってた、ほら見なさい、貴女は間違っていたのよ、なんて声が聞こえてきそうで怖かった。
『友人なんてまがい物。そんなもの捨てなきゃ、私達と同じ場所に立てないわよ?』
「そうですね」
『泣いていたの?そんなに未練があって?』
「うれし泣きですよ」
感情が溢れないように、挑発に乗らないように言葉と感情をコントロールする事がこんなに難しい事だなんて思いもよらなかった。
『私の蒼、可愛い私の息子』